やわらかなバッハの会 The Society of Soft Bach

先入観念にとらわれることなく、バッハの音楽に親しむ会です。
イコール式音楽研究所  所長  橋本絹代
Equal Method Music Institute President Kinuyo Hashimoto

イコール式

真の音楽

・・・・バッハのフーガを練習したことのある子供は(その際どんなに機械的に行われたにせよ)声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感はもう二度と消し去られることはないであろう。そのような子供はどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感じるであろう・・・・

バッハの本質をこのようにズバリ言ってのけたのはシュヴァイツァーである。神学者、哲学者、医者、オルガニスト、音楽学者と実に多くの肩書きをもっている人である。彼はバッハに傾倒し、著書の『ヨハン・ゼバスィアン・バッハ』は今も多くの人に親しまれている名著だ。

シュヴァイツァーはバッハのフーガが子供に深い感化を与えると言っているのであるが、大人から見るとバッハのフーガほど難しいものはないと思われかもしれない。
しかし、ベートーヴェンの自由と平等の思想、あるいはシューマンのクララへの熱情といったものは、大人の感情であって子供には理解できないし、感化されることもないだろう。バッハのフーガは神の音楽である。人間の音楽ではないのである。バッハのフーガは宇宙普遍の大生命の響きだから幼子のように神を無心に呼び求めるがよい。無心にバッハを弾くがよい。バッハのフーガは理解を超越してもっと深い魂のレベルで二度と消し去ることのできない刻印を押すのである。

バッハに回帰しよう。バッハの平均律クラヴィーア曲集に回帰しよう。
少しでもピアノを習ったことのある人は皆、平均律クラヴィーア曲集を弾くべきである。演奏が困難であるという理由だけで平均律クラヴィーア曲集を知らないまま天国に行くのは余りにもったいない。
ハ長調とイ短調に移調した《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》なら譜読みが簡単。
声部を分けてアンサンブルで演奏すれば誰でもすぐ弾ける。

時間の構造

洋楽は拍節構造に基づいており、カウントできる音楽である。いくら変拍子であっても変化する拍節でもってカウントすることのできる音楽である。西洋音楽は時間をカウントすることによって成り立っている。しかし、日本の伝統音楽は時間をカウントしない音楽である。

時間を測るということは、紀元前2千年頃にエジプトの日時計から始まったようである。日時計のほか、水時計、砂時計、火時計なども考案された。

日本においては時間を測るということ以前に「時間」という概念さえなかったが、西暦671年、天智天皇が「初めて水時計を作り、時を知らせた」ということが日本書紀にみられる。

江戸時代になると工芸的な時計が多く作られるようになった。これは「和時計」と呼ばれ、日本独特の「不定時法」と云う時計であった。「不定時法」とは、欧米が用いていた「定時法」と違い、日出と日没によって昼と夜に分け、それぞれを6等分(九ツ〜四ツ)する時刻表示方法である。夏は昼の時間が長く、冬は短くなるなど、季節によって時間の長さが変化する。

明治時代になると、明治5年(1872年)、これまでの「不定時法」から「定時法」への布告がなされた。
太政官布告第453号によって、明治5年12月3日が明治6年1月1日とされることが決まった。つまり明治5年という年は、明治5年の師走の29日間が消えてしまい、12月の始に突然1月1日の元旦となった年である。
そして、今まで「何字」と云われていたものが「何時」と云うことに決められた。

明治の「定時法」の採用と前後して、日本には西洋音楽が入ってきた。
もっともこれは日本にとって2度目の輸入であった。1度目は1551年、サビエルによってもたらされたキリスト教音楽である。残念なことに、1614年、徳川家康の命によってキリスト教音楽は実質的に禁じらてしまった。西洋音楽は鎖国の間息絶えていた。やがて明治になって鎖国が解かれ、「定時法」とともに2度目の西洋音楽の輸入が始まったのである。

この時に、いわゆるクラシックと呼ばれる作曲家の音楽が日本にどっと入ってきた。鎖国をしている間に、ドイツではバッハが「平均律クラヴィーア曲集」を書いて、鍵盤音楽の金字塔を立てた。拍節構造のもとに成立する西洋音楽でありながら、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の時間構造は非拍節構造であることに驚かされる!しかも西洋の作曲家の中でバッハただ一人だけであることにもっと驚く!

バッハは西洋の拍節構造を超越してしまったのかのようである。
なぜならフーガの主題の頭が1拍目から始まったと思えば、次の主題は4泊目から始まるなどということが常に見られる。そもそもストレッタなどは1拍遅れや半拍遅れで主題が重なってくるのだから、拍節構造は到底成立しない。主題が拍節に拘束されないことはバッハの音楽が拍節を超越した生命であることを示している。

第1巻8番 dis:Moll フーガは天蓋を思わせる美しい主題だが、この主題には拍節が全く感じられない。主題は1拍子のようでもあり、無拍子のようでもある。このように音楽の生命力とはそもそも拍節的ではない。拍節に縛られない生命力が音楽の本質である。メトロノームなどという非音楽的な機会は即座に棄てるべきだ。

またバッハにおいて、フーガの主題は拡大したり縮小したりして現れる。これは複層的時間構造である。拍節構造においては一つの旋律が伸びたり縮んだりすることはあり得ない。伸びたり縮んだりすることは拍節が変化してしまうことあから。

バッハは西洋の拍節構造に立脚しながらも、東洋の非拍節構造に通じる音楽を書いた。全人類に通底する音楽の生命力というものを、超越的時間で永遠の時間でもって、その音楽に刻んだと言えるだろう。

長〜い曲

演奏時間が長過ぎる曲は沢山ありますが、一人の人間の一生の間では曲の最後まで聴くことができないほど長い曲もあります。

演奏時間の長い順に

639年・・・ ケージ「ASLSP」
336年・・・ シュトックハウゼン「336年」
102年・・・ ノールハイム「Poly-Poly」
5年・・・ 小杉武久「革命のための音楽」
12日・・・ ヤング「12日間のブルース」
28時間・・・ シュトックハウゼンのオペラ「光」
18時間・・・ サティー「ヴェクサシオン」
15時間・・・ ワーグナー「ニーベルングの指輪」

ワーグナーの長大な「ニーベルングの指輪」は有名ですが、その前のサティーの曲は日本で実際に演奏されました。約40年前に、日本の大御所の作曲家、湯浅譲二らによって奏者のリレー式で実際に18時間かけて日本初演されました。日本初演のあとは続いてないようですが。

演奏時間に史上最長の曲はアメリカの作曲家ジョン・ケージ(1912〜1992)が作曲した「ASLSP」です。ケージが作曲した「出来る限りゆっくり」というオルガン曲の意図を汲んで、639年もかかる作品になりました。演奏はケージの死後にジョン・ケージ・オルガンプロジェクトが企画し、現在演奏が進行中です。

639年かかる曲はドイツの教会で2001年9月に演奏が開始されました。
約5年後の2006年1月に最初のコードから2番目のコードに移り、このコードは数年間鳴り響くことになります。
オルガンは新たな音の必要に応じてパイプを継ぎ足していく方法で
演奏されます。
639という数字はこの教会のオルガンが設置された1361年から演奏開始の2001年までの年数が639年になることから名付けられました。

ジョン・ケージ「出来る限りゆっくり」オルガンプロジェクト

プロジェクトは「変化の早い現代社会における平静と緩慢な時の流れの再発見」といったコンセプトを語っています。
639年は我々の時間概念からすると、とてつもなく長い曲ですが、宇宙的な時間から考えるとほんの一瞬かもしれません。
天地創造から今日までを考えるだけでも無限大の時間ですし、更に神様が天地創造の前に何をしておられたのかと考えると、気が遠くなる程の時間です。

時間や空間という概念が全く異る次元では、639年という時間も、緩慢な時の流れというより、長くも短くもない時間なのかもしれません。

私は《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》
に、時間もリズムも超越した永遠のハーモニー、宇宙の調和を感じます。

そして、バッハの時間やリズムは、モーツァルトのそれとは全く異質です。
誤解を恐れずに言うならば、バッハにはリズムが無く、モーツァルトにはリズムがあると言った方が分り易いかもしれません。

モーツァルトの父の著書「ヴァイオリン教程」

レオポルト・モーツァルトは天才モーツアルトの父で、ザルツブルグ大司教宮廷副楽長を務め、ヴァイオリンや鍵盤楽器を教えていました。

彼は1756年、つまり天才モーツァルトが第7子として生まれた年に「ヴァイオリン教程」を著しました。

この著作はクヴァンツ、C.P.E バッハの著作を並んで18世紀の典型的なヴァイオリン奏法を示すものとして高く評価されています。

この「ヴァイオリン教程」の中から、音律について書かれている部分を引用します。

<クラヴィーアでは、変イと嬰ト、変ニと嬰ハ、変トと嬰へなどは同音であるが、それはTemperatur(調整)のせいである。

しかし、正しい音程比によると、♭によって低められた音はすべて、#によって高められた音よりも1コンマ高い。

つまり、たとえば変イは嬰トより、変ニは嬰ハより、変トは嬰ヘなどより高いのである。

ここでは良い耳が裁判官でなければならない。
もちろん初心者なら音程測定器の操作を教えてやるのもよいことであろう>

この著書の中で、変イと嬰トは正しい音程比から言うと高さが異なり、変イは嬰トより高いと教えています。

そして、最初の行でクラヴィーアでは変イと嬰トが同音、つまり同じ鍵盤であることをはっきりと指摘しています。

これに少し解説を加えると、ヴァイオリンは指で押さえる位置を微妙に変えることによって、変イと嬰トを異なる音として弾き分けることができますが、鍵盤楽器はこの2音が同じ鍵盤なので弾き分けることができません。

鍵盤楽器は片方を正しい音程比にすると、もう片方は非常に極端な音程比にならざるを得ないという不便な楽器です。
そのための妥協案として考案されたのが、どっちつかずの、どちらも正しくない音程に調整する方法です。

もし、鍵盤楽器で正しい音程比を追及しようとするならば、1オクターヴ内に12個
以上の鍵盤が必要です。
実際、1オクターヴに21個もの鍵盤がある純正調オルガンが製作されましたが、演奏困難なため普及することはありませんでした。

鍵盤楽器の調整法は、古典音律の時代を経て、19世紀も半ばを過ぎる頃になると、12等分平均律が台頭してきました。これは1オクターヴを12個の等しい半音に分割する合理的な方法で、現在殆んどの鍵盤楽器に採用されています。

現在の12等分平均律の鍵盤楽器は半音しか無いので、どこを取っても等しい音程、どこから始めても等しい音階、何調で弾いても等しい調性格です。
それにも関わらず、鍵盤楽器に調性格があるという妄想を抱いている人が少なからずいます。それには、主に2つの理由が考えられます。

まず第一は、ピッチの違いと調性格の違いを混同していることです。
12等分平均律ではピッチを上げ下げしても、音楽が平行移動するだけなので、音程関係は変わりません。
音程関係が変わったときにはじめて、調性格が変わるのですから、それは不等分音律においてしか起こらないことです。

第二は楽譜の調号に固定観念を抱いていることです。
それは楽譜の中に存在しているだけです。
楽譜は楽譜であって、単なる記号に過ぎず、音楽ではないのです。
音響としての調性格を存在せしめるためには、不等分音律の鍵盤楽器で弾かなくてはならないはずです。
しかし、多くのピアニストが平均律の鍵盤楽器を弾いています。

12等分平均律は無理数ですから、厳密にいえば等分ではないという理屈も言えないことはありませんが、その誤差をもって調性格とは言えないでしょう。

クラヴァールスクリーボ

クラヴァールスクリーボと言われてもそのスペルと意味が想像できないのは当たり前です。何故ならこれはエスペラント語だからです。
クラヴァールスクリーボとはオランダ人のポトが創成した鍵盤楽器記譜法の名前です。
1951年にユネスコ国際音楽評議会に提出して世界の批評を求めたものです。

その記譜法とはどんなものか、それは丁度オルゴールの発音部にある金属ロールと思っていただければ結構です。金属ロールの沢山の突起が音符、突起ではじかれて発音する櫛が鍵盤にあたります。
従来の五線記譜法は横に読みますが、クラヴァールスクリーボは金属ロールのように縦に書かれています。

譜表は従来の五線を縦にしたものとは意味が全く異なり、それは視覚的に鍵盤を表した5線です。
すなわち縦に引かれた五線は等間隔ではなく、丁度鍵盤の黒鍵の2本と少し間を開けて黒鍵の3本の間隔になっています。

従来の五線記譜法ではG#が「線」の音符であれば異名同音のA♭は「間」に書きまが、黒鍵五線譜では両方とも同じ黒鍵を表す「線」の上に書くので#♭は必要ありません。
しかも親切に黒鍵線上の音符は黒く塗りつぶされており、弾くべき鍵盤がピアノの黒いキーであることまで表しています。楽譜がピアノの鍵盤を視覚的真似た形で無調的に表わされています。

ここでは黒い音符は黒鍵を白い音符は白鍵を弾くこと表し、音価は音符間の距離だけで示されます。

クラヴァールスクリーボは鍵盤の配列に似せて記譜する方法です。例えばシェーンベルクのピアノ曲のように、すべての音符にいちいち#♭をつけて記譜しなければならないような場合にクラヴァールスクリーボは合理的に弾くべき音を表すのに好都合です。
しかしその合理性も1オクターヴ12個の鍵盤までで、微分音の記譜まではできません。

クラヴァールスクリーボが多数出版されたというわりには、長年ピアノ教育に携わってきた中で一度も出合うことがありませんでした。あまり普及しなかったのは、楽譜を縦に読むという習慣がこれまでになかったからではないでしょうか。英語のアルファベットを一文字づつ縦に書かれると読む気がしません。

新しい視覚的な鍵盤楽器記譜法として登場した記譜法でしたが、時代は電子音楽や偶然性の音楽でありそれを記譜することには無理があります。
現代音楽の記譜法は作曲家が、独自の読譜ルールを説明書きするという図形楽譜の方向に進み、一定の記譜法が未だ見出されていません。
21世紀の記譜法を提案します。、イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集

バッハ 平均律クラヴィーア曲集  イコール式版

平均律クラヴィーア曲集全48曲をハ長調とイ短調に限定して移調したイコール式版
新バッハ全集(ベーレンライター版)を基にして編集

あなたも、いくらでも好きなだけの名曲を弾ける世界を体験することができます。
もし、あなたがご存知の名曲を演奏したいと思っておられるなら、このページは今までご覧になった中であなたに最も重要なメッセージをお伝えすることになるでしょう。
http://blog.livedoor.jp/equal_shiki/

多声音楽は連弾で弾こう



鍵盤楽器は一人で3声、4声を受け持って多声音楽を演奏しますが、管楽器や声楽はその特性から1声しか受け持つことができません。人間の頭は一つしかないのですから、一人1声が基本です。無理して3声4声を弾いても、頭の中はテーマが出てくるパートを綱渡りしているだけで、結局一度に1声しか聞いていない場合が少なくありません。曲の最初から最後まで、たった一つの声部でさえ1音もらさず横の流れを聞き取って演奏できる人は稀です。
鍵盤楽器も無理せず、アンサンブルで多声音楽を楽しみましょう。
イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集は全曲をハ長調とイ短調に移調しました。鍵盤曲の私の音楽の原点は父と一緒に1台のピアノで連弾したバッハの多声音楽です。
父は大阪フィル創立名誉指揮者の朝比奈隆が学んだ京都大学交響楽団でクラリネットを吹いていました。朝比奈隆は京都大学法学部を卒業後、再度文学部に入学するなどして、京都大学交響楽団指揮者のメッテルに学び、やがてプロの指揮者になってしまった方です。朝比奈隆は世界中のオーケストラを指揮し、グレン・グールド、メニューヒン、パールマンなどと協演しました。また音楽人としては山田耕作以来2人目の文化勲章受賞者として、93歳まで現役指揮者を通すという輝かしい生涯でした。
父は先輩の朝比奈隆を尊敬しながら、大学ではクラリネット、家ではオルガンに親しみました。卒業後はOBオーケストラを楽しみにし、仕事で海外に出張した時は必ずその地のオーケストラを聴いてくるという愛好家でした。
私が父から受け継いだものを一言で言うと「アタマ、アタマ!」です。
この言葉は朝比奈隆の師であるメッテルの言葉です。メッテルはウクライナに生まれ、大学で法律を学んで弁護士になり、その後、リムスキー=コルサコフやグラズノフについて音楽を学びました。奥さんが宝塚歌劇団の日本人であった縁で、京都大学交響楽団の指揮者になった人です。

音楽を愛した父と子供だった私は、ちょっと変わったピアノ連弾をよくやりました。それはピアノソロ用の楽譜を上段と下段に分けて2人で分担して弾く連弾です。この方法は片手練習の手軽さで曲全体が音になるのでブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ、バッハ、その他の名曲を簡単に楽しむことができました。とくに多声音楽の声部進行には連弾が最適な方法でしたので、子供だった私でも直感的にバッハの声部進行を学び取ることができました。その時以来バッハのフーガに魅せられ、多声音楽意外のものを物足りなく感じるようになりました。

バッハのフーガは難しいとされて初心者のレッスンでは敬遠されがちですが、連弾で弾けば簡単です。管楽器や声楽の人は最初から1声分しか担当できません。ところが鍵盤楽器奏者は頭が一つしか無いのに、一人で幾つもの声部を弾かなくてはなりません。それ故にテーマばかりを拾って繋ぐパッチワークのような演奏になり勝ちですが、連弾で弾けば簡単に声部進行を正しく理解できます。

一人ですべての声部を弾く醍醐味も捨て難いものですが、アンサンブルの形で弾く楽しみはまた格別なものがあります。
最高峰である「バッハ 平均律クラヴィーア曲集」を是非アンサンブルでお弾きください。カワイ出版のご協力を得て、世界に類を見ない、バッハ平均律クラヴィーア曲集を発売中。http://blog.livedoor.jp/equal_shiki/

調を表す#と♭はもう要らない

ベートーベンの悲愴ソナタは調号の♭が3つ付いたハ短調です。ベートーベンに限って言えば、ハ短調は悲劇的な感情に満ちた作品を支配しています。

これはベートーベンが作曲する際に弾いたピアノがキルンベルガー音律であったことと深い関係があります。キルンベルガー音律のハ短調はピュタゴラスに近い主和音と中全音律に近い属和音を持ちます。これらの特徴が、ベートーベンにとっては悲劇的な感情と強く結びついていたのでしょう。

もし、ベートーベンが平均律のピアノで作曲していたらどうなったでしょうか。平均律は主和音も属和音もすべての和音が同じ響きをもつモノトーンの世界です。すべての調が均一ですからハ短調だけが悲劇的なわけでも何でもありません。平均律に調性格は存在しません。

ベートーベンが調にこだったのは調性格が存在した証拠です。
つまり、調性格が存在する不等分音律のピアノで作曲したからに他なりません。

平均律のピアノが普及したのは大体ドビュッシー以降ですから、古典派やロマン派の作曲家の殆どは不等分音律のピアノで作曲したことになります。

現在、私たちは平均律のピアノを弾いています。平均律に調性格は存在しないので、ベートーベンの悲愴ソナタをハ短調で弾いてもその他の調と比べて、特に悲劇的な感情が感じられるわけではありません。悲愴ソナタを何調で弾いても同じです。悲愴的な感情は和音や旋律にあるのであって、ハ短調という調にあるわけではありません。

奏いう訳でイコール式はすべての調性音楽をハ長調とイ短調に移調して考える合理的な記譜法を用います。すべての長調はハ長調にすべての短調はイ短調に移調しますから、ハ短調の悲愴ソナタはイ短調に移調して弾きます。ハ短調とイ短調は短3度離れますが、そのことによって音楽の和音や旋律は変わるのではありません。

音楽は音の高さ=周波数で変わるのではなく、和音や旋律で変わるのです。
例えばバッハは普通より短3度高く調律されたオルガンを平気で弾きました。これは周波数からいえばイ短調からハ短調に高くしたようなものですが、音楽は何ら変わりません。

イコール式は提案します。
これからはすべての調性音楽をハ長調とイ短調で弾きましょう。
すべての調はハ長調とイ短調からの移調として考えましょう。
もう調を表す#や♭は要りません。




バッハ時代のソルミゼーション

バッハが平均律クラヴィーア曲集第1巻の巻頭に書いた「長3度ドレミ、短3度レミファに該当するすべての全音と半音によるプレリュードとフーガ」と言う表現にバッハ時代のソルミゼーションが感じられます。バッハの巻頭の言葉は24すべての調を網羅した曲集と言う意味ですが、現代人なら、長3度をドレミ、短3度をラシドと書くのではないでしょうか。では何故バッハは短調を意味する短3度を「ラシド」ではなく「レミファ」と書いたのでしょうか。

これについて考えるにはグイードが考案したとされる6音音列のヘクサコードを簡単に説明しなくてはなりません。
ヘクサコードとは2オクターヴと6度に渡る声域を「ドレミファソラ」の6音を使ってムタツィオ(階名の読み替え)しながら歌う実践的な階名唱法です。ヘクサコードには自然、硬い、軟らかいの3種類があります。自然なヘクサコードはハ長調、硬いヘクサコードはト長調、軟らかいヘクサコードはヘ長調と考えると理解し易いでしょう。

ヘクサコードでは「ミファ」は必ず半音になります。また現在の「シ」に当たる音はフラットが付くときは「ファ」、ナチュラルあるいはシャープのときは「ミ」と歌います。余談になりますが、ナチュラルとシャープは同じ意味として用いられた時期もありました。

バッハの弟子であるアグリーコラ(1702〜74)が書いた「歌唱芸術の手引き」によるとムタツィオは上昇のときは階名「レ」によっておこなわれ、下降のときは階名「ラ」によっておこなわれました。また、バッハ時代の人々はハ調以外の長音階はすべてハ調からの移調として歌い、イ調以外の短音階はすべてイ調からの移調として歌いました

アグリーコラの方法で自然ヘクサコードから硬いヘクサコードに「レ」でムタツィオすると「ドレミファソレミファ」となります。これが今日で言う7音音列であるハ長調音階の歌い方です。

次に硬いヘクサコードから自然なヘクサコードに「レ」でムタツィオすると「レミファレミファソラ」となります。これが今日で言うイ短調自然音階の歌い方です。

ヘクサコードの大まかな説明に留めましたが、これでバッハが平均律クラヴィーア曲集1巻の巻頭に書いた「短3度レミファ」の意味がお分かりいただけたかと思います。バッハの時代、今日で言う短調は「レミファ」と階名唱しました。そもそもヘクサコードの中に「シ」と言うシラブルがないのですから短調を「ラシド」と階名唱することは不可能でした。

イコール式はすべての調をハ長調とイ短調から移調したものとして考えます。
バッハ平均律クラヴィーア曲集全48曲をハ長調とイ短調に移調したイコール式版を出版しました。





ドレミの意味

誰もが知っているドレミにはどんな意味があるのでしょうか。
音の名前であることは確かですが、音の名前には、音の機能を表す「階名」と、音の高さを表す「音名」の2通りがあります。異なる意味を持つ2つのものが同じドレミで歌われるのは何故なのでしょうか。

歴史上初めてドレミを考案したのは995年頃に生まれたとされるグィードです。彼はイタリアのベネディクト修道院で学んだ修道士で、少年聖歌隊の指導にあたり、中世教会の音楽理論を大成させた人として有名です。彼はドレミを使って、階名唱法を考案しました。ドレミというシラブルは「聖ヨハネの賛歌」から取ったものです。この歌は各行の最初の音が音階順に上がっていくことから、各行の頭の文字を取ってドレミ〜と並べました。従って、各行の頭の文字を連ねたドレミ〜そのものに詩的な意味があるわけではありません。グィードが発案したドレミは今日も音階の組織を表す「階名」として重要な意味を持っています。尚、階名唱法を容易にし、音階の組織を覚え易くする「グィードの手」は彼の名前を取って名付けられたものです。

ここで大切なことは、ドレミは本来、音階の組織を表す「階名」であったということです。16世紀までのドレミは6音の音階であるヘクサコードに基づいて実践されました。その後第7音の「シ」を加えたソルミゼーションがこれに代わりました。「ド」は音階の開始音であり主音としての機能を持ち、「シ」は導音としての機能を持つなど、ドレミはそれぞれの機能を表しています。「ド」には「ド」の味わいが「シ」には「シ」の味わいがあるのです。

「ド」は主音の機能を表す名前です。従って「ド」の音の高さとは関係がありません。調によって「ド」の音の高さが上下しても「ド」の味わいが変わるわけではありません。

ところが、鍵盤楽器奏者は「ド」の味わいを持っている音でっても、音の高さが「ド」でない場合は「ド」以外のシラブルで認識します。これは音名唱法あるいは固定ド読みと称されるもので、「ド」の味わいを無視して歌う方法です。
この方法は例えてみれば、人参の味なのに、舌の感覚を裏切って大根や胡瓜や茄子と呼ばなくてはならないという誠に不合理なものです。

音の機能を表す「階名」に対して、音の高さを表す「音名」を、外国ではアルファベットのABCDEFGを用いることで峻別しています。日本のように「階名」も「音名」も区別なくドレミで歌うのは混乱を招くだけで百害あって一利なしです。外国では「階名」にはドレミ、「音名」には「ラララ」等と異なるシラブルを用います。外国人にとってはABCDEFGの文字だけが「音名」なので、「音名」を歌うときは母音等を用いるのです。

日本でアルファベットに相当するものはイロハニホヘトですが、これも外国と同様に文字だけが「音名」として認識されています。イロハは主にイ長調やロ短調といった調性を表す時に用いられます。従って「音名」を歌うときは母音等を使うべきでが、嘆かわしいことに日本ではドレミが用いられます。

ドレミを「階名」と「音名」とに混同して使うことは明らかな間違いです。ひいては「グィードの手」以来大切にしてきた「階名唱法」としてのドレミを骨抜きにしてしまう大問題です。

音階組織の中で各音が持つ機能を表す「階名」を大切にしながら、しかも「音名」としても歌うことが可能な調はハ長調とイ短調の2つだけです。イコール式はまさにこの理由からハ長調とイ短調に限定した教授法を提案しています。

ピアノの「真ん中のド」を初めて教える時に是非先生方に注意していただきたいことは、ハ長調の主音としての「階名」の「ド」であるということを生徒に教えることです。この指導が行われないまま、単に「音名」としての「ド」と教えられた生徒は音楽を正確に理解する道を閉ざされてしまいます。最初の段階から音楽理論と共にピアノを教えるためには「階名」が大切です。イコール式は、ドレミを音名として教授することに警鐘を鳴らし、正しい音楽の理解を支援するものです。
やわらかなバッハの会
〒753-0072 山口県山口市大手町
3−6 大手町ビル4F
毎週土曜日18:00 PM
毎週金曜日10:00 AM
毎月1回   対話集会18:00 PM
都合により日時を変更する場合もありますので初めての方は事前にご連絡ください

お問い合わせはこちら

マンスリーバッハ (第2日曜日)
午後4時〜6〜時
場所:新山口駅構内

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ
2019年3月21日
場所:新山口駅構内

<プロフィール>
やわらかなバッハの会 
会長 橋本絹代
新しい鍵盤楽器記譜法「イコール式」の創始者

子供の頃、父と一緒に、バッハのフーガをピアノ分担奏で弾くことによって、声部進行を直感的に学び取り
バッハのとりこになった。
初級者でもバッハのフーガを楽む方法を提案している。

2007年 世界で初めての楽譜《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 

2009 音楽書『やわらかなバッハ』春秋社

2013「やわらかなバッハの会」設立

2014 バッハ礼讃音楽祭 (於 旧県会議事堂) 毎年開催

2016 バッハ・イン・ザ・サブウェイズ (於 新山口駅構内)毎年開催

2017 Bach Network UK 対話会議研究発表 (於 ケンブリッジ大学)

2017 Prof.Yo Yomita (富田庸) 講演会「バッハを嗜む」主催(於山口大学)

2018 Thomas Cressy 明治150年記念「日本の明治時代におけるバッハ受容」

イコール式とは「鍵盤楽器においてどの調も皆同じ」という意味です。
なぜなら12等分平均律の鍵盤楽器における調性とは、ただ高さのみによって識別される2つの旋法、すなわち長調と短調の性格だけに限られるからです。
12等分平均律は勿論のこと、不等分音律を前提に論じたマッテゾンでさえも「どんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりすることはできない」と述べています。
異名同音、ピッチの変動、バッハの手による移調の試みなどを考慮すれば、《バッハ平均律クラヴィーア曲集》の中の難しい調を簡単な調に移調してまず親しむことが大切です。初級者は更にそれをアンサンブルで楽しむことが大切です。
やわらかなバッハの会は既成概念にとらわれず、自分自身の判断で音楽の本質を探究するところです。


世界唯一! 平均律クラヴィーア曲集の移調
音楽の構造が良く解る










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<イコール式の意味>
*12等分平均律の鍵盤楽器においてはどの調も同じ(イコール)です *フーガの各声部は主従関係ではなく対等(イコール)です *12等分平均律の調律法はイコール・テンペラメントと言います *音名と階名が同じ(イコール)読み方です
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