やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所 所長 橋本絹代 Kinuyo Hashimoto

平均律

多声音楽は連弾で弾こう



鍵盤楽器は一人で3声、4声を受け持って多声音楽を演奏しますが、管楽器や声楽はその特性から1声しか受け持つことができません。人間の頭は一つしかないのですから、一人1声が基本です。無理して3声4声を弾いても、頭の中はテーマが出てくるパートを綱渡りしているだけで、結局一度に1声しか聞いていない場合が少なくありません。曲の最初から最後まで、たった一つの声部でさえ1音もらさず横の流れを聞き取って演奏できる人は稀です。
鍵盤楽器も無理せず、アンサンブルで多声音楽を楽しみましょう。
イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集は全曲をハ長調とイ短調に移調しました。鍵盤曲の私の音楽の原点は父と一緒に1台のピアノで連弾したバッハの多声音楽です。
父は大阪フィル創立名誉指揮者の朝比奈隆が学んだ京都大学交響楽団でクラリネットを吹いていました。朝比奈隆は京都大学法学部を卒業後、再度文学部に入学するなどして、京都大学交響楽団指揮者のメッテルに学び、やがてプロの指揮者になってしまった方です。朝比奈隆は世界中のオーケストラを指揮し、グレン・グールド、メニューヒン、パールマンなどと協演しました。また音楽人としては山田耕作以来2人目の文化勲章受賞者として、93歳まで現役指揮者を通すという輝かしい生涯でした。
父は先輩の朝比奈隆を尊敬しながら、大学ではクラリネット、家ではオルガンに親しみました。卒業後はOBオーケストラを楽しみにし、仕事で海外に出張した時は必ずその地のオーケストラを聴いてくるという愛好家でした。
私が父から受け継いだものを一言で言うと「アタマ、アタマ!」です。
この言葉は朝比奈隆の師であるメッテルの言葉です。メッテルはウクライナに生まれ、大学で法律を学んで弁護士になり、その後、リムスキー=コルサコフやグラズノフについて音楽を学びました。奥さんが宝塚歌劇団の日本人であった縁で、京都大学交響楽団の指揮者になった人です。

音楽を愛した父と子供だった私は、ちょっと変わったピアノ連弾をよくやりました。それはピアノソロ用の楽譜を上段と下段に分けて2人で分担して弾く連弾です。この方法は片手練習の手軽さで曲全体が音になるのでブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ、バッハ、その他の名曲を簡単に楽しむことができました。とくに多声音楽の声部進行には連弾が最適な方法でしたので、子供だった私でも直感的にバッハの声部進行を学び取ることができました。その時以来バッハのフーガに魅せられ、多声音楽意外のものを物足りなく感じるようになりました。

バッハのフーガは難しいとされて初心者のレッスンでは敬遠されがちですが、連弾で弾けば簡単です。管楽器や声楽の人は最初から1声分しか担当できません。ところが鍵盤楽器奏者は頭が一つしか無いのに、一人で幾つもの声部を弾かなくてはなりません。それ故にテーマばかりを拾って繋ぐパッチワークのような演奏になり勝ちですが、連弾で弾けば簡単に声部進行を正しく理解できます。

一人ですべての声部を弾く醍醐味も捨て難いものですが、アンサンブルの形で弾く楽しみはまた格別なものがあります。
最高峰である「バッハ 平均律クラヴィーア曲集」を是非アンサンブルでお弾きください。カワイ出版のご協力を得て、世界に類を見ない、バッハ平均律クラヴィーア曲集を発売中。http://blog.livedoor.jp/equal_shiki/

自筆譜

「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の自筆譜はベルリン国立図書館に大切に保管されていますが、紙やインクの腐食のため存続の危機に瀕していました。ゲッティンゲンのバッハ研究所から小林義武が自筆譜の調査に出向いた時、穴だらけの資料を渡され開いてみると記入箇所がさらにこぼれ落ちそうになったため、即座に返却し修復の措置を取るように図書館側に伝えたことが何度かあったそうです。修復方法は紙面の表面と裏面をはがし、その間に新しい紙を1枚挿入して再び張り合わせるという方法です。この方法によって「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の自筆譜は紙が厚くなり強化修復されました。

「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の自筆譜は祖国を離れロンドン大英博物館所有となっており、保存の状態はかなり良好ですが、不完全な形で残されています。このロンドン自筆譜は24曲中、3曲のプレリュードとフーガ(嬰ハ短調、ニ長調、ヘ短調)が欠けており表紙も消失しています。
従って正確に言うと「平均律クラヴィーア曲集第2巻」という表題はバッハがつけたものではないことになります。現存する筆写譜の中にバッハの弟子で娘婿でもあるアルトニコルの手によるものがあります。これは研究者たちがバッハの意図も反映しており最終稿に相応しいと見なしているものですが、その表紙に「平均律クラヴィーア曲集第2巻、すべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ集。ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、楽長、ライプツィヒ合唱音楽隊監督ヨハン・セバスティアン・バッハがこれを作曲す」とあります。これによって私たちは「平均律クラヴィーア曲集第2巻」と呼ぶことになったのです。第2巻はバッハの肩書きや「全音と半音」という表現が第1巻のそれとは異なっています。

第2巻は第1巻のように完全な形の自筆浄書譜が残っていません。欠けた3曲は信頼のおける弟子たちが書き写した「もう一つの失われた自筆譜」によって完成しています。弟子のアルトニコルやキルンバルガーの筆写本にはバッハが更に改訂の手を加えているので信頼できる資料と言えるのです。第2巻の自筆譜は次の3つのグループを成しています。第1のグループは調号が4つまでで比較的簡単な調が12曲入ったもの、第2のグループは調号の多い難しい調が7曲入ったもの、第3のグループはハ長調と変イ長調の2曲、そして最後に欠けている3曲です。
        

第2巻 プレリュードとフーガ 変イ長調

バッハが自ら移調した曲のひとつである平均律クラヴィーア曲集第2巻17番 変イ長調を取り上げます。プレリュードとフゲッタ ヘ長調 BWV 901 プレリュードこの曲はヘ長調のプレリュードとフゲッタ BWV 901として作曲されたものをバッハ自身が変イ長調に移調し、大幅な改作を行った上で平均律クラヴィーア曲集に収録しました。
写真をクリックしてご覧いただくとプレリュードには「3点ハ」が4回出てきます。バッハの時代の楽器は今より鍵盤数が少なく「3点ハ」が最高音でした。このプレリュードを変イ長調に短3度上げると演奏不可能な音が出てくるためにバッハは新たにプレリュードを書きました。ヘ長調の前作は静かなパストラーレ風、変イ長調の新作はバッハ円熟期の卓越したプレリュードです。

フーガはフゲッタとして作曲されたものでもともと23小節で終わっていました。
バッハはその後に27小節も付け加え、その継ぎ目が誰にも気づかれないほど上手に前半と後半のまとまりをつけています。

バッハの時代に一般的であった中全音律における変イ長調は極端な調です。
主和音「変イーハー変ホ」にウルフの5度を含むからです。さらに凝戮力族察嵎僖蹇縞僖法璽悄廚鉢催戮力族察屮悄縞僖ぁ璽蓮廚盒肪爾紛舛です。属和音だけが純正です。音楽理論家のシューバルト(1739生)は変イ長調を「墓の調性であり、死、墓、朽ち果てること、審判、永遠がその範疇にある」と述べました。さらにシリング
(1805生)も「霊や魂がゆらゆら揺れながら天国へと到達するかに見える」と述べました。

ではバッハの変イ長調はどうでしょうか。バッハの全鍵盤曲の中で変イ長調は平均律クラヴィーア曲集にある2曲のみです。
平均律クラヴィーア曲集第1巻17番のプレリュードは合奏と独奏が交替する協奏曲形式ですがこの曲ほど音楽的解釈が分かれる曲は珍しいと言えるでしょう。暗く荘厳な解釈、威風堂々としたフォルテの解釈、穏やかで優美な解釈、軽いスケルツァンド風の解釈などです。フーガはまるで鐘のように反響する主題によって「大寺院フーガ」と呼ばれ、厳粛な宗教的情緒を感じさせます。
平均律クラヴィーア曲集第2巻17番のプッリュードは整然とした流暢な流れがナポリの7の和音に向けて強烈な終結的盛り上がりに達する威風堂々とした佳曲です。フーガは48曲中最も卓越していると言われ技巧的かつ変化に富んだ雄大なフーガです。

もしもバッハが、平均律クラヴィーア曲集を編集する際に調性格の確立を主たる目的にしていたとしたら、ヘ長調だった初稿を遠く離れた変イ長調に移調できなかったのではないでしょうか。バッハの主たる目的は24すべての調を網羅することでしたから、#♭の多い調は#♭の少ない調から移調することも平気でやったのでしょう。

イコール式は調性という不確実な神話に囚われることなく、音楽にとって最も大切なことを教授することを目指しています。それは従来の絶対音感による鍵盤楽器教授法を相対音感による教授法に変えることです。絶対音感による教授法は、絶対音感という概念が定着した20世紀末以降の音楽にこそ相応しいのです。それ以前の音楽は、相対音感で捉える方が分かりやすいのです。



無農薬ピアノ

現代人はピアノといえば平均律と思い込んでいる人が非常に多いものです。何の疑いもなく平均律のピアノを購入して定期的に調律師に調律してもらうのが当然のこととされています。ピアノのユーザーは自分で調律することができないので、調律師まかせの平均律と言うのが暗黙の了解で常識となっています。ユーザーは鍵盤の重さやタッチの不揃いについて調律師に注文をつけることはあっても、音律まで注文をつける人は滅多にいないのが実情です。

平均律のピアノが一般に普及したのはイギリスのブロードウッド社が等分平均律に調律したピアノを1842年に市販した頃からです。それ以前は調によって変化を伴う不等分音律が一般的でした。不等分音律は調によって多彩な表現があるからこそ、作曲家は各自の好みによって特定の調に特定の性格を与えることができたのです。
それなのに平均律はすべての調を単純でモノクロの音楽にしてしまいました。それは丁度ドビュッシーの頃、平均律ピアノが普及し始めた時期と重なります。不等分音律から平均律への移行は音楽史に大きな溝を作ることになりました。

不等分音律の消失とともに印象派、調性の崩壊、12音音楽、無調、微分音、トーンクラスター、電子音によるミュージック・コンクレート、視覚的要素に大きく依存するインターメディア、不確定性の音楽、空間音楽、コンピューター音楽等などの新しい音楽が生まれました。

しかし現在、私たちが平均律のピアノで演奏している音楽の大半は不等分音律の響きで作曲された調性音楽です。ピアノのレッスンで弾く曲の大半が調性音楽であるにもかかわらず、音楽教室や音楽大学には平均律のピアノしかありません。平均律のピアノで弾いてよいのはドビュッシー以後の作曲家なのです。平均律のピアノでベートーベンやショパンを弾いても、その作曲家が意図した響きではありません。

無農薬野菜を食する人の舌は、農薬がかかった野菜を苦く感じ、野菜本来の味が損なわれていることを知っています。ピアノも全く同じことです。無農薬ピアノを弾く人の耳は、平均律で弾く調性音楽をモノクロに感じ、作曲者が意図した本来の美しい響きではないことを知っています。無農薬ピアノ、それは作曲された当時と同じ不等分音律で調律されたピアノのことです。私たちの耳は無農薬ピアノを弾くことによって初めて、今まで何の疑いもなく弾いてきた平均律が単純でモノクロであることを聞き分ける耳ができるのです。平均律は作曲家が選んだ調で弾いた時も、移調して弾いた時も、旋律や和声に何の変化もなくモノクロです。

イコール式は平均律を逆手にとった鍵盤楽器教授法と言えます。移調することによって、移動ドに読み替える手間を省きました。そしてすべての曲をハ長調とイ短調で記譜することによって、絶対音感を持つ人も、持たない人も、音楽を相対音感で捉えることを可能にしました。相対音感がもたらす音楽的成長は計り知れないほど大きなものです。



内田光子

内田光子は1970年のショパンコンクール第2位に輝き、ロンドンを中心に世界的に活躍しているピアニストです。世界中の音楽家の憧れであるザルツグルク音楽祭に今年も出演が決まっています。彼女が1982年に東京とロンドンで行ったモーツァルトのピアノソナタ全曲演奏会は大変な盛り上がりを見せました。

この演奏会で使われたピアノの調律が普通の平均律とは違うものであったことが1982年11月27日の新聞に掲載されました。内田光子がコンサートで古典調律を用いたのではないかと言ううわさがごく一部の音楽関係者の間でささやかれていましたが、本人の口からはっきり語られたのは今回が初めてのことでした。内田光子はインタビューに答えて「東京での4夜の演奏会はすべて古典調律法を使いました。弾いている私にとって、これ以上はないと思うぐらいのすばらしい音でした」と語りました。続けて「とりわけ、モーツァルトでは古典調律法がそれは美しく響きすっかりこの音のとりこになってしまいました。今、世界でも古典調律法で演奏したピアニストは多分私だけでしょう」と語っています。この演奏会で使用されたのは古典調律の中のヴェルクマイスターでした。

近年の古楽ブームの影響で多少は古典調律に興味を持つピアニストが増えてきました。非平均律のピアノを使った演奏会も時々耳にするようになりましたが、それでも未だピアノ界は平均律がほとんどという状態です。自分で音程を作りながら演奏するヴァイオリニスト等に比べて、ピアニストは音程に対して関心が薄く調律師任せにする傾向が見られます。

バッハ、モーツァルト、シューベルト、ベートーベン、ショパン等の時代は古典調律でもって作曲し、演奏していました。平均律に移行したのは1850年以降のことです。18、19世紀の美しい響きを20世紀の平均律が単純でモノクロの響きに変えてしまったのです。

私たちは生まれた時から平均律に囲まれ、平均律で古典の曲を弾いてきました。
そのことに何の疑問も持たずに弾いてきたわけですが、私は10年程前から古典調律に興味を覚え、家の2台のグランドピアノをヴェルクマイスターとキルンベルガーに変えました。いつも信頼をおいて自宅のピアノをお願いしている調律師は「古楽の演奏会で古典調律をやったことはありますが、ピアノの先生のお宅でやるのは初めてです」と最初は驚かれた様子でした。ミーントーンの調律などもやっていただきましたが、これはほとんど使えず直ぐに調律変えしました。古典調律に慣れてくると今までの平均律が非常に無表情で濁って聴こえてくるから不思議です。無表情と感じるのは何処をとっても等しい幅の調3度であり、何調で弾いても同じ表情になるからです。
平均律は大型チェーン店の味、古典調律は店ごとに趣の違う味と言えるでしょう。



コールユーブンゲン

音大受験生に馴染みのコールユーブンゲンですが、歌う前に序文を読んでみましょう。
コールユーブンゲンは1875年、ミュンヘン音楽学校の合唱練習書として公刊されました。合唱指導の任を委ねられたヴュルナーは音楽的目標到達のために3つの段階を定めて練習曲を作りました。
第1級・・音楽上の基礎学習、音程を正しくとる練習およびリズム練習
第2級・・多声的合唱の階名唱法、歌詞のある多声的唱歌の練習
第3級・・極めて難しい合唱の階名唱法、無伴奏大合唱曲の学習
わが国ではこの中から第1級のみをコールユーブンゲンと称して用いています。

ヴュルナーは旋律的進行、リズム、音程、和音などを楽器の力を借りずに表現させる練習として序文の中で次のように書いています。
「音程練習や和音練習は楽器の助けなしに行うべきである。階名唱法はまず伴奏なしで稽古させ最後になって始めて伴奏をつけるべきである。しかもその時、歌うべき音を(メロディー)をピアノでいっしょに奏してはならない。平均律に則って調律されるピアノを頼りにして正しい音程は望まれない」と。

ここから読み取れることはコールユーブンゲンが書かれた1875年の時点で既に平均律のピアノが一般的に使われており、その平均律の音程に則って歌うと正しい音程が得られないと認識されていたということです。そしてもう一つ重要な点は、階名唱法(移動ド)で歌うと書いてあることです。
正しい音程を得るためには平均律のピアノに頼らず、自分の耳で取ること、そして正しい音程は階名唱法(移動ド)によるべきだと言うのです。

続いて和音練習についてヴェルナーは「いわゆる困難な調と平易な調という分け方は当然意味のないことである」と書いています。この言葉の意味するところは何調であろうと、階名唱法(移動ド)ならば長調の主和音は常に「ドミソ」と歌うのですから、困難な調と平易な調という分け方は当然意味がないということです。
もし音名唱法(固定ド)で歌えば、ハ長調の主和音は「ドミソ」と平易な調ですが、嬰ヘ長調は「ファ♯ラ♯ド♯」と困難な調になるというわけです。

目次の第2級「多声合唱の階名唱法」も、第3級「極めて難しい合唱の階名唱法」も徹頭徹尾、階名唱法であり、ヴュルナーは音名唱法(固定ド)を全く用いないのです。

これほど明確にコールユーブンゲンの正しい使い方が指示されているにもかかわらず、わが国では序文に反する使い方、教授法が氾濫しています。
コールユーブンゲンを歌う練習に平均律のピアノで音取りする人が少なくありません。
さらに音名唱法(固定ド)で、絶対音感を自慢げ歌う人も多いのです。
絶対音感は音楽と全く無縁の能力ですが、絶対音感崇拝がもたらした日本独特の悪癖と言わざるを得ないのです。
作曲家ヴェルナーの意図に反した使い方でコールユーブンゲンを練習し、無事に音大に合格しても、真の音楽家にはなれないでしょう。

イコール式の鍵盤楽器教授法は階名唱法(移動ド)による教授法です。
コールユーブンゲンを作曲したヴュルナーの意図を汲み、階名唱法(移動ド)にこそ音楽の生命が存在すると考えています。
だからこそ、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》をハ長調とイ短調に移調したのです。

《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》 は鍵盤作品の最高傑作を音楽生命の原点に立ちかえって学ぶ助けとなるでしょう。

2巻 嬰ハ長調 フーガ

バッハが自ら移調した作品のひとつである平均律クラヴィーア曲集2巻の3番嬰ハ長調フーガを見てみましょう。
バッハは#7個もの調号をもつ嬰ハ長調を平均律クラヴィーア曲集でだけ使用しました。
当時の調性格論者マッテゾン(1681生)は嬰ハ長調を「その効果がまだあまり知られていない」調に数えています。

このフーガはバロック音楽特有の高貴な華美に包まれていますが、その初期稿は素朴なハ長調フゲッタとして書かれたものです。(写真)
バッハは19小節しかないフゲッタを35小節に拡大し、トッカータ風の処理など大幅な手直しを加え、ハ長調を嬰ハ長調に移調して収録しました。初期稿
平均律クラヴィーア曲集は全曲が一度に書き下ろされたものではなく、折にふれて書かれたプレリューとトフーガを改作して編纂したものです。編纂時に移調されたと思われるものを以下にあげてみましょう。移調は調号の#♭が多いものから少ないものへ行われています。

1巻8番 変ホ短調フーガは 二短調から移調、2巻7番 変ホ長調フーガは ニ長調フゲッタから、2巻8番 嬰ニ短調は ニ短調から、2巻17番 変イ長調フーガは ヘ長調フゲッタから、2巻18番 嬰ト短調はト短調から移調されました。

平均律クラヴィーア曲集の中で音楽史上初めて用いられた調も幾つかありますが、そこで表現されている気分も従来になかった新しいものということはできません。
バッハは調性格の確立に重点を置いたのではなく、24すべての調を踏破することが「平均律クラヴィーア曲集」の目的でした。

バッハは移調によって音楽の本質が破壊されるとは考えていなかったのです。
イコール式で移調した楽譜も音楽の本質を破壊するものではありません。特に平均律でもって演奏する場合には全く利に適っていると言えます。
イコール式移調で音楽を相対音感的に学ぶことは良い耳を育てる最良の方法です。

念ずる音程

楽典の音程問題を考えてみましょう。
「ハ−変イ」は短6度、「ハー嬰ト」は増5度です。
楽典では短6度は協和音程、増5度は不協和音程になっています。
ピアノで弾けば同じ鍵盤なのに、協和音と不協和音があるとは不思議に思われませんか。
耳で聴けば同じ和音、目で見れば異なる和音というわけです。

また、「変ロ」から完全5度上行した「ヘ」は協和音程ですが、「変ロ」を異名同音の「嬰イ−ヘ」にすると減6度という和声法上最も悪い不協和音程になってしまいます。

音程は周波数比が簡単な整数比になるほど協和に感じ、複雑な比になるほど不協和に感じるという性質があります。

平均律の「変イ」と「嬰ト」はどちらも同じ 800 セント、純正では「変イ」= 814 ,
「嬰ト」=773 と異なる黒鍵が2個必要になります。
短6度の協和音「ハー変イ」が純正の協和音として耳に聞こえるためには
「変イ」=814でなければなりません。
「変イ」=814の時、周波数が5:8という簡単な整数比になり真の協和音となります。
増5度の不協和音「ハー嬰ト」は簡単な整数比にはなりません。

平均律は「変イ=嬰ト」=800ですから、純正の短6度より幾分狭いが何とか協和音に聞こえるという程度です。しかし純正のような簡単な整数比にはなりません。

平均律では短6度だけではなくすべての音程が、何とか我慢できる程度ではあるが狂っているのです。
平均律で狂っていないのは1:2のオクターヴだけです。

私たちは譜面上で見た短6度が、平均律でもって演奏されているとおりで、美しく協和して響いているのだと耳に信じ込ませているのです。

最後にリヒテルの言葉を引用します。
「それは調律師の仕事だ。聖ペテロのように水の上を歩けると信じて与えられたピアノを弾けばよい。そうでないと沈んでしまう。ピアノが好きではないのかと聞かれたら、ピアノより音楽の方が好きだと答える」

適正音律

バッハが「平均律クラヴィーア曲集」を作曲するにあたって大前提としたことは、途中で調律替えせずに、理論上考えられる24すべての調を演奏することでした。

当時一般的であったミーントーンは#3つ、♭2つの調までしか弾けませんでした。
それ以上に調号が増えるとウルフが暴れ回るからです。

パッヘルベルは「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」成立以前に、調号を4つまで使って17の調を踏破した曲集を1683年に書きました。

しかし、バッハの最も重要な先駆者は1702年にフィッシャーが書いた「アリアドネ・ムジカ」。これはハ長調からだんだん高い調に上って行き再び迷宮から脱出する20の調を使ったオルガンのための小さなプレリュードとフーガでした。

すべての調による迷宮脱出が実現されそうであったことは、マッテゾン(1681生)が、24すべての調による音楽を表したことからも明らかですが、これは教育用通奏低音でした。

そしていよいよ1722年にバッハが史上初めて、理論上考えられる24すべての調を使った「平均律クラヴィーア曲集」を完成させました。
同年にズッピヒがすべての調による音楽を表しましたが、バッハと比肩できるものではありませんでした。 

バッハは24すべての調を途中の調律替えなしで演奏するために、まずは何としてもウルフを和らげようとしました。その為には純正より狭いミーントーン5度を純正にまで広げ、極端に広い4個の長3度を分散して緩和しました。これがバッハが弟子に強く要求したと言われる「すべての長3度が純正より広く」の意味するところです。

ここで注意したいのは、バッハが「すべての長3度が純正より等しい幅で広く」とは言っていないことです。
「等しい幅で広く」と要求したのであれば、答えは等分平均律しかありませんが、「広く」という要求であれば、答えは何種類もあるのです。

また、バッハは「15分で調律できた」というのですから、不等分音律の中で最も易しい調律法のヴェルクマイスターに近いものであったかもしれません。等分平均律はバッハの時代には理論としてはあったものの、人間の耳だけで調律することは不可能でした。

バッハ自身が付けた表題の「Wohltemperirte」の意味を平均律と決めつけるのではなく、バッハが「うまく調律された」と考えていたすべて音律を含めて考えなければなりません。
従って「Wohltemperirte Clavier」を翻訳するならば「平均律クラヴィーア曲集」ではなく「適正音律クラヴィーア曲集」など含みのある言葉が適していると思います。



ミーントーンに潜む狼

1オクターヴを12の鍵盤に適度に分割する方法を音律と言います。分割方法は大きく2つに分かれます。それは均等と不均等です。
均等は平均律ただ一つ、不均等には無数の音律が考えられます。不均等から均等への移行は西洋音楽史に大きな溝を作るものです。

平均律は1オクターヴを力ずくで12等分した機械的な調律ですので純正の音程が全く含まれておりません。すべての長3度が等しく純正より14セント広く、他の音程も等しく狂っています。

不均等のひとつであるミーントーンは純正3度をもつラミス音律にヒントを得て、アーロン(1480生、イタリアの理論家)が確立しました。純正3度はツァルリーノ(1517生)らによって大いに普及し、バッハの時代はほぼミーントーンでした。写真はケレタートが考案した図表です。266548e6.JPG
図表の下段、長3度の棒グラフを見ると C D A E F B Es が純正との差0セント、つまり純正の長3度であることがわかります。
両端の As Des H Fis は+42 セントもあります。
平均律ですら長3度は+14 セントなのですから、これは法外な長3度です。
上段の棒グラフは5度を表しています。As だけが+36と極端に広くなっています。
これは狼が吠える声の意味でウルフと言われ、聴くに耐えない音程になります。
図表からも見て取れる通り、ミーントーンは#♭の少ない調は美しく響きますが、#♭が増えるとウルフが出てくるなど、使用不可能になります。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
第1日曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
第4土曜日 輪奏会10:00 AM

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2018.3.21(水・祝)

第5回バッハ礼讃音楽会
2018.7.29(日)

お問い合わせはこちら

<プロフィール>
やわらかなバッハの会 代表 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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