やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所 所長 橋本絹代 Kinuyo Hashimoto

平均律クラヴィーア曲集

マッテゾンの調性格

バッハと同時代に生きたマッテゾンは調性格の代表者といえるでしょう。バッハが1冊の著書も遺さなかったのに比べてマッテゾンは実に多くの著書を書きました。

彼は最初の大著『新管弦楽法』(1713年)の「アフェクトの表出における音楽の性質と働きについて」という項目のもとに調性格を述べました。

マッテゾンの調性格が普遍的なものと考えることは避けたいものです。なぜなら、彼は調性格について次のように述べています。

「調の性格について何か確実なものを定めようとすればするだけ、おそらく、意見の違いも表面化してくるように思われる。この問題をめぐる見解はほとんど数えきれないほどあるからである。その理由としてただ一つ考えられるのは、人間の体液の組織が一人一人非常に異なっていると言うことである。それゆえ、例えばある調を多血質の人は楽しげで快活に感じ、一方、粘着質の人は、ものうく、嘆き、悄然としているように感じたとしてもまったく不思議はないのである」と。

また彼は後に次のようにも述べています。

「調の性質については、何も絶対的なことを言うことはできない。なぜならどんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりする事はできないからである」と後に述べました

マッテゾン自身もバッハの《平均律クラヴィーア曲集》と同じように、24の調を網羅した『通奏低音大教本:48の範典 Grosse General-Bass Schule』 を1731年に作曲しました。しかし24の調性格を作り出したのではないことは、マッテゾン自信の言葉から明らかです。

バッハも同じころに 《平均律クラヴィーア曲集》 を編集しましたが、やはり24の調性格を確立しようとはしていません。それどころか、バッハは、移調を試みた曲もあっての24の調なのです。

バッハとマッテゾンは同じ世代ですが、調性格の感じ方には個人差があります。
マッテゾンの調性格だけを普遍的なものと考えることは非常に危険です。以下に述べる《平均律クラヴィーア曲集》に見るバッハの調性格をご参考の上、マッテゾンの調性格も参考としてお読みください。


1.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の編集目的は、24の調をすべて網羅することでした。決して調性格を24種類も確立しようとしたのではありません。バッハは、よく使われる調で作曲したものを遠隔調に移調するという方法も使いました。もし、移調によって音体系や曲の性格が全く変わってしまうなら、バッハがそのような方法をとらなかったはずです。バッハは移調によって曲想が変わるとは考えてなかったから移調を試みたのでしょう。


2.バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において当時あまり使われなかった未知の調に挑戦したわけですが、未知の調性格に挑戦したのではありません。バッハは史上初めて24すべての調を網羅した曲集を編纂ししたのですから、それまでに使われたことの無い遠隔調の開拓がおこなわれました。が、遠隔調に新たな性格を付したとはいえないでしょう。


3.もし、普遍的な調性格というものが存在するならば《平均律クラヴィーア曲集》の中の同一調は同一性格でなければなりません。しかし実際には同一調であっても全く異なる調性格の曲が多いのです。中には対照的と言えるものもあります。


4.あなたのピアノは12等分平均律ですから、どの調で弾こうと調性格は皆同じです。バッハも《平均律クラヴィーア曲集》を弾くにあたって、24すべての調が破掟なく演奏できる調律を使用しました。それは必然的に限りなく12等分平均律に近い調律になります。12等分平均律に近づけば近づくほど、調性格は皆同じになってきます。


5.《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤楽器を前提としています。鍵盤楽器はヴァイオリンなどとは違って演奏しながら音程の微調整をすることは不可能です。例えば「ドーミ」は長3度、「シ♯ーミ」は減4度です。言い方は違えど、鍵盤楽器で弾くとどちらも同じ鍵盤を弾くことになります。これに対して、声楽、弦楽器、管楽器などは、音程の違いを弾き分けることが可能なのです。以上のことから考えて、鍵盤楽器で演奏する場合は、たとえ不等分音律であっても同じ鍵盤を弾く以上、長3度と減4度の違いを弾き分けることは不可能なのです。

以上のことを踏まえた上で、マッテゾンの調性格を参考にしましょう。調性格は、12等分平均律の鍵盤楽器には存在しないことを再確認しましょう。「ト長調は云々・・・」と言いたいならば、鍵盤楽器以外のもので演奏することです。

以下はマッテゾンの調性格の一覧表です。

1 ハ長調・・荒削りで大胆、喜びを発散するのに適す、
うまく使えば優しさと愛らしさを表現しうる
2 ハ短調・・・並外れて愛らしい、哀しい、温和すぎる
3 嬰ハ長調・・(変ニ長調)記述なし
4 嬰ハ短調・・記述なし
5 ニ長調・・幾分鋭く頑固、騒動、陽気、好戦的、元気を鼓舞するようなもの
       フルートやヴァイオリンが支配的になると繊細な曲になる
6 ニ短調・・・信仰深く穏やか、高貴で満ち足りた性格、祈りの心、平安
流れるような愉快さ
7 変ホ長調・・非常に悲愴、深刻に訴えかける、
        官能的な豊かさを嫌う
8 嬰ニ短調/変ホ短調・・記述なし
9 ホ長調・・絶望、死ぬほど辛い悲嘆、恋に溺れてまったく救いのない状態、切り込み、傷、肉体と魂が宿命的に切り裂かれる
10 ホ短調・・・深く沈み考え込む、重く悲しい気分、
慰めを期待しうるが楽しげな要素はない    
11 ヘ長調・・世界で最も美しい感情を表現する、洗練をきわめる、
寛大、沈着、愛、徳、自然な物腰、比類の無い能力
長調であるのにこの上なく愛情のこもった表現ができる、
4番目の音にフラットを有しているが楽しげな作品にも使われる
12 ヘ短調・・・穏やかで平静、深く重苦しい、絶望的、死ぬほどの心の不安
        暗く救いようのないメランコリー、恐怖心、戦慄
過度に感動的、救い難い憂鬱、恐怖を抱かせる、
13 嬰ヘ長調・・記述なし
14 嬰へ短調・・ひどい憂鬱、悩ましげに恋に夢中になっているような感じ、
孤独、厭世的、
15ト長調・・人を引きつけ雄弁に語る、輝き、真面目、活発
16ト短調・・・最も美しい調性、優美、心地よい、憧れ、満足、
真面目さと活気ある愛らしさを合わせ持つ
中庸な喜びと嘆きにもふさわしくまったく利用範囲の広い調
17 変イ長調・・(嬰ト長調)記述なし
18 嬰ト短調・・記述なし
19 イ長調・・・非常に攻撃的、嘆き悲しむ、
特にヴァイオリンを使用した音楽に合う
20 イ短調・・・少し嘆く、品位ある、落ち着き、
眠りを誘うが不快なものは全く無い
鍵盤楽器に適している
21 変ロ長調・非常に気晴らしに富む、華やかさと控えめな性格を併せ持つ、
       壮大、愛らしい
22 変ロ短調・・記述なし
23ロ長調・・敵対的で硬質、不快、絶望感
24ロ短調・・・奇怪、不快、憂鬱、めったに用いられない
       このような性格が修道院から排斥される原因になった

[マッテゾン「各調性とアフェクト表現上の作用について」
                     礒山雅―編 山下道子―訳]

マッテゾンがシャープ、フラットの多い遠隔調については「よく知られていない調性」と述べるにとどまっていることから、中全音律的視点がうかがえます。
調性格を述べるに当たってはどの音律かということが前提になるはずですが、ほとんどの論者がこれを明記せずに述べているのは不思議というしかありません。
また一つの調について音楽家の感じ方によってその調性格はまちまちで、恣意的なものと言わざるを得ません。

マッテゾンとバッハの感じ方が違うから恣意的であるというだけではなく、同一の作曲家によっても恣意的である例をあげましょう。

例えば「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調です。
1巻9番ホ長調プレリュードは幸福な牧歌的情緒、フーガは熱烈な青春の喜びが音の奔流となって躍動しています。
2巻9番ホ長調プレリュードは穏やかな淡い光に満ちており、フーガはパレストリーナ様式の厳かな宗教合唱です。

同一作曲家(バッハ)が同一音律で作曲したホ長調なのに、その調性格は牧歌的、青春の喜び、穏やか、宗教合唱と全く統一性がありません。
またホ長調についてマッテゾンは「死ぬほど辛い悲嘆」と述べています。《平均律クラヴィーア曲集》に見るホ長調の性格とかけ離れています。もっとも、マッテゾンが述べたホ長調は中全音律的視点が感じられ、中全音律のホ長調は属和音(ロー嬰ニー嬰ヘ)がマッテゾンの言葉もなるほどと思われるほどに極端な響きではあります。一方バッハは24すべての調に適合する音律でなければならなかったので、使用できる調性に限りがある中全音律ではなかったことは確かです。バッハは12等分平均律に近い調律を用いたので、調による調性格の統一はなされていません。

それにしても、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調とマッテゾンの言うホ長調の調性格はあまりに対照的です。特に鍵盤楽器における調性格は主観的で不確実なものでしかありません。
調性格論者の代表マッテゾンさえも晩年になって、自分が「新管弦楽法」で発表した調性格論を後に取り下げているのですから。
調性格について、確かに言えることは長調と短調の2つの性格しか存在しないということです。

これらのことを考慮した上で、《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》はハ長調とイ短調に限定して移調しました。
12等分平均律の鍵盤楽器で弾く限りにおいて、すべての調性はこの2つの調に集約されるからです。

ここで大事なことは弦や管のように、音程を自分で作る楽器は調性の違いを表現することが可能ですが、12等分平均律に固定されている鍵盤楽器で調性の違いを表現することはできないということです。
12等分平均律においては調性格という問題が純粋に精神的なもの、作曲者と演奏者に架空の世界の問題として存在するものとなりました。調による性格の違いはおとぎ話になり、作曲家には長調にするか短調にするかの選択肢しか残されていないのです。

イコール式がハ長調とイ短調2つの調だけで鍵盤作品を記譜することにした理由は、ハ長調とイ短調で音楽の正しい理解への道を開く必要性からです。
最初からオリジナルの調で弾こうとして、固定ド読みするのは音楽の正しい理解を妨げるものです。
《平均律クラヴィーア曲集》をまずハ長調とイ短調で弾き、その後オリジナルの調で弾くことをお勧めいたします。

日本語訳はバッハの意図か

「平均律クラヴィーア曲集」! 不思議な題名ですね。
これはバッハの自筆譜に書かれている「Das Wohltemperirte Clavier」を翻訳したもので、昔から最も親しまれている翻訳です。

Das → 英語のThe
Wohltemperirte →英語の Welltemperament うまく調律された。現代ドイツ語では Wohltemperierte となり i と r の間に e が入ります。 
Clavier →クラヴィーアとは元来鍵盤の意味です。バッハの時代には、オルガン、ハープシコード、クラヴィーコードなど鍵盤楽器全般を指しました。ピアノの意になるのはほぼ1800年以降です。現代ドイツ語では最初がKで始まる Klavier と綴ります。

バッハは「うまく調律されたクラヴィーア」と書いただけであって「平均律クラヴィーア曲集」と書いた訳ではありません。英語では「うまく調律された」は Welltemperament、「平均律」は Equaltemperament と言います。日本ではこの区別ができていませんから「うまく調律された」を「平均律」と翻訳してしまったのです。

「ニューグローブ世界音楽大事典」によるとドイツ語の「平均律」に当たる語は
gleichschwebende =均一的にずれた、均一的に調律されたになります。
バッハは自筆譜にgleichschwebendet とは書いていません。
「うまく調律された」と言える音律は無数にありますが、平均律はただ一種類の音律です。翻訳が間違っていたのでバッハが「平均律」で弾いたと思い込んでしまった人が少なくありません。

1947年にバーバーが発表した誤訳説は次第に認識されるようになってきました。
しかし、これはまた1985年にR.ラッシュが発表した多角的な研究から覆されることになりました。
R.ラッシュによると、バッハは平均律の意味でこの表題を書いたというのですが、バッハ研究は毎日のように更新されていますので、今後の研究の成果を見守る必要があるでしょう。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
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第1日曜日 輪奏会17:00 PM
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<プロフィール>
やわらかなバッハの会 代表 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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