やわらかなバッハの会

先入観念にとらわれることなく、自由にバッハの音楽を楽しむ会です。
イコール式音楽研究所

平均律クラヴィーア曲集

クロル校訂出版譜

クロル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」は異名同音移調をしています。この移調は、実際の音響としては変化がないものです。「平均律クラヴィーア曲集」の中にはバッハ自ら移調して編集したものが幾つかありますが、それらは異名同音移調ではなく、へ長調を嬰へ長調に移調して編纂するといった形です。ところが、旧バッハ全集の校訂者クロルは以下の異名同音移調をしています。

第1巻8番フーガ        嬰ニ短調を変ホ短調に
第2巻3番プレリュードとフーガ 嬰ハ長調を変ニ長調
第2巻8番プレリュードとフーガ 嬰ニ短調を変ホ短調に

クロル版は19世紀の知識の集大成として未だ注目に値するものですが、クロル式移調の一部が後世に引き継がれ、第1巻8番、嬰ニ短調フーガを変ホ短調に移調してプレリュードとの統一を図った版は、ブゾーニ、バルトーク、カゼッラ、園田高弘版などに見られます。第1巻8番以外の異名同音的移調は、近年ではあまり見られなくなったようです。

クロル校訂の「平均律クラヴィーア曲集」は旧バッハ全集第14巻として1866年にブライトコップフ社より出版されました。批判的原点版に先立つこと100年以上前に出版されたために、ロンドン自筆譜などの重要な資料を知らないで行われたものの、19世紀の学問の非常に大きな業績でした。トーヴィー、ビショフ、ブゾーニなど、その後のほとんどの校訂譜はクロルの校訂譜をもとにしているほどです。

第2巻8番、嬰ハ長調を変ニ長調に移調した楽譜をあまり見かけなくなったせいかもしれませんが、シャープ系の嬰ハ長調は「明るく高い調」であり、フラット系の変ニ長調は「沈んだ低い調」であるから、移調すると情緒が全く変わってしまうと考える人が多いのです。

等分平均律のピアノは何度も言いますが、どの調であっても明るかったり暗かったりすることはありません。どの調も皆同じ明度です。等分平均律のピアノを弾きながら嬰ハ長調は明るく、変ニ長調は暗いと考える人は、実際の音を聴いていないと言わなければならないでしょう。

他方、古楽の習慣から言えば、バロック・ピッチは現代より約半音低かったので、嬰ハ長調の楽章は今日のピッチで言うとハ長調のピッチになります。つまり実音記譜すると嬰ハ長調はハ長調で書くことになります。嬰ハ長調の楽章を、変ニ長調やハ長調で記譜することが、間違っているとは言えないのです。

また、「平均律クラヴィーア曲集」第2巻の成立過程を調べると、嬰ハ長調の楽章はハ長調で作曲した後、移調して編集されたことがわかります。ハ長調で書かれた楽譜はバッハの弟子アグリーコラの手写本にあり、これは全音から出版されているベーレンライター原典版 P.352 で確認することができます。さらにもっと初期のバージョンは同書 P.358 に掲載されています。

しかし、ピアニストやピアノ科教授にとって信じきっていたことを捨てなければならないのは難しいことでしょう

昔のピッチ

古楽の演奏会に行くと、プログラムに書いてある調と、実際の音が違うことがある。プログラムにハ長調と書いてあっても、絶対音感者の耳には、ロ長調に聴こえるらしい。バッハの時代は、今日のピッチより半音程度低かったので、古楽では低いピッチを採用することもある。ピッチとは音高のことであり、今日の標準ピッチは a’= 440とされているが、近年はa’=442、445と上昇傾向にある。
a’ はピアノの「1点ラ」音が440Hzと言う意味であるが、標準ピッチが440Hzと決定されたのは1938年のことである。従ってバッハをはじめ、日頃親しんでいるピアノ作品のほとんどが、標準ピッチ以前の作品であり、ほとんどの作品を作曲家のピッチと違うピッチで演奏していると言える。

ここでピッチの歴史を調べてみよう。
最古のメロディーであるグレゴリオ聖歌は、ピッチと無関係に、口承されるものであった。9世紀頃に楽譜が登場し、それまで歌い手の記憶に頼っていたグレゴリア聖歌がネウマ譜に書かれることによって、人々は音に高さがあることを知り、旋律を異なる高さでハモることを発見した。やがて、2つ以上のメロディーを同時に演奏する多声音楽の興隆とともに、ネウマ譜は五線となり、そのまま今日に及んでいる。しかし今日の楽譜と違う点は、音の高低の動きを示すことができたが、記譜された音と実際の音が無関係であったことだ。ピッチは歌手の声域如何によってその都度決められた。1523年のアーロンの著作はハープシコードの調律法について、最初のC音を任意のピッチに置いてよいと教えた。また、ガナッシは1542年の著書で弦楽器と声のピッチは作品や演奏能力に合わせて自由に変えて良いと教えている。

減4度と長3度、鍵盤上では同じ音

本稿は《平均律クラヴィーア曲集》第1巻No.4 嬰ハ短調フーガの第1主題に出てくる減4度音程についての考察です。

このフーガはバッハの古典的対位法の技巧が見事に織り込まれた堂々たる5声フーガです。レーガーが「史上最も困難なクラヴィーア曲」と言ったほど充実した傑作です。

その第1主題はゆっくりと重々しく・・・嬰ハー嬰ローホー嬰ニー嬰ハ・・・・と奏されます。 

この音型は倒れた十字架の形をしており、辛うじて起き上がっては重荷に耐え切れず再び崩れ倒れていくようなテーマです。十字架を背負って苦しみあえぎながら起き上がるとこを「嬰ローホ」の減4度音程で表現しているとも言われます。

楽譜づらを見るといかにも「嬰ローホ」の減4度が苦しいあえぎを感じさせますね。
が、目を転じて鍵盤を観ると、弾いているのは白鍵の「ハーホ」であり、ハ長調の明るい長3度を感じませんか。

実際に耳に届く音程は減4度で書いても長3度で書いても、全く同じ鍵盤、全く同じ音程です。
弦や管は奏者の微調整によって、減4度と長3度を区別することが可能ですが、如何せん12の鍵盤しか持たない鍵盤楽器には不可能な話です。このジレンマを解消すべく、「嬰ハ」の鍵盤が3つもあるような純正調オルガンが作られましたが、演奏の困難さから実用にはいたりませんでした。
12の鍵盤しかもたないピアノに座って、いかに名ピアニストが苦悩の表情をして搾り出すように「嬰ローホ」を弾いても、彼が念じた減4度はハ長調の長3度に変わりないのです。

あなたのピアノはこのように減4度も長3度も弾分けられない不自由な楽器です。
しかもあなたのピアノは恐らく昔の不等分音律ではなく12等分平均律でしょう。
12等分平均律は「嬰ローホ」と「ハーホ」が同じであるばかりでなく、半音上げて「嬰ハーヘ」も「ニー嬰へ」もどこをとってもすべて同じ音程です。
従ってフーガにある減4度を、どこで弾いても同じですね。つまり、何調で弾いても同じですね。
ただピッチが変化するのみです。ピッチにこだわるのは絶対音感の弊害に過ぎないことは『やわらかなバッハ』に詳しく述べさせていただきました。
結論として、《平均律クラヴィーア曲集》をオリジナルの難しい調で弾く必要などどこにもありません。
全48曲をハ長調とイ短調の基本になる調で示した《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》をご活用ください。

{補足}

鍵盤楽器における「嬰ロ−ホ」=「ハーホ」の音程を主な音律別に示すと

ミーントーン、キルンベルガー機Α386セント(純正長3度)
ヴェルクマイスター記供ΑΑ390セント
キルンベルガー供ΑΑ392セント
ピュタゴラス・・・408セント

倒れた十字架の主題をバッハが弾いた時、どの音律の減4度を使ったのか興味の尽きない問題です。
今日の12等分平均律ではなかったというのが通説ではありますが。

リューティーの調性格論

調性格と言うとまずマッテゾンの名前が出ますが、調性格論者は他にも大勢います。
その一人、リューティーはモーツァルト作品の調性格について述べました。
Luthy : Mozart und die Tonartencharakeristik 1931

モーツァルトは調性の選択に関してバッハより禁欲的で、中全音律でよく使われた調、すなわちシャープやフラットの少ない調で作曲しました。
また長調に比べて短調が非常に少ないのもモーツァルトの特徴です。

モーツァルトが聴いていた響きは、現在私たちが耳にする等分平均律の響きとは全く異なることを、念頭において以下の調性格をお読みください。
等分平均律を前提に作られた作品はドビュッシー以降になります。


ハ長調 真実の調性、説教じみた教示、警告であり、同時に論理的観察の場麺では中立的立場を取り、感情の無い場面をより深化させる調性

ト長調 中立的な調性で、素朴で陽気な人間に使われる。生の喜びを素朴に心から表現するための調性である。

ニ長調 むしろ外面的な場面、喜び、軍隊の果敢さ、残酷さ、復習、グロテスクなブッフォ・アリア、序曲、男性の決断、動じないことを表現する。

イ長調 美しさ、輝き、高揚した生への実感、少し浮き浮きして、おどけて、優雅に、皮肉に、溢れる情緒、生きる喜び、

ホ長調 特別に個性的な調性、気高く気品に満ちた気分、グロテスクで辛辣と思われる場面、朝の気分

変イ長調 秘密に満ちた暗い調性

変ホ長調 深い感情を持つ調性、深い愛情ばかりでなく、悩みをもたらす愛の苦悩をも表現し、木陰の場面、墓の場面などでも現れる

変ロ長調 柔らかで夢想するような気分、慰め、同情、恋愛する人々。ユーモア、技巧的アリア。

ヘ長調 中立的な調性、女中のアリアにおいては素朴な人間が喜ぶ場面で使われるが、さらに内面的、憧れ、穏やかな気分、慰めになる場面を表現する。


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イ短調 本の少し悲しみが感じられるだけであり、イ短調はごく稀にしか使われない。

ホ短調 陰気で悲劇的な要素、憂鬱。極稀にしか使われない。

嬰へ短調 陰気で悲劇的な瞬間

嬰ハ短調 嬰へ短調と同じく陰気で悲劇的な瞬間

ヘ短調 魂の崩壊、うつろで絶望的。

ハ短調 不吉なもの、陰鬱な和音、荒々しい情熱、過度の恐怖、危険を描写する、闇の性格、陰鬱な死への思い、怒り、死へのぞっとする恐怖、悲劇的、痛み、絶望

ト短調 悲劇的な苦しみ、闇、最も深い憂鬱、絶望的な死への予感、苦しみ、途方にくれる、魂のひどい痛み、ナポリの6の和音と共に使われて最高の盛り上がりを示す。

ニ短調 多くの情緒の活動、超自然的な力、ぞっとさせる人間、あの世の恐ろしさ、陰鬱な気分、絶望と恐怖の描写、運命の重さ、不気味なもの。

[ケレタート著「音律について」竹内ふみ子訳]

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これを書きながら、同じ調性の中にこうも沢山の性格があっては、どれが調の性格なのか迷ってしまいます。
例えばニ長調では「喜び」と「残酷さ」という関連の無い言葉が一緒に記載されています。

リューティーだけを見ても迷いますが、マッテゾンの調性格論を見ると、ニ長調は「元来鋭く、わがままな調性で騒動や陽気で好戦的なもの、元気を鼓舞するようなものにおそらくもっとも適合するが、トランペットの代わりにフルート、太鼓の代わりにヴァイオリンが支配するならば、この硬い調性も繊細なものへの行儀の良い不思議な導き手となるであろう」とますます混乱してしまいます。

それだけではなく、シューバルト、シリング、フォーグラー、ミース、シュテファニー・・・・などが各人各様の調性格を述べているのです。

調性格とはいったい何者でしょうか。
不確実な調性格というものへのこだわりを一旦横に置いておきましょう。
ハ長調とイ短調に移調した「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」
は音楽の正しい理解を支援します。

富田庸の日本講演

富田庸を迎えて「バッハの自筆譜からわれわれは何を学べるか。演奏者と研究者の永遠の課題」と題する講演が日本で行われました。
(2008年10月28日、於国立音楽大学 6号館)
今回は日本音楽学会のパネリストとして、英国クィーンズ大学から訪日された日本人教授、富田庸の特別講演でした。

富田庸は現在英国クィーンズ大学音楽学部教授。
バッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻(ヘンレ社)の校訂者として世界の注目を集めている気鋭の研究者です。
バッハ関係の書籍、楽譜、論文、雑誌などのデータを集めたウェブサイト「Bach Bibliography」の編集者としても有名です。

講演会には礒山雅、江端伸昭、加藤一郎、渡邊順生の他に、お名前とお顔が一致しないけれども多分専門の研究者と思しき方や音楽学生たちが多数参加していらっしゃいました。

講演中、富田庸は学生たちに向かって「食べ物をスプーンで口に入れてもらうのですか」と問いかけられ、自発的な発言や質問を促されましたが、学生たちは余りに偉い先生を前にして発言する勇気が出ない様子でした。
日本の学生気質かもしれませんね。
学生に代わって、専門の研究者たちのから活発な質問が飛び交い、高度な議論が戦わされました。


当日の講演内容から自筆譜に学ぶバッハの意図について2点だけご紹介しましょう。
富田庸のパソコンから会場のスクリーンにバッハの自筆譜が映し出され、参加者はそれを見ながらお話の内容を実際に確認することができました。

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1)平均律第2巻 g:Moll プレリュード、 第3小節、バスの最後の音[Es]のリズム的位置について

バッハの自筆譜をよく見ると、ソプラノの32分音譜とバスの16分音譜を縦に揃えて書いてあり、バスの音[Es]を複付点のリズムでソプラノと揃えて弾くことを示唆している。
当時は複付点という書き方が無かったので、このリズムをフィナーレやシベリウスで入力すると、バスの音が間に入ってしまう。
新バッハ全集もバスの音が間に入っており、間違って弾いてしまう楽譜になっている。


2)平均律第1巻 h:Moll フーガ 第17小節後半から始まる美しいエピソードの連桁について

バッハの自筆譜では、エピソード部分の8分音符が2連桁になっている。これは2連桁ごとに和音が変化することを示唆している。
新バッハ全集もヘンレ版も(第1巻の校訂者は富田庸ではない)エピソード部分を4連桁で書いているがバッハは2連桁で書いている。

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講演中、富田庸は連桁のことを、「ビーム(Beam)」と言われました。Beamを日本語に翻訳しようとなさるのですが、外国生活が長くなられたせいか、「連桁」という日本語を思い出せないご様子に、会場から「連桁」と助け船が出る場面もありました。「ビーム」という言葉は講演会後の食事会の時でも、ちょっとした流行語になっていました。

筆者は今回、講演会と食事会の他に、富田庸と個人的に長時間にわたってお話させていただきました。
筆者がこの度出版した 「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」カワイ出版 に興味を持ってくださったことからお話させていただく機会を得たものです。
氏は、英国で時々資料と照らし合わせながら《イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集》をワクワクしながら全曲お弾きになったそうです。《イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集》は全48曲を1音たりとも省略せずにハ長調とイ短調に移調したものです。この発想が富田庸のご著書『Fugal Composition, A Guide to the Study of Bach's '48'』 に 近いとおっしゃいました。
そして、氏から「出版譜として世界で初めての貢献」とお褒めの言葉をいただきました。
大変貴重なことを沢山学ばせていただきましたことに心より感謝申し上げます。

長〜い曲

演奏時間が長過ぎる曲は沢山ありますが、一人の人間の一生の間では曲の最後まで聴くことができないほど長い曲もあります。

演奏時間の長い順に

639年・・・ ケージ「ASLSP」
336年・・・ シュトックハウゼン「336年」
102年・・・ ノールハイム「Poly-Poly」
5年・・・ 小杉武久「革命のための音楽」
12日・・・ ヤング「12日間のブルース」
28時間・・・ シュトックハウゼンのオペラ「光」
18時間・・・ サティー「ヴェクサシオン」
15時間・・・ ワーグナー「ニーベルングの指輪」

ワーグナーの長大な「ニーベルングの指輪」は有名ですが、その前のサティーの曲は日本で実際に演奏されました。約40年前に、日本の大御所の作曲家、湯浅譲二らによって奏者のリレー式で実際に18時間かけて日本初演されました。日本初演のあとは続いてないようですが。

演奏時間に史上最長の曲はアメリカの作曲家ジョン・ケージ(1912〜1992)が作曲した「ASLSP」です。ケージが作曲した「出来る限りゆっくり」というオルガン曲の意図を汲んで、639年もかかる作品になりました。演奏はケージの死後にジョン・ケージ・オルガンプロジェクトが企画し、現在演奏が進行中です。

639年かかる曲はドイツの教会で2001年9月に演奏が開始されました。
約5年後の2006年1月に最初のコードから2番目のコードに移り、このコードは数年間鳴り響くことになります。
オルガンは新たな音の必要に応じてパイプを継ぎ足していく方法で
演奏されます。
639という数字はこの教会のオルガンが設置された1361年から演奏開始の2001年までの年数が639年になることから名付けられました。

ジョン・ケージ「出来る限りゆっくり」オルガンプロジェクト

プロジェクトは「変化の早い現代社会における平静と緩慢な時の流れの再発見」といったコンセプトを語っています。
639年は我々の時間概念からすると、とてつもなく長い曲ですが、宇宙的な時間から考えるとほんの一瞬かもしれません。
天地創造から今日までを考えるだけでも無限大の時間ですし、更に神様が天地創造の前に何をしておられたのかと考えると、気が遠くなる程の時間です。

時間や空間という概念が全く異る次元では、639年という時間も、緩慢な時の流れというより、長くも短くもない時間なのかもしれません。

私は《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》
に、時間もリズムも超越した永遠のハーモニー、宇宙の調和を感じます。

そして、バッハの時間やリズムは、モーツァルトのそれとは全く異質です。
誤解を恐れずに言うならば、バッハにはリズムが無く、モーツァルトにはリズムがあると言った方が分り易いかもしれません。

異名同音

異名同音について考えてみます。

質問:「嬰ト」と「変イ」は同じ音ですか?


答え1:鍵盤楽器では同じ鍵盤、異名同音です。


答え2:ヴァイオリンでは異なる音、「嬰ト」は「変イ」より低い音です。





質問:「ハー嬰ト」と「ハー変イ」はどちらが美しい響きですか?


答え1:鍵盤楽器ではどちらも同じ鍵盤、同じ響きです。


答え2:ヴァイオリンでは異なる響き、「ハー嬰ト」は増5度なので不協和音程、「ハー変イ」は短6度なので協和音程です。




2つの質問から明らかになること、それはヴァイオリンにはできることが鍵盤楽器にはできないということです。
鍵盤楽器は演奏中に音程を微調整できないので、異なる2つの音を一つの鍵盤で間に合わせるしかないという宿命を負っています。
異名同音とは「嬰ト」でもなく「変イ」でもない、妥協の音です。


どのみち、帯に短したすきに長しの異名同音で切り抜けるしかない鍵盤楽器は、試行錯誤を経て、今では1オクターヴを機械的に12等分した平均律が君臨するに至りました。


平均律の鍵盤楽器は、どの音程も半音の数の和でしかなく、金太郎飴です。
従ってどの調で弾いても金太郎飴です。

平均律の鍵盤楽器で弾く限りは、「バッハ平均律クラヴィーア曲集」を難しい調で演奏しても金太郎飴ですから、音階組織や和音の響きに何の変化もありません。

調を変えるとピッチの変化が起こっているだけなのですが、これを調性格が変わったと勘違いする人も少なくないようです。


音楽を正しく理解するためにも、ハ長調とイ短調に移調して弾いてみてはいかがでしょうか?
イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集

マッテゾンの調性格

バッハと同時代に生きたマッテゾンは調性格の代表者といえるでしょう。バッハが1冊の著書も遺さなかったのに比べてマッテゾンは実に多くの著書を書きました。

彼は最初の大著『新管弦楽法』(1713年)の「アフェクトの表出における音楽の性質と働きについて」という項目のもとに調性格を述べました。

マッテゾンの調性格が普遍的なものと考えることは避けたいものです。なぜなら、彼は調性格について次のように述べています。

「調の性格について何か確実なものを定めようとすればするだけ、おそらく、意見の違いも表面化してくるように思われる。この問題をめぐる見解はほとんど数えきれないほどあるからである。その理由としてただ一つ考えられるのは、人間の体液の組織が一人一人非常に異なっていると言うことである。それゆえ、例えばある調を多血質の人は楽しげで快活に感じ、一方、粘着質の人は、ものうく、嘆き、悄然としているように感じたとしてもまったく不思議はないのである」と。

また彼は後に次のようにも述べています。

「調の性質については、何も絶対的なことを言うことはできない。なぜならどんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりする事はできないからである」と後に述べました

マッテゾン自身もバッハの《平均律クラヴィーア曲集》と同じように、24の調を網羅した『通奏低音大教本:48の範典 Grosse General-Bass Schule』 を1731年に作曲しました。しかし24の調性格を作り出したのではないことは、マッテゾン自信の言葉から明らかです。

バッハも同じころに 《平均律クラヴィーア曲集》 を編集しましたが、やはり24の調性格を確立しようとはしていません。それどころか、バッハは、移調を試みた曲もあっての24の調なのです。

バッハとマッテゾンは同じ世代ですが、調性格の感じ方には個人差があります。
マッテゾンの調性格だけを普遍的なものと考えることは非常に危険です。以下に述べる《平均律クラヴィーア曲集》に見るバッハの調性格をご参考の上、マッテゾンの調性格も参考としてお読みください。


1.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の編集目的は、24の調をすべて網羅することでした。決して調性格を24種類も確立しようとしたのではありません。バッハは、よく使われる調で作曲したものを遠隔調に移調するという方法も使いました。もし、移調によって音体系や曲の性格が全く変わってしまうなら、バッハがそのような方法をとらなかったはずです。バッハは移調によって曲想が変わるとは考えてなかったから移調を試みたのでしょう。


2.バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において当時あまり使われなかった未知の調に挑戦したわけですが、未知の調性格に挑戦したのではありません。バッハは史上初めて24すべての調を網羅した曲集を編纂ししたのですから、それまでに使われたことの無い遠隔調の開拓がおこなわれました。が、遠隔調に新たな性格を付したとはいえないでしょう。


3.もし、普遍的な調性格というものが存在するならば《平均律クラヴィーア曲集》の中の同一調は同一性格でなければなりません。しかし実際には同一調であっても全く異なる調性格の曲が多いのです。中には対照的と言えるものもあります。


4.あなたのピアノは12等分平均律ですから、どの調で弾こうと調性格は皆同じです。バッハも《平均律クラヴィーア曲集》を弾くにあたって、24すべての調が破掟なく演奏できる調律を使用しました。それは必然的に限りなく12等分平均律に近い調律になります。12等分平均律に近づけば近づくほど、調性格は皆同じになってきます。


5.《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤楽器を前提としています。鍵盤楽器はヴァイオリンなどとは違って演奏しながら音程の微調整をすることは不可能です。例えば「ドーミ」は長3度、「シ♯ーミ」は減4度です。言い方は違えど、鍵盤楽器で弾くとどちらも同じ鍵盤を弾くことになります。これに対して、声楽、弦楽器、管楽器などは、音程の違いを弾き分けることが可能なのです。以上のことから考えて、鍵盤楽器で演奏する場合は、たとえ不等分音律であっても同じ鍵盤を弾く以上、長3度と減4度の違いを弾き分けることは不可能なのです。

以上のことを踏まえた上で、マッテゾンの調性格を参考にしましょう。調性格は、12等分平均律の鍵盤楽器には存在しないことを再確認しましょう。「ト長調は云々・・・」と言いたいならば、鍵盤楽器以外のもので演奏することです。

以下はマッテゾンの調性格の一覧表です。

1 ハ長調・・荒削りで大胆、喜びを発散するのに適す、
うまく使えば優しさと愛らしさを表現しうる
2 ハ短調・・・並外れて愛らしい、哀しい、温和すぎる
3 嬰ハ長調・・(変ニ長調)記述なし
4 嬰ハ短調・・記述なし
5 ニ長調・・幾分鋭く頑固、騒動、陽気、好戦的、元気を鼓舞するようなもの
       フルートやヴァイオリンが支配的になると繊細な曲になる
6 ニ短調・・・信仰深く穏やか、高貴で満ち足りた性格、祈りの心、平安
流れるような愉快さ
7 変ホ長調・・非常に悲愴、深刻に訴えかける、
        官能的な豊かさを嫌う
8 嬰ニ短調/変ホ短調・・記述なし
9 ホ長調・・絶望、死ぬほど辛い悲嘆、恋に溺れてまったく救いのない状態、切り込み、傷、肉体と魂が宿命的に切り裂かれる
10 ホ短調・・・深く沈み考え込む、重く悲しい気分、
慰めを期待しうるが楽しげな要素はない    
11 ヘ長調・・世界で最も美しい感情を表現する、洗練をきわめる、
寛大、沈着、愛、徳、自然な物腰、比類の無い能力
長調であるのにこの上なく愛情のこもった表現ができる、
4番目の音にフラットを有しているが楽しげな作品にも使われる
12 ヘ短調・・・穏やかで平静、深く重苦しい、絶望的、死ぬほどの心の不安
        暗く救いようのないメランコリー、恐怖心、戦慄
過度に感動的、救い難い憂鬱、恐怖を抱かせる、
13 嬰ヘ長調・・記述なし
14 嬰へ短調・・ひどい憂鬱、悩ましげに恋に夢中になっているような感じ、
孤独、厭世的、
15ト長調・・人を引きつけ雄弁に語る、輝き、真面目、活発
16ト短調・・・最も美しい調性、優美、心地よい、憧れ、満足、
真面目さと活気ある愛らしさを合わせ持つ
中庸な喜びと嘆きにもふさわしくまったく利用範囲の広い調
17 変イ長調・・(嬰ト長調)記述なし
18 嬰ト短調・・記述なし
19 イ長調・・・非常に攻撃的、嘆き悲しむ、
特にヴァイオリンを使用した音楽に合う
20 イ短調・・・少し嘆く、品位ある、落ち着き、
眠りを誘うが不快なものは全く無い
鍵盤楽器に適している
21 変ロ長調・非常に気晴らしに富む、華やかさと控えめな性格を併せ持つ、
       壮大、愛らしい
22 変ロ短調・・記述なし
23ロ長調・・敵対的で硬質、不快、絶望感
24ロ短調・・・奇怪、不快、憂鬱、めったに用いられない
       このような性格が修道院から排斥される原因になった

[マッテゾン「各調性とアフェクト表現上の作用について」
                     礒山雅―編 山下道子―訳]

マッテゾンがシャープ、フラットの多い遠隔調については「よく知られていない調性」と述べるにとどまっていることから、中全音律的視点がうかがえます。
調性格を述べるに当たってはどの音律かということが前提になるはずですが、ほとんどの論者がこれを明記せずに述べているのは不思議というしかありません。
また一つの調について音楽家の感じ方によってその調性格はまちまちで、恣意的なものと言わざるを得ません。

マッテゾンとバッハの感じ方が違うから恣意的であるというだけではなく、同一の作曲家によっても恣意的である例をあげましょう。

例えば「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調です。
1巻9番ホ長調プレリュードは幸福な牧歌的情緒、フーガは熱烈な青春の喜びが音の奔流となって躍動しています。
2巻9番ホ長調プレリュードは穏やかな淡い光に満ちており、フーガはパレストリーナ様式の厳かな宗教合唱です。

同一作曲家(バッハ)が同一音律で作曲したホ長調なのに、その調性格は牧歌的、青春の喜び、穏やか、宗教合唱と全く統一性がありません。
またホ長調についてマッテゾンは「死ぬほど辛い悲嘆」と述べています。《平均律クラヴィーア曲集》に見るホ長調の性格とかけ離れています。もっとも、マッテゾンが述べたホ長調は中全音律的視点が感じられ、中全音律のホ長調は属和音(ロー嬰ニー嬰ヘ)がマッテゾンの言葉もなるほどと思われるほどに極端な響きではあります。一方バッハは24すべての調に適合する音律でなければならなかったので、使用できる調性に限りがある中全音律ではなかったことは確かです。バッハは12等分平均律に近い調律を用いたので、調による調性格の統一はなされていません。

それにしても、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調とマッテゾンの言うホ長調の調性格はあまりに対照的です。特に鍵盤楽器における調性格は主観的で不確実なものでしかありません。
調性格論者の代表マッテゾンさえも晩年になって、自分が「新管弦楽法」で発表した調性格論を後に取り下げているのですから。
調性格について、確かに言えることは長調と短調の2つの性格しか存在しないということです。

これらのことを考慮した上で、《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》はハ長調とイ短調に限定して移調しました。
12等分平均律の鍵盤楽器で弾く限りにおいて、すべての調性はこの2つの調に集約されるからです。

ここで大事なことは弦や管のように、音程を自分で作る楽器は調性の違いを表現することが可能ですが、12等分平均律に固定されている鍵盤楽器で調性の違いを表現することはできないということです。
12等分平均律においては調性格という問題が純粋に精神的なもの、作曲者と演奏者に架空の世界の問題として存在するものとなりました。調による性格の違いはおとぎ話になり、作曲家には長調にするか短調にするかの選択肢しか残されていないのです。

イコール式がハ長調とイ短調2つの調だけで鍵盤作品を記譜することにした理由は、ハ長調とイ短調で音楽の正しい理解への道を開く必要性からです。
最初からオリジナルの調で弾こうとして、固定ド読みするのは音楽の正しい理解を妨げるものです。
《平均律クラヴィーア曲集》をまずハ長調とイ短調で弾き、その後オリジナルの調で弾くことをお勧めいたします。

ストラヴィンスキー

>筝の調律に関して、アメリカの音楽評論家ピーター・イェーツは、ストラヴィンスキーの逸話を次のように伝えている。
「ある晩、わたしは、この国(アメリカ)へ最近やってきた日本の音楽家の筝の演奏を聴くために、ストラヴィンスキーと何人かを家に招いた。演奏家は、平均律で調律された筝のための現代作品を選んで演奏を始めた。そのあと、同じ調律で古典曲が演奏されたのを聴いて、ストラヴィンスキーは調律が楽器に合っていないと異議を唱えた。ストラヴィンスキーはこの楽器に関する過去の経験もなく、正しい音程による音律も知らなかったが、彼の鋭敏な耳はただちに、この筝奏者が気付かずに何かを忘れているということを、また、筝と音律とは一体であるということを教えてくれたのである」 (「響きの考古学」藤枝守 著)

この逸話の「筝」は平均律で調律されていたため、最初に演奏した現代作品では何の問題もなかったのですが、古典曲の演奏になると調律が適切でないことがストラヴィンスキーによって指摘されました。
つまり、筝の古典曲は三分損益法で作曲されたものなので、現代曲と同じ平均律で演奏すると、本来の曲想が得られないという至極当たり前の話です。

今度は、この逸話の「筝」を「ピアノ」に置き換えて是非もう一度お読みください。
「筝」の逸話はたぶん誰にでもご納得いただけると思いますが、「ピアノ」に置き換えるとどうでしょうか。

ピアノの場合の古典曲とは平均律が一般的になってきた1850年以前に作曲された曲すべてを指します。
多くのピアニストが、バッハやモーツァルトといった古典曲を演奏する時、それらが平均律では作曲されていないということを忘れています。

ピアノの調律が平均律に移行したは音楽の内面的な理由と外面的な理由によります。それは調性の崩壊を経て12音セリーに向かった内面的な理由と、産業革命後にピアノの大量生産時代が始まったという外面的な理由からです。
従って平均律で作曲されたものは近代以降と現代の作品ということになります。

ストラヴィンスキーのように鋭敏な耳を持たない現代のピアニストは、古典曲を平均律で弾くことにあまり抵抗を感じません。
また、多くのピアニストが平均律で弾いても調性格があるという妄想を信じています。
バッハの弟子であったキルンベルガーは「平均律は作曲家に長調にするか、短調にするかの選択しか残さない」と述べました。
調性格は平均律になる前の非平均律で演奏した時に生じるものであると言うことを忘れて調性格妄想に取り付かれているピアニストが多いのです。

弦楽器など、自分で音程を調整しながら演奏する楽器の奏者は調性格があると言えますが、平均律に固定された鍵盤楽器の奏者にとって調性格は存在しません。
平均律が数学的に割り切れない無理数であることから、今日まで完璧な平均律が存在せず、調律師のさじ加減で調律されることも事実ですが、さじ加減が調性格になることは有り得ません。

調性格 ###### 嬰ヘ長調

嬰へ長調の調性格   ケレタート著「音律について」


#悪いイメージのもの
・マッテゾン・・・・稀にしか使用されないためまだ効果はよく知られていない

・ハイニヒェン・・・全く使用できないもの

フォーグラー・・・ロ長調よりも一層ひどく耳をつんざくような


#良いイメージのもの
・クラーマー・・・・高貴な誇りと崇高な誇りとが素晴しく混合された調整であり、聴く者を感嘆させる

・シューバルト・・・嬰ヘ長調ではなく、変ト長調の特徴を困難の克服、上り終えた丘の上での開放された呼吸にもたとえられる調性である

・シリング・・・・・嬰ヘ長調は変ト長調より一層明るく、鋭い調性でより強い情熱の表現に適している


#不明のもの
・ミース・・・・・・嬰ヘ長調は非常に多様である。変ト長調にもまた不変の性格は見つからない

・マルクス・・・・・この調性はエンハーモニック(両義的)な使用によって、不確実、疑わしいものに限定して使われる


嬰ヘ長調については悪いイメージものも、良いイメージのもの、不明のものが混在しており、共通するの調性格が見ありません。

これらのイメージは不等分音律で演奏した時の感じ方を記したものです。今日私たちが使用している平均律で演奏するとすべての調が同じ音階構造のため、調による違いが存在しません。

#が沢山ついた嬰へ長調もフラットのついた調もすべてが同じ調性格=調性格が無いのです。
それならば調号の無いハ長調とイ短調に移調する方が合理的ではありませんか。
それだけではありません。何調でも固定ド読みする従来の方法よりも、ハ長調とイ短調は音楽の正しい理解への道を開くのです。
イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集は全48曲をハ長調とイ短調に移調しました。イコール式


イコール式チラシ


バッハ平均律クラヴィーア曲集における嬰ヘ長調を見てみましょう。

1巻No.13嬰ヘ長調のプレリュードは軽く揺れ動くそよ風のような芳香を漂わせる2声プレアンブルム。続くフーガはピロードのように柔らかく美しい響きの中に浸っており、明るく愛らしく心ゆくまで音楽を楽しんでいるようです。

2巻No.13嬰ヘ長調は付点のリズムが一貫して流れるフランス序曲風のプレリュードは優雅な中に熱烈な張りをもっている。フーガは導音上のトリルで開始するという意気盛んなテーマと優美で親しみやすいガヴォット風の間奏をもつ円熟した対位書法です。

バッハ平均律クラヴィーア曲集に見られる嬰ヘ長調は優美、楽しさといった明るいイメージです。
しかし、これは嬰ヘ長調で演奏することによって明るいイメージになるのではありません。音楽自体が明るい曲想を持つのです。
バッハ定例会
第1日曜日 15:00 PM
第2金曜日 10:00 AM
第4土曜日 10:00 AM

第4回バッハ礼讃音楽会
日時:2017年7月30日(日)
場所:山口県旧県会議事堂

富田庸講演会&公開レッスン
日時:2017年9月9日〜10日
場所:山口大学大学会館1階大ホール
お問い合わせはこちら

<プロフィール>
鍵盤楽器の
新しい記譜法
「イコール式」を提唱

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取った。爾来バッハの鍵盤作品の
とりこになった。

延べ400人の生徒のレッスンを通して、バッハのフーガを弾くことが音楽力を向上させる最も有効な手段であることを再認識した。
移調によって難易度を下げることで、ピアノの初心者も《平均律クラヴィーア曲集》に親しむことができる。

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の元調にこだわる必要は無くなります。簡単な調に移調して、まず親しむ方が大切なことです。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。
橋本絹代 著  『やわらかなバッハ』 春秋社
橋本絹代 編著 《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》


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音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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