私の父は、大学のオーケストラでクラリネットを吹いていました。父の先輩にあたる朝比奈隆は法学部を卒業後、また文学部に在籍して学生オケの指揮に熱中し、やがてプロになりました。大阪音楽大学教授、大阪フィルハーモニーの音楽総監督になった偉大な先輩の影響を父も受けていたのか、卒業後も海外出張のついでに海外のオーケストラを聴き歩き、OBオーケストラを楽しみにしていました。

父はピアノも多少弾けましたので、私とピアノ分担奏をして遊んでくれました。ソロで弾くべきピアノ曲を親子で分担して弾くのですから、どんな曲も簡単に弾くことができました。その中でバッハだけは感動のあまり曲の最後まで弾いてもまた最初に戻りたい衝動にかられ、際限なく何度もリピートしたものです。旋律と伴奏に分かれる曲よりも、旋律同志を奏でる曲の方が面白いことを小学生の頃から直感的に感じていました。
シュヴァイツァーの著書「バッハ」の中に次のような言葉があります。「バッハのフーガを練習したことのある子供は(その際どんなに機械的に行われたにせよ)声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感はもう二度と忘れ去られることはないであろう。そのような子供はどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感ずるであろう」
カッコ内の「その際どんなに機械的に行われたにせよ」というくだりは、アマチュアピアニストと子供の分担奏でも、バッハはどのように演奏してもその本質は伝わるということだと思います。大人になってからも「この直感は二度と消し去られることはないであろう」という言葉通りバッハの多声音楽の魅力から逃れられないのです。


このような原体験を持つ私は、「やわらかなバッハの会」で沢山の人とバッハのフーガの分担奏を楽しんでいます。声部進行を正しく学ぶには1声を受け持つアンサンブルが一番近道です。鍵盤楽器に限らず、多種の楽器や歌を音域に応じて自由に重ねます。異種混合的な音響の多声音楽が響きます。だれもかれも夢中になって自分のパートを演奏します。初歩者にとって多声音楽は楽譜からちょっとでも目を離すと脱落してしまい、途中復帰するのが難しいものです。自分の旋律と他の旋律が重なり合う線的音響に満たされた中で、この世のものとは思えない美的空間が生まれます。そこでは自分のつまらない感情や世間の雑事を全く忘れて音楽だけに熱中できるのです。バッハの超越的音楽に心が癒されます。演奏が終わると皆幸せそうな笑顔で「素晴らしい!」と心からバッハの音楽に感動しています。