やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所 所長 橋本絹代 Kinuyo Hashimoto

ピアノ

マッテゾンの調性格

バッハと同時代に生きたマッテゾンは調性格の代表者といえるでしょう。バッハが1冊の著書も遺さなかったのに比べてマッテゾンは実に多くの著書を書きました。

彼は最初の大著『新管弦楽法』(1713年)の「アフェクトの表出における音楽の性質と働きについて」という項目のもとに調性格を述べました。

マッテゾンの調性格が普遍的なものと考えることは避けたいものです。なぜなら、彼は調性格について次のように述べています。

「調の性格について何か確実なものを定めようとすればするだけ、おそらく、意見の違いも表面化してくるように思われる。この問題をめぐる見解はほとんど数えきれないほどあるからである。その理由としてただ一つ考えられるのは、人間の体液の組織が一人一人非常に異なっていると言うことである。それゆえ、例えばある調を多血質の人は楽しげで快活に感じ、一方、粘着質の人は、ものうく、嘆き、悄然としているように感じたとしてもまったく不思議はないのである」と。

また彼は後に次のようにも述べています。

「調の性質については、何も絶対的なことを言うことはできない。なぜならどんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりする事はできないからである」と後に述べました

マッテゾン自身もバッハの《平均律クラヴィーア曲集》と同じように、24の調を網羅した『通奏低音大教本:48の範典 Grosse General-Bass Schule』 を1731年に作曲しました。しかし24の調性格を作り出したのではないことは、マッテゾン自信の言葉から明らかです。

バッハも同じころに 《平均律クラヴィーア曲集》 を編集しましたが、やはり24の調性格を確立しようとはしていません。それどころか、バッハは、移調を試みた曲もあっての24の調なのです。

バッハとマッテゾンは同じ世代ですが、調性格の感じ方には個人差があります。
マッテゾンの調性格だけを普遍的なものと考えることは非常に危険です。以下に述べる《平均律クラヴィーア曲集》に見るバッハの調性格をご参考の上、マッテゾンの調性格も参考としてお読みください。


1.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の編集目的は、24の調をすべて網羅することでした。決して調性格を24種類も確立しようとしたのではありません。バッハは、よく使われる調で作曲したものを遠隔調に移調するという方法も使いました。もし、移調によって音体系や曲の性格が全く変わってしまうなら、バッハがそのような方法をとらなかったはずです。バッハは移調によって曲想が変わるとは考えてなかったから移調を試みたのでしょう。


2.バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において当時あまり使われなかった未知の調に挑戦したわけですが、未知の調性格に挑戦したのではありません。バッハは史上初めて24すべての調を網羅した曲集を編纂ししたのですから、それまでに使われたことの無い遠隔調の開拓がおこなわれました。が、遠隔調に新たな性格を付したとはいえないでしょう。


3.もし、普遍的な調性格というものが存在するならば《平均律クラヴィーア曲集》の中の同一調は同一性格でなければなりません。しかし実際には同一調であっても全く異なる調性格の曲が多いのです。中には対照的と言えるものもあります。


4.あなたのピアノは12等分平均律ですから、どの調で弾こうと調性格は皆同じです。バッハも《平均律クラヴィーア曲集》を弾くにあたって、24すべての調が破掟なく演奏できる調律を使用しました。それは必然的に限りなく12等分平均律に近い調律になります。12等分平均律に近づけば近づくほど、調性格は皆同じになってきます。


5.《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤楽器を前提としています。鍵盤楽器はヴァイオリンなどとは違って演奏しながら音程の微調整をすることは不可能です。例えば「ドーミ」は長3度、「シ♯ーミ」は減4度です。言い方は違えど、鍵盤楽器で弾くとどちらも同じ鍵盤を弾くことになります。これに対して、声楽、弦楽器、管楽器などは、音程の違いを弾き分けることが可能なのです。以上のことから考えて、鍵盤楽器で演奏する場合は、たとえ不等分音律であっても同じ鍵盤を弾く以上、長3度と減4度の違いを弾き分けることは不可能なのです。

以上のことを踏まえた上で、マッテゾンの調性格を参考にしましょう。調性格は、12等分平均律の鍵盤楽器には存在しないことを再確認しましょう。「ト長調は云々・・・」と言いたいならば、鍵盤楽器以外のもので演奏することです。

以下はマッテゾンの調性格の一覧表です。

1 ハ長調・・荒削りで大胆、喜びを発散するのに適す、
うまく使えば優しさと愛らしさを表現しうる
2 ハ短調・・・並外れて愛らしい、哀しい、温和すぎる
3 嬰ハ長調・・(変ニ長調)記述なし
4 嬰ハ短調・・記述なし
5 ニ長調・・幾分鋭く頑固、騒動、陽気、好戦的、元気を鼓舞するようなもの
       フルートやヴァイオリンが支配的になると繊細な曲になる
6 ニ短調・・・信仰深く穏やか、高貴で満ち足りた性格、祈りの心、平安
流れるような愉快さ
7 変ホ長調・・非常に悲愴、深刻に訴えかける、
        官能的な豊かさを嫌う
8 嬰ニ短調/変ホ短調・・記述なし
9 ホ長調・・絶望、死ぬほど辛い悲嘆、恋に溺れてまったく救いのない状態、切り込み、傷、肉体と魂が宿命的に切り裂かれる
10 ホ短調・・・深く沈み考え込む、重く悲しい気分、
慰めを期待しうるが楽しげな要素はない    
11 ヘ長調・・世界で最も美しい感情を表現する、洗練をきわめる、
寛大、沈着、愛、徳、自然な物腰、比類の無い能力
長調であるのにこの上なく愛情のこもった表現ができる、
4番目の音にフラットを有しているが楽しげな作品にも使われる
12 ヘ短調・・・穏やかで平静、深く重苦しい、絶望的、死ぬほどの心の不安
        暗く救いようのないメランコリー、恐怖心、戦慄
過度に感動的、救い難い憂鬱、恐怖を抱かせる、
13 嬰ヘ長調・・記述なし
14 嬰へ短調・・ひどい憂鬱、悩ましげに恋に夢中になっているような感じ、
孤独、厭世的、
15ト長調・・人を引きつけ雄弁に語る、輝き、真面目、活発
16ト短調・・・最も美しい調性、優美、心地よい、憧れ、満足、
真面目さと活気ある愛らしさを合わせ持つ
中庸な喜びと嘆きにもふさわしくまったく利用範囲の広い調
17 変イ長調・・(嬰ト長調)記述なし
18 嬰ト短調・・記述なし
19 イ長調・・・非常に攻撃的、嘆き悲しむ、
特にヴァイオリンを使用した音楽に合う
20 イ短調・・・少し嘆く、品位ある、落ち着き、
眠りを誘うが不快なものは全く無い
鍵盤楽器に適している
21 変ロ長調・非常に気晴らしに富む、華やかさと控えめな性格を併せ持つ、
       壮大、愛らしい
22 変ロ短調・・記述なし
23ロ長調・・敵対的で硬質、不快、絶望感
24ロ短調・・・奇怪、不快、憂鬱、めったに用いられない
       このような性格が修道院から排斥される原因になった

[マッテゾン「各調性とアフェクト表現上の作用について」
                     礒山雅―編 山下道子―訳]

マッテゾンがシャープ、フラットの多い遠隔調については「よく知られていない調性」と述べるにとどまっていることから、中全音律的視点がうかがえます。
調性格を述べるに当たってはどの音律かということが前提になるはずですが、ほとんどの論者がこれを明記せずに述べているのは不思議というしかありません。
また一つの調について音楽家の感じ方によってその調性格はまちまちで、恣意的なものと言わざるを得ません。

マッテゾンとバッハの感じ方が違うから恣意的であるというだけではなく、同一の作曲家によっても恣意的である例をあげましょう。

例えば「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調です。
1巻9番ホ長調プレリュードは幸福な牧歌的情緒、フーガは熱烈な青春の喜びが音の奔流となって躍動しています。
2巻9番ホ長調プレリュードは穏やかな淡い光に満ちており、フーガはパレストリーナ様式の厳かな宗教合唱です。

同一作曲家(バッハ)が同一音律で作曲したホ長調なのに、その調性格は牧歌的、青春の喜び、穏やか、宗教合唱と全く統一性がありません。
またホ長調についてマッテゾンは「死ぬほど辛い悲嘆」と述べています。《平均律クラヴィーア曲集》に見るホ長調の性格とかけ離れています。もっとも、マッテゾンが述べたホ長調は中全音律的視点が感じられ、中全音律のホ長調は属和音(ロー嬰ニー嬰ヘ)がマッテゾンの言葉もなるほどと思われるほどに極端な響きではあります。一方バッハは24すべての調に適合する音律でなければならなかったので、使用できる調性に限りがある中全音律ではなかったことは確かです。バッハは12等分平均律に近い調律を用いたので、調による調性格の統一はなされていません。

それにしても、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調とマッテゾンの言うホ長調の調性格はあまりに対照的です。特に鍵盤楽器における調性格は主観的で不確実なものでしかありません。
調性格論者の代表マッテゾンさえも晩年になって、自分が「新管弦楽法」で発表した調性格論を後に取り下げているのですから。
調性格について、確かに言えることは長調と短調の2つの性格しか存在しないということです。

これらのことを考慮した上で、《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》はハ長調とイ短調に限定して移調しました。
12等分平均律の鍵盤楽器で弾く限りにおいて、すべての調性はこの2つの調に集約されるからです。

ここで大事なことは弦や管のように、音程を自分で作る楽器は調性の違いを表現することが可能ですが、12等分平均律に固定されている鍵盤楽器で調性の違いを表現することはできないということです。
12等分平均律においては調性格という問題が純粋に精神的なもの、作曲者と演奏者に架空の世界の問題として存在するものとなりました。調による性格の違いはおとぎ話になり、作曲家には長調にするか短調にするかの選択肢しか残されていないのです。

イコール式がハ長調とイ短調2つの調だけで鍵盤作品を記譜することにした理由は、ハ長調とイ短調で音楽の正しい理解への道を開く必要性からです。
最初からオリジナルの調で弾こうとして、固定ド読みするのは音楽の正しい理解を妨げるものです。
《平均律クラヴィーア曲集》をまずハ長調とイ短調で弾き、その後オリジナルの調で弾くことをお勧めいたします。

出版譜

「平均律クラヴィーア曲集」の出版譜が世に出たのはバッハの死後50年を経た1901年のことでした。出版譜が出るまでは自筆譜をはじめとする手書きの筆写譜によって伝承されてきました。最初の出版譜は時期を同じくしてライプツィヒのフォルケル校訂、ボンのシュヴェンケ校訂、チューリヒのネーゲリ校訂による3種類でした。これらの出版譜は死後世間から忘れ去られていたバッハの復興運動を起こす導火線の役目も果たしました。

1829年はメンデルスゾーン(1809生)によってマタイ受難曲の復活上演がバッハ縁の地ライプツッヒで行われ、それが大センセーションを巻き起こした年です。この時以後バッハの音楽の偉大さが広く再認識されることになり、1837年にはチェルニーの校訂による解釈付き「平均律クラヴィーア曲集」が出版されました。
1850年にはバッハ没後100年を記念してバッハ協会が設立され、バッハの全作品の校訂が始まることになります。何度も改訂の手を加えた自筆譜や沢山ある筆写譜を校訂する作業は半世紀もの年月を要し、バッハ全集の最終巻が出版されたのは1900年のことでした。このバッハ全集の中にあるクロル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」は当時としては最も権威のあるものでした。ビショッフ、ブゾーニ等の校訂者にも多大な影響を与え、多くの校訂版が出版されました。

当時としては画期的だったバッハ全集も第2次世界大戦を経て1950年には絶版になっていました。再版も可能でしたが、これを機会に新バッハ全集を作ろうという声が上がり、新バッハ協会が設立されました。旧バッハ全集が主に音楽的見地から校訂されているのに対して、新バッハ全集は文献的な見地から校訂されています。文献的とは現存するすべての資料を調査し、資料間の親子関係を明らかにし、その家系図を作り、さらに資料批判をするという緻密な作業で、今回もまた半世紀の年月を要しました。ゲッティンゲンのバッハ研究所で編纂されたデュル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」が出版されたのは1997年、最終巻の出版完了が伝えられたのは極最近のことで2007年6月13日でした。

新バッハ全集の校訂進行中に、イルマー校訂版、デーンハルト校訂版、トーヴィ校訂版などが相次いで出版されたことによって、従来の解釈的校訂版に替わって原典版ブームが起こり、通称ヘンレ版は音大生必携原典版になりました。しかし1出版社の1校訂者が世界中に散らばった資料の大捜査や資料批判をすることは個人の仕事としては限界を超えています。このことはゲッティンゲンのバッハ研究所でバッハ全集の編纂に携わった小林義武氏は「すべての資料のレチェンジオ(資料批判)を行って原典を探る仕事は、収益とは無関係に、国家の文化政策の一環としてのみ実現されるものである」と述べていることからも明らかです。新バッハ全集をもとにベーレンライター社から出版されたデュル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」も、ベーレンライター社に出版のみを委託したに過ぎません。
デュル校訂版は通称ベーレンライター版と言われていますが、本当は出版社名を言うのではなく、ゲッティンゲンのバッハ研究所編纂による新バッハ全集のデュル校訂版「平均律クラヴィーア曲集」です。
原典版の主流であったヘンレ社はベーレンライター社に負けじと2007年に更に新しい校訂版を出版しました。最新版は「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」に関する世界的権威である富田庸の校訂によるものです。

第2巻 プレリュードとフーガ 変イ長調

バッハが自ら移調した曲のひとつである平均律クラヴィーア曲集第2巻17番 変イ長調を取り上げます。プレリュードとフゲッタ ヘ長調 BWV 901 プレリュードこの曲はヘ長調のプレリュードとフゲッタ BWV 901として作曲されたものをバッハ自身が変イ長調に移調し、大幅な改作を行った上で平均律クラヴィーア曲集に収録しました。
写真をクリックしてご覧いただくとプレリュードには「3点ハ」が4回出てきます。バッハの時代の楽器は今より鍵盤数が少なく「3点ハ」が最高音でした。このプレリュードを変イ長調に短3度上げると演奏不可能な音が出てくるためにバッハは新たにプレリュードを書きました。ヘ長調の前作は静かなパストラーレ風、変イ長調の新作はバッハ円熟期の卓越したプレリュードです。

フーガはフゲッタとして作曲されたものでもともと23小節で終わっていました。
バッハはその後に27小節も付け加え、その継ぎ目が誰にも気づかれないほど上手に前半と後半のまとまりをつけています。

バッハの時代に一般的であった中全音律における変イ長調は極端な調です。
主和音「変イーハー変ホ」にウルフの5度を含むからです。さらに凝戮力族察嵎僖蹇縞僖法璽悄廚鉢催戮力族察屮悄縞僖ぁ璽蓮廚盒肪爾紛舛です。属和音だけが純正です。音楽理論家のシューバルト(1739生)は変イ長調を「墓の調性であり、死、墓、朽ち果てること、審判、永遠がその範疇にある」と述べました。さらにシリング
(1805生)も「霊や魂がゆらゆら揺れながら天国へと到達するかに見える」と述べました。

ではバッハの変イ長調はどうでしょうか。バッハの全鍵盤曲の中で変イ長調は平均律クラヴィーア曲集にある2曲のみです。
平均律クラヴィーア曲集第1巻17番のプレリュードは合奏と独奏が交替する協奏曲形式ですがこの曲ほど音楽的解釈が分かれる曲は珍しいと言えるでしょう。暗く荘厳な解釈、威風堂々としたフォルテの解釈、穏やかで優美な解釈、軽いスケルツァンド風の解釈などです。フーガはまるで鐘のように反響する主題によって「大寺院フーガ」と呼ばれ、厳粛な宗教的情緒を感じさせます。
平均律クラヴィーア曲集第2巻17番のプッリュードは整然とした流暢な流れがナポリの7の和音に向けて強烈な終結的盛り上がりに達する威風堂々とした佳曲です。フーガは48曲中最も卓越していると言われ技巧的かつ変化に富んだ雄大なフーガです。

もしもバッハが、平均律クラヴィーア曲集を編集する際に調性格の確立を主たる目的にしていたとしたら、ヘ長調だった初稿を遠く離れた変イ長調に移調できなかったのではないでしょうか。バッハの主たる目的は24すべての調を網羅することでしたから、#♭の多い調は#♭の少ない調から移調することも平気でやったのでしょう。

イコール式は調性という不確実な神話に囚われることなく、音楽にとって最も大切なことを教授することを目指しています。それは従来の絶対音感による鍵盤楽器教授法を相対音感による教授法に変えることです。絶対音感による教授法は、絶対音感という概念が定着した20世紀末以降の音楽にこそ相応しいのです。それ以前の音楽は、相対音感で捉える方が分かりやすいのです。



無農薬ピアノ

現代人はピアノといえば平均律と思い込んでいる人が非常に多いものです。何の疑いもなく平均律のピアノを購入して定期的に調律師に調律してもらうのが当然のこととされています。ピアノのユーザーは自分で調律することができないので、調律師まかせの平均律と言うのが暗黙の了解で常識となっています。ユーザーは鍵盤の重さやタッチの不揃いについて調律師に注文をつけることはあっても、音律まで注文をつける人は滅多にいないのが実情です。

平均律のピアノが一般に普及したのはイギリスのブロードウッド社が等分平均律に調律したピアノを1842年に市販した頃からです。それ以前は調によって変化を伴う不等分音律が一般的でした。不等分音律は調によって多彩な表現があるからこそ、作曲家は各自の好みによって特定の調に特定の性格を与えることができたのです。
それなのに平均律はすべての調を単純でモノクロの音楽にしてしまいました。それは丁度ドビュッシーの頃、平均律ピアノが普及し始めた時期と重なります。不等分音律から平均律への移行は音楽史に大きな溝を作ることになりました。

不等分音律の消失とともに印象派、調性の崩壊、12音音楽、無調、微分音、トーンクラスター、電子音によるミュージック・コンクレート、視覚的要素に大きく依存するインターメディア、不確定性の音楽、空間音楽、コンピューター音楽等などの新しい音楽が生まれました。

しかし現在、私たちが平均律のピアノで演奏している音楽の大半は不等分音律の響きで作曲された調性音楽です。ピアノのレッスンで弾く曲の大半が調性音楽であるにもかかわらず、音楽教室や音楽大学には平均律のピアノしかありません。平均律のピアノで弾いてよいのはドビュッシー以後の作曲家なのです。平均律のピアノでベートーベンやショパンを弾いても、その作曲家が意図した響きではありません。

無農薬野菜を食する人の舌は、農薬がかかった野菜を苦く感じ、野菜本来の味が損なわれていることを知っています。ピアノも全く同じことです。無農薬ピアノを弾く人の耳は、平均律で弾く調性音楽をモノクロに感じ、作曲者が意図した本来の美しい響きではないことを知っています。無農薬ピアノ、それは作曲された当時と同じ不等分音律で調律されたピアノのことです。私たちの耳は無農薬ピアノを弾くことによって初めて、今まで何の疑いもなく弾いてきた平均律が単純でモノクロであることを聞き分ける耳ができるのです。平均律は作曲家が選んだ調で弾いた時も、移調して弾いた時も、旋律や和声に何の変化もなくモノクロです。

イコール式は平均律を逆手にとった鍵盤楽器教授法と言えます。移調することによって、移動ドに読み替える手間を省きました。そしてすべての曲をハ長調とイ短調で記譜することによって、絶対音感を持つ人も、持たない人も、音楽を相対音感で捉えることを可能にしました。相対音感がもたらす音楽的成長は計り知れないほど大きなものです。



調性格テスト

オルガンの専門家であるケレタートが1978年におこなった調性格の聴取テストをご紹介します。

*被験者はピアニスト、チェンバロ奏者、オルガニスト、ピアノ調律師、オルガン等の製作者、音楽学者など40人。

平均律とキルンベルガーに調律したチェンバロを交互に弾くテストで、曲は平均律クラヴィーア曲集 1巻1番 ハ長調 プレリュードです。
この曲をロ長調、ハ長調、変ニ長調で演奏しました。

結果は平均律では音の高さが変わったことには気づいたが調性の違いを確認できた被験者は一人もいませんでした。
キルンベルガーでは純正の長3度でハ長調はおのずと分ってしまい、ロ長調と変ニ長調はどこかおかしいと感じられました。

次に平均律クラヴィーア曲集 1巻8番 嬰ニ短調 プレリュードをニ短調、嬰ニ短調、ホ短調で演奏します。

結果は平均律では特徴的な性格を持つ短調の表現に合わないと感じられた。
キルンベルガーではニ短調とホ短調は中立的で単に綺麗に響くだけ、嬰ニ短調は非常に説得力のある段階に達していると感じられた。*

以上の結果から言えることは平均律では音の高さの違いしか感じられず調性格は感じられないということです。一方キルンベルガーでは調性格の違いを実際に耳で確認することができたということです。

「平均律クラヴィーア曲集」は24の長短調が網羅されています。これらを、平均律で弾くと調性格は感じられずすべての調が同一のモノトーンです。何調で弾いても調性格に違いが感じられないのに何故24もの調短調で弾く必要があるのでしょうか。わざわざ難しい調で弾いて何のメリットがあるのでしょうか。

イコール式では、まず全曲をハ長調とイ短調で相対音感的にしっかりと理解することが大切だと考えます。この2つの調は階名と音名が一致するので、バッハの対位法を一目瞭然で理解し、内的聴覚でもって音楽を頭の中に記憶することができます。学んだ1曲1曲を記憶に留め、頭の中に財産として蓄積することが可能です。絶対音感に基づく固定ド読みで「平均律クラヴィーア曲集」を弾いたのでは内的聴覚でもって音楽を頭の中に記憶することが困難です。


良い音楽家とは

講演の題名である「よい音楽家とは」はコダーイ(1882年生)が約50年前に故郷のブタペストにあるリスト音楽アカデミーの終業式で語ったものです。
コダーイは作曲家としての他に、音楽教育のシステムに画期的な改革を行ったことで有名です。その改革とはトニック・ソルファを改良したソルフェージュ教育と「移動ド」唱法の導入、民族音楽の採用です。これらは日本にも「コダーイ・システム」として紹介されました。

まず、コダーイは音楽アカデミーの学生たちにシューマン(1810年生)著の「音楽の家訓と処世訓」を紹介しながら、ドイツの音楽教育がシューマンの理想とはかけ離れた欠点の多いものであったことを説明しました。
そして次にコダーイはこう述べました。「ハンガリーの音楽教育はシューマンの警告を意にも留めないでもっぱらドイツの悪い例に倣い、ソルフェージュ教育の痕跡すらなかったのです。ハンガリーの音楽アカデミーでは1882年になってやっとヴェルナーのコールユーブンゲンが使用されるようになりました。音楽の書き取りが導入されたのはその後の1903年のことです。」

コダーイが言う「音楽の書き取り」の意味は単に楽譜を書き写したり、楽譜をピアノの鍵盤に置き換えて指でなぞる行為とは全く違うものです。それは内的聴覚に基づくものです。ピアノの助けなしに初見視唱できる能力といってもよいでしょう。つまりソルフェージュと言われる音楽の基礎を意味しているのです。

以下はコダーイが講演で語った言葉です。
「輝かしいピアニストなのに、単純な一声部の旋律でもそれを書き留めることができなかったり、そんな旋律でも誤りなしに初見視唱することができなかったりするのです。こんなに内的聴覚が未発達なピアニストの場合、多数声部の複雑な曲などどう表象しようというのでしょうか。そんなピアニストは、指だけで弾いているのであって、頭と心では弾いていないのです。彼らは音楽家ではなくタイピストです。音楽アカデミーはポンポンとピアノを鳴り響かせるだけの高貴なお嬢さんを入学させることを目指すわけにはいきません。そんなお嬢さんたちは以前は「乙女の祈り」を弾き、今日ならバルトークの「アレグロ・バルバロ」を弾くことでしょうが、それが音楽とは全く関係のない人達であることは今も昔も変わりがないのです。」と述べました。
そしてコダーイは続けました。「卒業証書の名目上の価値と実際の価値との間のギャップはますます大きくなっていきました。学校が卒業証書を出すことによって、それを受け取った人の能力をはるかに超えた力量を証明したからです。」

「たしかに読譜ができなくても、名人的技量にまでこぎつけることはできます」

「訓練すべき初めの二つの要素はソルフェージュと和声楽式論によって習得されます。必要な捕捉は、できるだけ多面的な音楽活動によって行われます。室内楽や合唱に参加することなしには、よい音楽家になれないでしょう」

ここでコダーイが言っている「合唱に参加」するという意味はピアノ伴奏者としてではなく、自ら音程を取って歌うという意味です。アルトパートなどの内声は特に良い訓練になるでしょう。
ピアニストは自分の内的聴覚でもって次に出すべき音を頭に思い浮かべることができない人でもキーを叩けば簡単に目的の音を出すことができてしまいます。
自分の弾くピアノの音程が他者である調律師よって既に固定されているという鍵盤楽器特有の事情が内的聴覚を未発達のままにする大きな落とし穴になっているのです。

イコール式はこの大きな落とし穴に警鐘を鳴らすものです。内的聴覚なしでも鍵盤を叩けば音程がとれるという安易さのお陰で絶対音感的固定度読み鍵盤楽器教授法を推進してきました。内的聴覚は相対音感によって音の前後関係を認識して始めて習得できるものです。イコール式の目的の一つは内的聴覚を育成すことです。音符の読み替えなしでも移動ド読みができてしまう調、すなわちハ長調とイ短調による鍵盤楽器教授法を提案しています。

バッハのホ長調

バッハの鍵盤楽曲の中からホ長調についてを調べてみましょう。

当時最も傑出したオルガン奏者であったバッハは#♭3個までの調でオルガン曲を書きました。例外的に#4個のホ長調が1曲だけあります。それは「プレリュードとフーガ ホ長調 BWV 566」です。しかしこれはクレープスやケルナーが筆写した手稿譜ではハ長調になっており、ホ長調でもハ長調でも良いような曲です。

バッハはオルガン以外の鍵盤楽曲も#♭3個までの調が大半を占めています。#4個のホ長調は数えるほどしかありません。ホ長調は以下の8曲です。
インヴェンション6番 BWV 777
シンフォニア6番 BWV 792
フランス組曲第6番 BWV 817
平均律クラヴィーア曲集 第1巻の9番 BWV 854
同上          第2巻の9番 BWV 878
6つの小プレリュード BWV937
カプリッチョ「ヨーハン・クリストフ・バッハを讃えて」BWV 993
ヴァイオリンとチェンバロのための6つのソナタ BWV 1016

それではここでバッハが書いたホ長調の各曲の性格を一つづつ見てみましょう。
インヴェンションは軽やかで愛嬌があり、シンフォニアは田園的、フランス組曲は6曲中最も輝かしく、平均律のプレリュードは穏やかな気分、6つの小プレリュードは軽快なアルマンド、カプリチョは若さにあふれた活発な気分、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタは穏やかな田園的気分です。
マッテゾンが言う調性格のホ長調は悲しい曲想ですが、バッハのホ長調の8曲は明るく活発、静穏な癒しが感じ取れます。

マッテゾンはミーントーン音律におけるホ長調の性格、バッハは不等分平均律におけるホ長調の性格です。調性格は音律が違えば当然違ってきます。12等分平均律のホ長調はマッテゾンやバッハともまた違った性格になります。
ただしここではっきりしている事は、12等分平均律のホ長調は1種類、それ以外の不等分音律のホ長調は無限にあるということです。
さらに言えることは12等分平均律におけるホ長調は特有の性格を持たず全長調が同じものになるということです。不等分音律においてはこのようなことは起こりません。

ホ長調の性格

ホ長調と一口に言っても音律によってその音階構造が違ってきます。

ミーントーンのホ長調は遠隔調に属します。主和音と下属和音は純正の長3度ですが属和音は極端に広い長3度です。半音の「嬰ニーホ」は76セント、「嬰トーイ」は117セント、全音の「嬰ハー嬰ニ」は234セントとなり音階は特殊な緊張を生じます。

キルンベルガー兇離枋皇瓦麓舅族擦伐実囲族擦極端に広い長3度、下属和音は狭い5度です。半音の「嬰ニーホ」は92セント、「嬰トーイ」は103セント、全音の「嬰ハー嬰ニ」は204セントとなり音階は幾分平均律に近くなります。

ヴェルクマイスター靴離枋皇瓦麓舅族察属和音、下属和音ともに平均律とほぼ同じ長3度ですが、主和音と下属和音は純正の5どです。半音の「嬰ニーホ」は96セント、「嬰トーイ」は96セント、全音の「嬰ハー嬰ニ」は204セントとなり音階は平均律に近くなります。

マッテゾンはホ長調の性格を「死ぬほど辛い悲嘆」、フォーグラーは「身を切るように辛い」、クラーマーは「尊大さが際立ち癪に障る」、シリングは「大声の歓声、笑い喜びこそすれ、ホ長調にはまだ完全に楽しんでいる様子はない」、シュテファニーは「太陽の壮麗さのように晴れ晴れと明るい」、ベックは「精神的な暖かさ」、ミースは「耳をつんざくような、愛らしい」などと主観的で相反する性格が述べられています。

バッハのホ長調とハイドン、モーツァルト、ベートーベンのホ長調はそれぞれの作曲家が好んだ音律が異なります。ホ長調はそれぞれの作曲家の感受性によって独特の個性を持っています。

クルーサスは「審美論 1731年」において「十分な基盤があるとは思えないので、すべての音階を分類してしまったり、それぞれの音階に帰せられる効果や性格について語るのは差し控える」と述べています。




Bach の象徴14

バッハは数の象徴による数学的な計画を音楽のなかに織り込みました。
数の象徴とは例えば以下のようなものを言います。
3=三位一体
5=5本の指、人間
6=天地創造にかかった日数
7=安息日、聖なる
10=十戒
11=律法の拒否、11人の弟子
12=信徒、教会
13=ユダが裏切ろうとしていた時食卓には13人いたことから罪と災い
14=バッハ

14がバッハ(Bach)になるのは漢字の画数を足して総画が14になるというのに似た考え方です。ローマ字に画数があるのは変ですが、AからZまでの26文字を1から順に番号を付けていき、最後のZが24になります。ローマ字は26文字あるので、IとJは両方とも9画、UとVは両方とも20画と数えて最後のZが24画になるように帳尻を合わせます。この方法でバッハ=BACHを数えると、B=2,A=1,C=3,H=8ですから合計すると14ということになるのです。

バッハの代表作である《平均律クラヴィーア曲集》に網羅されている理論上考えられるすべての調の数は24、ローマ字による画数も24と共通しています。

また、バッハは《平均律クラヴィーア曲集》の最初のフーガを14個の音符からなる主題(1巻1番
C−Dur フーガの主題)で開始することによって第1巻の頭に自分の印章を押しました。実際の印章にもバッハは14粒の真珠を使っていました。

「イギリス組曲」「フランス組曲」「パルティータ」などは神が天地を創造したまいし6日間に敬意を表すためにそれぞれ6曲がセットになっています。

コラール前奏曲「これぞ聖なる十戒」では主題を10回登場させています。

またバッハは意味のある数字をたしたりかけたりした数字も象徴として用いました。
例えば21は「聖なる7」の3倍した数ということで「聖なる」という言葉を3回繰り返すという意味になります。
《平均律クラヴィーア曲集》の1巻24番、2巻1番、2巻24番といったけじめのフーガを7×3=21個の「聖なる聖なる聖なる」音符で構成した主題で結んでいます。
さらにある音楽が64小節で作られている場合は Kyrie(10+23+17+9+5=64)であるなど 、音楽の小節数と聖書の何章何節との関連や詩編の番号との関連による数の象徴は果てしなく続きます。

数の象徴の歴史についてはシュミット著『聖書における数』、エンドレス著『数の神秘と魔術』、ヤンゼン著『バッハ数の象徴』、フェルトマン著『数の神秘』、スメント著『バッハその名の呼びかた』『ルターとバッハ』、タトロー著『バッハの暗号 数と創造の秘密』などに詳しく述べられています。

ニッセンはバッハ年鑑(1951年)に書いた論文のなかで、バッハが平均律クラヴィーア曲集を「神の聖霊と天地創造で始まり、死せるキリストの復活で終わるキリスト教の世界のドラマを音楽で描いたもの」にするつもりであったと主張しました。

数の象徴がバッハの音楽に対してどの程度本質的なかかわりを持つかは研究者の意見が分かれるところですが、スメントらによって新たな研究分野が開かれたことは確かです。しかし数の象徴というものがあまりに際限なく広がってしまったために単なる「こじつけ」と見なす研究者もいます。例えばバッハ研究所に勤めたこともあるヴェントは「バッハと13」という挑戦的な題名の論文で何でもこじつけられるということを証明しようとしました。

2巻 嬰ハ長調 フーガ

バッハが自ら移調した作品のひとつである平均律クラヴィーア曲集2巻の3番嬰ハ長調フーガを見てみましょう。
バッハは#7個もの調号をもつ嬰ハ長調を平均律クラヴィーア曲集でだけ使用しました。
当時の調性格論者マッテゾン(1681生)は嬰ハ長調を「その効果がまだあまり知られていない」調に数えています。

このフーガはバロック音楽特有の高貴な華美に包まれていますが、その初期稿は素朴なハ長調フゲッタとして書かれたものです。(写真)
バッハは19小節しかないフゲッタを35小節に拡大し、トッカータ風の処理など大幅な手直しを加え、ハ長調を嬰ハ長調に移調して収録しました。初期稿
平均律クラヴィーア曲集は全曲が一度に書き下ろされたものではなく、折にふれて書かれたプレリューとトフーガを改作して編纂したものです。編纂時に移調されたと思われるものを以下にあげてみましょう。移調は調号の#♭が多いものから少ないものへ行われています。

1巻8番 変ホ短調フーガは 二短調から移調、2巻7番 変ホ長調フーガは ニ長調フゲッタから、2巻8番 嬰ニ短調は ニ短調から、2巻17番 変イ長調フーガは ヘ長調フゲッタから、2巻18番 嬰ト短調はト短調から移調されました。

平均律クラヴィーア曲集の中で音楽史上初めて用いられた調も幾つかありますが、そこで表現されている気分も従来になかった新しいものということはできません。
バッハは調性格の確立に重点を置いたのではなく、24すべての調を踏破することが「平均律クラヴィーア曲集」の目的でした。

バッハは移調によって音楽の本質が破壊されるとは考えていなかったのです。
イコール式で移調した楽譜も音楽の本質を破壊するものではありません。特に平均律でもって演奏する場合には全く利に適っていると言えます。
イコール式移調で音楽を相対音感的に学ぶことは良い耳を育てる最良の方法です。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
第1日曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
第4土曜日 輪奏会10:00 AM

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2018.3.21(水・祝)

第5回バッハ礼讃音楽会
2018.7.29(日)

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<プロフィール>
やわらかなバッハの会 代表 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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