時は1720年のクリスマス前、ドイツのハンブルク聖ヤーコビ教会で起こった話です。
ケーテン宮廷楽長で35歳になっていたバッハは聖ヤーコビ教会オルガニストに志願しました。最も名高く最も偉大なオルガンの巨匠はハンブルグの最も大きなオルガンによって見事な演奏を聞かせ、絶賛を浴びました。老巨匠のラインケン(1623生)はバッハの演奏に「オルガン音楽はもう死滅したものと思っていたが、今君の演奏を聴いて未だその精神が受け継がれていることが良く分った」という賛辞を贈りました。

しかし、その採用試験には、他の無能なオルガン奏者とならんである金持ちの職人の息子も志願していました。彼は指で弾くよりも財産で弾く方が上手でした。そして、その彼がオルガニストに選ばれたのです。これにはほとんどすべての人が納得できませんでした。聖ヤーコビ教会の後任者を実力ではなく寄付金で決めたことに対する不満の意をヤーコブ教会牧師がその年のクリスマス説教で次のように述べました。
「たとえ、天使がこの教会のオルガニストを志望して天から舞い降り、神の様な演奏をしても、現金を持ち合わせていなければこの町では受け入れられないのだから、虚しく飛び去る以外にないであろう」

バッハが失望することはこのことの前、31歳の時にも起こりました。それはヴァイマル宮廷でのことです。高齢の宮廷楽長の後任になりうるという見通しで奉職していたバッハが、自分ではなく、高齢で亡くなった楽長の息子にその地位を奪われたことです。今まで認められてきたバッハの業績が軽視され、全く凡庸な息子の下に位置づけられるということは、バッハの正当な自負心を傷つけ、辞任を願うこと意外にありませんでした。そして、バッハは自ら望んだ転職によって、ヴァイマルでは得られなかった楽長の地位をケーテンで与えられ驚くほどの高額な俸給を約束されたのです。