やわらかなバッハの会

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所

調性格

ハ長調と嬰ハ長調は調性格が違うか?

「平均律クラヴィーア曲集」第2巻3番の嬰ハ長調フーガは、ハ長調の初稿から移調して嬰ハ長調として編纂されました。
ハ長調で書かれた初稿は NBA を見るまでもなく、べーレンラーター版(全音)「平均律クラヴィーア曲集第2巻」P.352 で簡単に確認できます。

バッハの自筆譜には、「平均律クラヴィーア曲集」を編集する際に、バッハが移調を試みたと考えられる修正箇所が幾つかあります。富田庸やデュルの研究によると、移調を試みたと考えられる楽章はいくつもあります。

嬰ハ長調は、調記号にシャープが7つも付く遠隔調です。バッハの時代はミーントーン音律が主流でしたから、シャープとフラットが3つぐらいまでの調が主に使われていました。そのような時代に、バッハは嬰ハ長調という珍しい調に挑戦したのですが、そこで表現されている性格も珍しい感情と言う事はできません。

バッハが嬰ハ長調を主調として使ったのは「平均律クラヴィーア曲集」でだけです。バッハが作曲する時に、最初から嬰ハ長調で楽想を得たということは考えに難いことですし、事実バッハはハ長調で作曲した後、嬰ハ長調に移調して「平均律クラヴィーア曲集」に組み込みました。

バッハがハ長調から嬰ハ長調に移調しようとしたとき、もし、移調によって音体系や情緒が全く変わってしまうと考えたなら、移調をしなかったはずです。
バッハがハ長調から嬰ハ長調に移調したということは調性格に相違がないと考えたからではないでしょうか。

バッハは「平均律クラヴィーア曲集」に理論上考えられる24すべての調を網羅しようと計画したとき、異なる24種類の調性格を網羅しようと計画したでしょうか?

14種類とはいわずとも、バッハはそもそも音楽が、人間の感情を表現するもとは考えいませんでした。またその感情が特定の調から引き起こされるとは考えていませんでした。バッハにとっての音楽は人間の感情や思想を超越したもので、宇宙の調和でした。

現在、ほとんどのピアニストやピアノ教師は「平均律クラヴィーア曲集」の各楽章に調性と結びついた調性格があると信じています。しかも、彼らは12等分平均律の鍵盤楽器で演奏しており、等分平均律の鍵盤楽器は、どの調も全く同じです。

バッハは12等分平均律ではない、バッハ独自の音律で演奏した言われています。たとえそうであっても、24の調がすべて弾けるバッハ独自の音律は、限りなく12等分平均律に近いものであったはずです。バッハがハ長調を嬰ハ長調に移調できたくらい、2つの調は似通っていたはずです。

長年の習慣、今まで信じてきたこと変えるのは、なかなか難しいものです。

シューバルトの調性格論

シューバルトは1739年生まれ、ドイツの詩人、作曲家、音楽評論家。作曲家のシューベルトと混同しないこと。シューバルトは調性格論者の一人で、マッテゾンより60年ほど後の世代である。作曲家としてよりもむしろ詩人としての方が有名だった。

調性格というものはあくまで感覚的なものだから、人によって感じ方が違う。例えば、ト短調の性格を例にとると、シューバルトは後述のように「不満、不快感、遺恨」と相当マイナスのイマージでとらえている。

一方マッテゾンのト短調の捉え方は「ほとんどすべての調性の中で最も美しい調性。優美さと好ましさ、心地よいほどほどの楽しさ、憧れ」と最高にプラスイメージでとらえている。シューバルトとマッテゾンは同じト短調でも感じ方が正反対である。

またミースは「ト短調に確固たる性格はない」と逃げ、ブルーメは「激しい悲劇、憧憬の甘美さ」とプラスマイナス両方の性格を述べている。

このようにト短調一つ比較しても、性格は様々にとらえられており、調性格は恣意的と言わざるを得ない。
以下に示したシューバルトの調性格論も、無数にある感じ方の一つと考えて参考にしていただきたい。

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シューバルトの調性格論
Schubart, Christian Freidrich Daniel
:Ideen zu einer Aesthetik der Tonkunst 1784


1ハ長調・・・完全な純粋、純真、素朴、子供が話す言葉のようである。
2 ハ短調・・・愛の告白と失恋の嘆き、恋する魂の悩みと憧れとため息
3 嬰ハ長調・・(変ニ長調)やぶにらみの調性、悩み過ぎたり喜び過ぎたり、笑うに笑えず泣くに泣けない、珍しい特色と感情
4 嬰ハ短調・・・悔悟の嘆き、神や友人や幼馴染との気楽な語らい、満たされない友情と愛に対するため息
5 ニ長調・・・勝利の喜び、ハレルヤ、戦勝の雄叫び、
魅力的な交響曲、行進曲、祝祭歌、天に向かって歓呼の声を上げる合唱曲などに使われる調性
6 ニ短調・・・憂鬱な女性、偏屈、もやもやとした悩み
7 変ホ長調・・・愛情、敬虔、神との信頼に満ちた対話、
3つのフラットによって三位一体を表す
8 変ホ短調/嬰ニ短調・・・非常に強い懸念、くよくよと思い悩んだ絶望、最もひどい憂鬱、不安と恐怖に苛まれる、残忍、
幽霊たちが話せるのであればこの調で話すだろう
9 ホ長調・・・にぎやかな歓声、まだ完全に楽しんではいないが喜びと享楽がある
10 ホ短調・・・女性の純真無垢な愛の告白、嘆き、
涙をにじませながらのため息、
       ハ長調の最も純粋な至福がまもなく実現するという希望、
       胸にバラ色のリボンがついた白いドレを着た少女のように本来1つの色しか持っていない調性。
       言い表せぬほどの優美さを持って再び主調のハ長調に戻れば心も耳も完全な満足に満たされる。
11 ヘ長調・・・好意、平安
12 ヘ短調・・・深い憂鬱、死者を悼む嘆き、悲痛なうめき声、死への憧憬
13 嬰ヘ長調・・(変ト長調)困難の中でも勝利、登り終えた丘の上で開放された呼吸、激しく戦い無事に勝利した魂の余韻
14 嬰へ短調・・・陰鬱、怨恨と不満の言葉
鎖に繋がれた凶暴な犬が噛付くように激情を引きずり出す、
居心地の悪い立場なので常にイ長調の休息とニ長調の勝利を待ち焦がれる。
15 ト長調・・・田舎風、田園的、牧歌的なものすべて。
静かで満たされた情熱、心からの友情と誠実な愛への感謝、
一言でいえば心優しく穏やかな動きのすべて。
田舎風、田園的、牧歌的なものすべこの調は手軽さのために今日あまりに軽視されているが、よく考えてみると優しい調も難しい調もない。難易の差はただ作曲家にのみ帰せられる。
16 ト短調・・・不機嫌、不快感、失敗したプレンを引きずっている状態、不満げな歯ぎしり、一言で言えば遺恨と怠惰
17 変イ長調・・・葬送、死、墓、朽ち果てること、裁き、永遠 
18 嬰ト短調・・・気難しく抑圧された心が窒息している状態、悲嘆の声がダブルシャープのところで呻く、困難な戦い、
        一言で言えば苦闘を強いられるものすべて
19 イ長調・・・純情な愛の告白、自己の現状に対する満足、神への信仰
恋人と別れるときの再会への期待、 若人の快活さ
20 イ短調・・・敬虔な女性らしさ、穏やかな性格
21 変ロ長調・・・快活な愛、善良な道徳心、希望、より良き世界への憧憬
22 変ロ短調・・・夜の衣をまとった変わり者、少し不機嫌、神と世間への嘲り、
好ましい印象を与えることは極めて稀である。
自分と全てのものへの不満足、自殺の準備を始める
23 ロ長調・・・けばけばしい強烈な色彩、荒々しい情熱を告げる、
怒り、憤り、嫉妬、半狂乱、絶望、
あらゆる激しい興奮がこの調性の領域に属する。
24 ロ短調・・・忍耐の調性、静かに天命を待つ、穏やかな嘆きでわめいたり泣いたりしない。この調の使用はあらゆる楽器においてかなり困難なため、ロ短調と明瞭に認識される作品は少ない。
 
注:原文ではg:がh:に、G:がH:になっているが、5度圏の平行調による配列から誤植であると考えられる 


シューバルトの調性格論とWTC(バッハ 平均律クラヴィーア曲集)の中の調性格がどの程度一致すのか比較してみよう。
一例としてイ短調を取りあげる。
シューバルトはイ短調の性格を「敬虔な女性らしさ、穏やかな性格」としているが、WTCに
見られるイ短調の性格は以下のとおりである。

第1巻20番イ短調 プレリュードはエネルギッシュな緊張感
同フーガは重厚に身を固めたフーガ。
第2巻20番イ短調 プレリュードは穏やか、機知に富んだ、シンメトリックな2声のインヴェンション。
同フーガは激しい4分音符と8分音符の鋭い切り込み、引き裂くような32分音符、荒れ狂う嵐の情景、緊張感

第1巻プレリュードはエネルギッシュであり、フーガは厳格なテーマが鎧兜に身を固めて重厚に進む。どちらもシューバルトが主張する「敬虔な女性らしさ、穏やかな性格」とは異なり、むしろ男性的である。
2巻のプレリュードは他の3楽章に比べると幾分優しい情緒が感じられるが、機知に富んだ楽想という性格が前面に押し出されている。つづくフーガは荒れ狂う激しい力と緊張感に満ちており、非常に男性的である。
以上見たようにWTCの中のイ短調は「女性らしさ穏やかさ」とは反対に力、厳格、緊張感などを感じる曲が多い。
そもそも4つの楽章がそれぞれ個性的な性格を持っているということはWTCの中のイ短調を一つの性格で言い表せないのだ。WTCのイ短調に確固たる不変の調性格を見出すことは困難であり、シューバルトの調性格とも一致しているとは言えない。バッハはWTCにおいて調性格を確立しなかった。というよりバッハは24の調を演奏可能にする調律において、もはや調性格を確立することが不可能であることを知っていたのだろう。

ミースの調性格論

ミースは1889年生まれ、ドイツの音楽学者。ベートーベンに関する著作が多いことで知られています。

Mies Paul : Der Cahrakter der Tonarten 1948

古来、調性格は客観的なものではなく、作曲家、学者によって様々な性格として捉えられてきました。

調性格の違いを実際の響きとして聴くことを可能にするのは不等分音律です。
しかし今日の鍵盤楽器は平均律ですから、実際の響きとして調性格の違いを聴く事ができません。このことを、ご理解の上以下をお読みください。


ハ長調  むらがなく客観的、個性のない、全く感受性のない調性

ト長調  素朴で快活で無邪気で陽気

ニ長調  輝き、華麗なスウィング、和音分散、ファンファーレ

イ長調  拍子や速度と結びついて初めて明瞭な個性を持つ

ホ長調  耳をつんざくような、しみ通るような、優雅な愛らしい素朴な

ロ長調  力強く上方に複数主題、無慈悲な調性

嬰ヘ長調 非常に多様である、変ト長調にもまた不変の性格は見つからない

変イ長調 歌い、苦悩し、少し厳かな真剣さで満たされた調性

変ホ長調 非常に悲愴的

イ短調  決まった性格は無い

ト短調  確固たる性格は無い

[ケレタート著「音律について」竹内ふみ子訳]

リューティーの調性格論

調性格と言うとまずマッテゾンの名前が出ますが、調性格論者は他にも大勢います。
その一人、リューティーはモーツァルト作品の調性格について述べました。
Luthy : Mozart und die Tonartencharakeristik 1931

モーツァルトは調性の選択に関してバッハより禁欲的で、中全音律でよく使われた調、すなわちシャープやフラットの少ない調で作曲しました。
また長調に比べて短調が非常に少ないのもモーツァルトの特徴です。

モーツァルトが聴いていた響きは、現在私たちが耳にする等分平均律の響きとは全く異なることを、念頭において以下の調性格をお読みください。
等分平均律を前提に作られた作品はドビュッシー以降になります。


ハ長調 真実の調性、説教じみた教示、警告であり、同時に論理的観察の場麺では中立的立場を取り、感情の無い場面をより深化させる調性

ト長調 中立的な調性で、素朴で陽気な人間に使われる。生の喜びを素朴に心から表現するための調性である。

ニ長調 むしろ外面的な場面、喜び、軍隊の果敢さ、残酷さ、復習、グロテスクなブッフォ・アリア、序曲、男性の決断、動じないことを表現する。

イ長調 美しさ、輝き、高揚した生への実感、少し浮き浮きして、おどけて、優雅に、皮肉に、溢れる情緒、生きる喜び、

ホ長調 特別に個性的な調性、気高く気品に満ちた気分、グロテスクで辛辣と思われる場面、朝の気分

変イ長調 秘密に満ちた暗い調性

変ホ長調 深い感情を持つ調性、深い愛情ばかりでなく、悩みをもたらす愛の苦悩をも表現し、木陰の場面、墓の場面などでも現れる

変ロ長調 柔らかで夢想するような気分、慰め、同情、恋愛する人々。ユーモア、技巧的アリア。

ヘ長調 中立的な調性、女中のアリアにおいては素朴な人間が喜ぶ場面で使われるが、さらに内面的、憧れ、穏やかな気分、慰めになる場面を表現する。


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イ短調 本の少し悲しみが感じられるだけであり、イ短調はごく稀にしか使われない。

ホ短調 陰気で悲劇的な要素、憂鬱。極稀にしか使われない。

嬰へ短調 陰気で悲劇的な瞬間

嬰ハ短調 嬰へ短調と同じく陰気で悲劇的な瞬間

ヘ短調 魂の崩壊、うつろで絶望的。

ハ短調 不吉なもの、陰鬱な和音、荒々しい情熱、過度の恐怖、危険を描写する、闇の性格、陰鬱な死への思い、怒り、死へのぞっとする恐怖、悲劇的、痛み、絶望

ト短調 悲劇的な苦しみ、闇、最も深い憂鬱、絶望的な死への予感、苦しみ、途方にくれる、魂のひどい痛み、ナポリの6の和音と共に使われて最高の盛り上がりを示す。

ニ短調 多くの情緒の活動、超自然的な力、ぞっとさせる人間、あの世の恐ろしさ、陰鬱な気分、絶望と恐怖の描写、運命の重さ、不気味なもの。

[ケレタート著「音律について」竹内ふみ子訳]

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これを書きながら、同じ調性の中にこうも沢山の性格があっては、どれが調の性格なのか迷ってしまいます。
例えばニ長調では「喜び」と「残酷さ」という関連の無い言葉が一緒に記載されています。

リューティーだけを見ても迷いますが、マッテゾンの調性格論を見ると、ニ長調は「元来鋭く、わがままな調性で騒動や陽気で好戦的なもの、元気を鼓舞するようなものにおそらくもっとも適合するが、トランペットの代わりにフルート、太鼓の代わりにヴァイオリンが支配するならば、この硬い調性も繊細なものへの行儀の良い不思議な導き手となるであろう」とますます混乱してしまいます。

それだけではなく、シューバルト、シリング、フォーグラー、ミース、シュテファニー・・・・などが各人各様の調性格を述べているのです。

調性格とはいったい何者でしょうか。
不確実な調性格というものへのこだわりを一旦横に置いておきましょう。
ハ長調とイ短調に移調した「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」
は音楽の正しい理解を支援します。

富田庸の日本講演

富田庸を迎えて「バッハの自筆譜からわれわれは何を学べるか。演奏者と研究者の永遠の課題」と題する講演が日本で行われました。
(2008年10月28日、於国立音楽大学 6号館)
今回は日本音楽学会のパネリストとして、英国クィーンズ大学から訪日された日本人教授、富田庸の特別講演でした。

富田庸は現在英国クィーンズ大学音楽学部教授。
バッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻(ヘンレ社)の校訂者として世界の注目を集めている気鋭の研究者です。
バッハ関係の書籍、楽譜、論文、雑誌などのデータを集めたウェブサイト「Bach Bibliography」の編集者としても有名です。

講演会には礒山雅、江端伸昭、加藤一郎、渡邊順生の他に、お名前とお顔が一致しないけれども多分専門の研究者と思しき方や音楽学生たちが多数参加していらっしゃいました。

講演中、富田庸は学生たちに向かって「食べ物をスプーンで口に入れてもらうのですか」と問いかけられ、自発的な発言や質問を促されましたが、学生たちは余りに偉い先生を前にして発言する勇気が出ない様子でした。
日本の学生気質かもしれませんね。
学生に代わって、専門の研究者たちのから活発な質問が飛び交い、高度な議論が戦わされました。


当日の講演内容から自筆譜に学ぶバッハの意図について2点だけご紹介しましょう。
富田庸のパソコンから会場のスクリーンにバッハの自筆譜が映し出され、参加者はそれを見ながらお話の内容を実際に確認することができました。

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1)平均律第2巻 g:Moll プレリュード、 第3小節、バスの最後の音[Es]のリズム的位置について

バッハの自筆譜をよく見ると、ソプラノの32分音譜とバスの16分音譜を縦に揃えて書いてあり、バスの音[Es]を複付点のリズムでソプラノと揃えて弾くことを示唆している。
当時は複付点という書き方が無かったので、このリズムをフィナーレやシベリウスで入力すると、バスの音が間に入ってしまう。
新バッハ全集もバスの音が間に入っており、間違って弾いてしまう楽譜になっている。


2)平均律第1巻 h:Moll フーガ 第17小節後半から始まる美しいエピソードの連桁について

バッハの自筆譜では、エピソード部分の8分音符が2連桁になっている。これは2連桁ごとに和音が変化することを示唆している。
新バッハ全集もヘンレ版も(第1巻の校訂者は富田庸ではない)エピソード部分を4連桁で書いているがバッハは2連桁で書いている。

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講演中、富田庸は連桁のことを、「ビーム(Beam)」と言われました。Beamを日本語に翻訳しようとなさるのですが、外国生活が長くなられたせいか、「連桁」という日本語を思い出せないご様子に、会場から「連桁」と助け船が出る場面もありました。「ビーム」という言葉は講演会後の食事会の時でも、ちょっとした流行語になっていました。

筆者は今回、講演会と食事会の他に、富田庸と個人的に長時間にわたってお話させていただきました。
筆者がこの度出版した 「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」カワイ出版 に興味を持ってくださったことからお話させていただく機会を得たものです。
氏は、英国で時々資料と照らし合わせながら《イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集》をワクワクしながら全曲お弾きになったそうです。《イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集》は全48曲を1音たりとも省略せずにハ長調とイ短調に移調したものです。この発想が富田庸のご著書『Fugal Composition, A Guide to the Study of Bach's '48'』 に 近いとおっしゃいました。
そして、氏から「出版譜として世界で初めての貢献」とお褒めの言葉をいただきました。
大変貴重なことを沢山学ばせていただきましたことに心より感謝申し上げます。

鍵盤楽器の調性格

音楽理論家たちの平均律についての見解をケレタート著「音律について」から引用してみましょう。

ミツラー:「平均律を前提とすれば、ただ高さによってのみ識別される12の調種には、2つの調性、長調と短調。即ちこの概念はむしろ旋法と捉えることができる」

アードゥルング:「平均律を選択した人には・・・調性格の本質では無い音高の違いを除けば、12の各長調には何の違いも感じられない。12の各短調も同じである。しかし、不均等音律を採用した人は、すぐに音程の大きさの違いに気付くであろう。私たちは調性の数だけ異なる性格について論じることが出来る」

キルンベルガー:「平均律によって実際何も得られないばかりでなく、非常に多くのものを失った。平均律は作曲家に長調にするか短調にするかの選択肢しか残さない」

ヘルムホルツ:「すべての半音が音階全体を通じて同じ大きさであり、すべての音が同じ音色を持っているときには、異なる調性の作品が異なる性格をを持つはずであると言う見解に対する根拠を示せない」

上記の理論家は平均律に調性格が無いと主調していますが、一方でドレーヴィスとリーペルは楽器によっては調性格の違いがあると主調しました。
例えばヴァイオリンの開放弦ではト長調、二長調、イ長調、ホ長調が示され、これらシャープ系の調性は「明るく、爽やかに、きりっと引き締まって聴こえる」がフラット系の調性は「霞がかかったように、くぐもった響き」に聴こえるというのです。

結論としては、楽器を鍵盤楽器に限定して考えれば調性格が無いと言えるのではないでしょうか。

マッテゾンの調性格

バッハと同時代に生きたマッテゾンは調性格の代表者といえるでしょう。バッハが1冊の著書も遺さなかったのに比べてマッテゾンは実に多くの著書を書きました。

彼は最初の大著『新管弦楽法』(1713年)の「アフェクトの表出における音楽の性質と働きについて」という項目のもとに調性格を述べました。

マッテゾンの調性格が普遍的なものと考えることは避けたいものです。なぜなら、彼は調性格について次のように述べています。

「調の性格について何か確実なものを定めようとすればするだけ、おそらく、意見の違いも表面化してくるように思われる。この問題をめぐる見解はほとんど数えきれないほどあるからである。その理由としてただ一つ考えられるのは、人間の体液の組織が一人一人非常に異なっていると言うことである。それゆえ、例えばある調を多血質の人は楽しげで快活に感じ、一方、粘着質の人は、ものうく、嘆き、悄然としているように感じたとしてもまったく不思議はないのである」と。

また彼は後に次のようにも述べています。

「調の性質については、何も絶対的なことを言うことはできない。なぜならどんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりする事はできないからである」と後に述べました

マッテゾン自身もバッハの《平均律クラヴィーア曲集》と同じように、24の調を網羅した『通奏低音大教本:48の範典 Grosse General-Bass Schule』 を1731年に作曲しました。しかし24の調性格を作り出したのではないことは、マッテゾン自信の言葉から明らかです。

バッハも同じころに 《平均律クラヴィーア曲集》 を編集しましたが、やはり24の調性格を確立しようとはしていません。それどころか、バッハは、移調を試みた曲もあっての24の調なのです。

バッハとマッテゾンは同じ世代ですが、調性格の感じ方には個人差があります。
マッテゾンの調性格だけを普遍的なものと考えることは非常に危険です。以下に述べる《平均律クラヴィーア曲集》に見るバッハの調性格をご参考の上、マッテゾンの調性格も参考としてお読みください。


1.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の編集目的は、24の調をすべて網羅することでした。決して調性格を24種類も確立しようとしたのではありません。バッハは、よく使われる調で作曲したものを遠隔調に移調するという方法も使いました。もし、移調によって音体系や曲の性格が全く変わってしまうなら、バッハがそのような方法をとらなかったはずです。バッハは移調によって曲想が変わるとは考えてなかったから移調を試みたのでしょう。


2.バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において当時あまり使われなかった未知の調に挑戦したわけですが、未知の調性格に挑戦したのではありません。バッハは史上初めて24すべての調を網羅した曲集を編纂ししたのですから、それまでに使われたことの無い遠隔調の開拓がおこなわれました。が、遠隔調に新たな性格を付したとはいえないでしょう。


3.もし、普遍的な調性格というものが存在するならば《平均律クラヴィーア曲集》の中の同一調は同一性格でなければなりません。しかし実際には同一調であっても全く異なる調性格の曲が多いのです。中には対照的と言えるものもあります。


4.あなたのピアノは12等分平均律ですから、どの調で弾こうと調性格は皆同じです。バッハも《平均律クラヴィーア曲集》を弾くにあたって、24すべての調が破掟なく演奏できる調律を使用しました。それは必然的に限りなく12等分平均律に近い調律になります。12等分平均律に近づけば近づくほど、調性格は皆同じになってきます。


5.《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤楽器を前提としています。鍵盤楽器はヴァイオリンなどとは違って演奏しながら音程の微調整をすることは不可能です。例えば「ドーミ」は長3度、「シ♯ーミ」は減4度です。言い方は違えど、鍵盤楽器で弾くとどちらも同じ鍵盤を弾くことになります。これに対して、声楽、弦楽器、管楽器などは、音程の違いを弾き分けることが可能なのです。以上のことから考えて、鍵盤楽器で演奏する場合は、たとえ不等分音律であっても同じ鍵盤を弾く以上、長3度と減4度の違いを弾き分けることは不可能なのです。

以上のことを踏まえた上で、マッテゾンの調性格を参考にしましょう。調性格は、12等分平均律の鍵盤楽器には存在しないことを再確認しましょう。「ト長調は云々・・・」と言いたいならば、鍵盤楽器以外のもので演奏することです。

以下はマッテゾンの調性格の一覧表です。

1 ハ長調・・荒削りで大胆、喜びを発散するのに適す、
うまく使えば優しさと愛らしさを表現しうる
2 ハ短調・・・並外れて愛らしい、哀しい、温和すぎる
3 嬰ハ長調・・(変ニ長調)記述なし
4 嬰ハ短調・・記述なし
5 ニ長調・・幾分鋭く頑固、騒動、陽気、好戦的、元気を鼓舞するようなもの
       フルートやヴァイオリンが支配的になると繊細な曲になる
6 ニ短調・・・信仰深く穏やか、高貴で満ち足りた性格、祈りの心、平安
流れるような愉快さ
7 変ホ長調・・非常に悲愴、深刻に訴えかける、
        官能的な豊かさを嫌う
8 嬰ニ短調/変ホ短調・・記述なし
9 ホ長調・・絶望、死ぬほど辛い悲嘆、恋に溺れてまったく救いのない状態、切り込み、傷、肉体と魂が宿命的に切り裂かれる
10 ホ短調・・・深く沈み考え込む、重く悲しい気分、
慰めを期待しうるが楽しげな要素はない    
11 ヘ長調・・世界で最も美しい感情を表現する、洗練をきわめる、
寛大、沈着、愛、徳、自然な物腰、比類の無い能力
長調であるのにこの上なく愛情のこもった表現ができる、
4番目の音にフラットを有しているが楽しげな作品にも使われる
12 ヘ短調・・・穏やかで平静、深く重苦しい、絶望的、死ぬほどの心の不安
        暗く救いようのないメランコリー、恐怖心、戦慄
過度に感動的、救い難い憂鬱、恐怖を抱かせる、
13 嬰ヘ長調・・記述なし
14 嬰へ短調・・ひどい憂鬱、悩ましげに恋に夢中になっているような感じ、
孤独、厭世的、
15ト長調・・人を引きつけ雄弁に語る、輝き、真面目、活発
16ト短調・・・最も美しい調性、優美、心地よい、憧れ、満足、
真面目さと活気ある愛らしさを合わせ持つ
中庸な喜びと嘆きにもふさわしくまったく利用範囲の広い調
17 変イ長調・・(嬰ト長調)記述なし
18 嬰ト短調・・記述なし
19 イ長調・・・非常に攻撃的、嘆き悲しむ、
特にヴァイオリンを使用した音楽に合う
20 イ短調・・・少し嘆く、品位ある、落ち着き、
眠りを誘うが不快なものは全く無い
鍵盤楽器に適している
21 変ロ長調・非常に気晴らしに富む、華やかさと控えめな性格を併せ持つ、
       壮大、愛らしい
22 変ロ短調・・記述なし
23ロ長調・・敵対的で硬質、不快、絶望感
24ロ短調・・・奇怪、不快、憂鬱、めったに用いられない
       このような性格が修道院から排斥される原因になった

[マッテゾン「各調性とアフェクト表現上の作用について」
                     礒山雅―編 山下道子―訳]

マッテゾンがシャープ、フラットの多い遠隔調については「よく知られていない調性」と述べるにとどまっていることから、中全音律的視点がうかがえます。
調性格を述べるに当たってはどの音律かということが前提になるはずですが、ほとんどの論者がこれを明記せずに述べているのは不思議というしかありません。
また一つの調について音楽家の感じ方によってその調性格はまちまちで、恣意的なものと言わざるを得ません。

マッテゾンとバッハの感じ方が違うから恣意的であるというだけではなく、同一の作曲家によっても恣意的である例をあげましょう。

例えば「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調です。
1巻9番ホ長調プレリュードは幸福な牧歌的情緒、フーガは熱烈な青春の喜びが音の奔流となって躍動しています。
2巻9番ホ長調プレリュードは穏やかな淡い光に満ちており、フーガはパレストリーナ様式の厳かな宗教合唱です。

同一作曲家(バッハ)が同一音律で作曲したホ長調なのに、その調性格は牧歌的、青春の喜び、穏やか、宗教合唱と全く統一性がありません。
またホ長調についてマッテゾンは「死ぬほど辛い悲嘆」と述べています。《平均律クラヴィーア曲集》に見るホ長調の性格とかけ離れています。もっとも、マッテゾンが述べたホ長調は中全音律的視点が感じられ、中全音律のホ長調は属和音(ロー嬰ニー嬰ヘ)がマッテゾンの言葉もなるほどと思われるほどに極端な響きではあります。一方バッハは24すべての調に適合する音律でなければならなかったので、使用できる調性に限りがある中全音律ではなかったことは確かです。バッハは12等分平均律に近い調律を用いたので、調による調性格の統一はなされていません。

それにしても、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」の中のホ長調とマッテゾンの言うホ長調の調性格はあまりに対照的です。特に鍵盤楽器における調性格は主観的で不確実なものでしかありません。
調性格論者の代表マッテゾンさえも晩年になって、自分が「新管弦楽法」で発表した調性格論を後に取り下げているのですから。
調性格について、確かに言えることは長調と短調の2つの性格しか存在しないということです。

これらのことを考慮した上で、《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》はハ長調とイ短調に限定して移調しました。
12等分平均律の鍵盤楽器で弾く限りにおいて、すべての調性はこの2つの調に集約されるからです。

ここで大事なことは弦や管のように、音程を自分で作る楽器は調性の違いを表現することが可能ですが、12等分平均律に固定されている鍵盤楽器で調性の違いを表現することはできないということです。
12等分平均律においては調性格という問題が純粋に精神的なもの、作曲者と演奏者に架空の世界の問題として存在するものとなりました。調による性格の違いはおとぎ話になり、作曲家には長調にするか短調にするかの選択肢しか残されていないのです。

イコール式がハ長調とイ短調2つの調だけで鍵盤作品を記譜することにした理由は、ハ長調とイ短調で音楽の正しい理解への道を開く必要性からです。
最初からオリジナルの調で弾こうとして、固定ド読みするのは音楽の正しい理解を妨げるものです。
《平均律クラヴィーア曲集》をまずハ長調とイ短調で弾き、その後オリジナルの調で弾くことをお勧めいたします。

ピッチ性調性

バッハ平均律クラヴィーア曲集の第3番は#が7個もついた嬰ハ長調です。
嬰ハ長調は当時非常に珍しい調でしたので、バッハは平均律クラヴィーア曲集の中でしか使っていません。
この曲を半音ばかり低いピッチに調律してある12平均律の鍵盤楽器で演奏して、それを聴いたとしましょう。

絶対音感者は「ハ長調に聴こえる」と言います。
絶対音感者が「ハ長調に聴こえる」と言うのは、主音のピッチがC音であるからそれをハ長調と言うのです。つまり主音のピッチが半音下がっても音楽自体に変化は無く、全体が半音ほど平行行移動したのです。
従って、絶対音感者は主音のピッチの高さに当てはめて○長調、○短調と言います。しかし、本来調性は主音のピッチで決定されるものでしょうか。

調性とは不等分音律において存在することが可能となるものです。
調性とは12等分平均律が普及し始めた1850年以降の鍵盤楽器には存在し得ないものです。音程を微妙に調整しながら12等分平均律に固定されることなく演奏出来る弦、管、声楽は別ですが、音程が12等分に固定されている鍵盤楽器には実態としての調性が存在しません。現在の鍵盤楽器の世界では調性というものが有名無実です。

不等分音律は半音の幅が不均等でした。それ故にハ長調の主和音と嬰ハ長調の主和音は明らかに響きが異なりました。調ごとに異なる音階構造が異なる和音の響きとなって調性格を形成しました。調性とはハ長調の音階構造と嬰ハ長調の音階構造が異なることであって、ピッチとは無縁なものです。

バッハの時代は現代より約半音低いピッチで演奏されていたと言われています。
すると、バッハは嬰ハ長調の曲を絶対音感者がいうハ長調のピッチで聴いていた事になります。現在で言うピッチはハ長調でも、バッハの時代には嬰ハ長調でした。

絶対音感という概念は1850年以降、12平均律の台頭に伴ってでき上がってきたものですから、絶対音感者は最初から12平均律しか頭にありません。だから絶対音感者の言う「調性」は「ピッチ性」に他なりません。

また絶対音感者がよく言う「気持ち悪い」という言葉も、12平均律においては音楽そのものが気持ち悪く変化するわけがありません。それは単にいつも聴いている嬰ハ長調のピッチと違うという意味に過ぎません。それほどまでに絶対音感者はピッチと調性を切り離しがたく感じています。

ピッチは元々、歌手が歌い易い高さに設定したもので、そこには何の基準もありませんでした。そのうち、町ごとに色々なピッチが存在するようになり、やがて世界的にA音=440ヘルツという標準ピッチが定められました。現在は更に標準ピッチが上昇傾向にあります。こうなると何が絶対なピッチなのか、何が絶対な音感なのか混沌としてきます。

音楽をよく知らない人達が絶対音感をプロ音楽家のパスポートのように崇める傾向がありますが、実は音楽の本質とは無縁の人間周波数測定器に過ぎないのです。絶対音感という神話から目覚め、楽士的な行為から早く脱却して本当のプロの道を目指したいものです。

調性格 ###### 嬰ヘ長調

嬰へ長調の調性格   ケレタート著「音律について」


#悪いイメージのもの
・マッテゾン・・・・稀にしか使用されないためまだ効果はよく知られていない

・ハイニヒェン・・・全く使用できないもの

フォーグラー・・・ロ長調よりも一層ひどく耳をつんざくような


#良いイメージのもの
・クラーマー・・・・高貴な誇りと崇高な誇りとが素晴しく混合された調整であり、聴く者を感嘆させる

・シューバルト・・・嬰ヘ長調ではなく、変ト長調の特徴を困難の克服、上り終えた丘の上での開放された呼吸にもたとえられる調性である

・シリング・・・・・嬰ヘ長調は変ト長調より一層明るく、鋭い調性でより強い情熱の表現に適している


#不明のもの
・ミース・・・・・・嬰ヘ長調は非常に多様である。変ト長調にもまた不変の性格は見つからない

・マルクス・・・・・この調性はエンハーモニック(両義的)な使用によって、不確実、疑わしいものに限定して使われる


嬰ヘ長調については悪いイメージものも、良いイメージのもの、不明のものが混在しており、共通するの調性格が見ありません。

これらのイメージは不等分音律で演奏した時の感じ方を記したものです。今日私たちが使用している平均律で演奏するとすべての調が同じ音階構造のため、調による違いが存在しません。

#が沢山ついた嬰へ長調もフラットのついた調もすべてが同じ調性格=調性格が無いのです。
それならば調号の無いハ長調とイ短調に移調する方が合理的ではありませんか。
それだけではありません。何調でも固定ド読みする従来の方法よりも、ハ長調とイ短調は音楽の正しい理解への道を開くのです。
イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集は全48曲をハ長調とイ短調に移調しました。イコール式


イコール式チラシ


バッハ平均律クラヴィーア曲集における嬰ヘ長調を見てみましょう。

1巻No.13嬰ヘ長調のプレリュードは軽く揺れ動くそよ風のような芳香を漂わせる2声プレアンブルム。続くフーガはピロードのように柔らかく美しい響きの中に浸っており、明るく愛らしく心ゆくまで音楽を楽しんでいるようです。

2巻No.13嬰ヘ長調は付点のリズムが一貫して流れるフランス序曲風のプレリュードは優雅な中に熱烈な張りをもっている。フーガは導音上のトリルで開始するという意気盛んなテーマと優美で親しみやすいガヴォット風の間奏をもつ円熟した対位書法です。

バッハ平均律クラヴィーア曲集に見られる嬰ヘ長調は優美、楽しさといった明るいイメージです。
しかし、これは嬰ヘ長調で演奏することによって明るいイメージになるのではありません。音楽自体が明るい曲想を持つのです。

調性格 ♭♭♭♭ ヘ短調

ケレタート著「音律について」

マッテゾン・・・深く重苦しい
シューバルト・・悲痛なうめき声
シリング・・・・永遠の旅立ちの予感
リューティー・・魂の崩壊
シュテファニー・闇、ひどい苦痛
リーマン・・・・最も陰鬱な調性
ベッカー・・・・測り知れない深い悲しみ

へ短調は中全音律では多くの極端な響きの和音と、純正な属和音を持ちます。暗い、憂鬱といった一定の調性格が感じられます。
調性格をもつ中全音律が一般的に使用されていたのは18世紀末まででした。
現在使われている平均律においてはすべての短調が同じ響きです。従って、ヘ短調が特に暗く憂鬱な響きをもつことはありません。
イコール式チラシ

イ短調に移調した「バッハ平均律クラヴィーア曲集」
イコール式



バッハ平均律クラヴィーア曲集におけるヘ短調をみてみましょう。
第1巻No.12 ヘ短調は内省的な思索を思わせる円熟した悲歌と、痛ましいうねりを描くフーガのテーマです。
第2巻No.12 ヘ短調はため息の動機が独特の悲哀感を漂わせるプレリュードと、ユーモアと緊張を交えて屈託無く動く舞曲風のフーガです。
http://ml.naxos.jp/default.asp
やわらかなバッハの会
第1日曜日 輪奏会17:00 PM
第2金曜日 輪読会10:00 AM
第4土曜日 輪奏会10:00 AM

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2018.3.21(水・祝)

第5回バッハ礼讃音楽会
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<プロフィール>
やわらかなバッハの会 代表
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
これまで約400人のピアノレッスンを通じて、バッハのフーガを弾くことの重要性を認識し、初級者でもバッハ演奏を楽む方法を提案。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009年 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013年「やわらかなバッハの会」設立

2014年 バッハ礼讃音楽会 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016年 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅南北自由通路 )毎年開催

2017年 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催 (於 山口大学)

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも調性格の恣意性を指摘しています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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