明治維新によって西洋音楽が我が国にもたらされた。バッハの音楽の日本における初演は先行研究では明治
21年 (1890年)とされてきた。ところが英国のバッハ研究者 Thomas Cressy 氏の研究によって、バッハの日本初演が明治2年(1869年)であったことが初めて明らかにされた。日本のバッハ受容史を約20年も塗り替えたことになる。

これは私たちが明治維新150年を記念して開催した「バッハ礼讃音楽祭」の中で、Thomas Cressy 氏 が 「日本の明治時代におけるバッハ受容」 と題する講演において明らかにしたものである。

ご承知のように明治維新は1868年、その僅か1年後に日本でバッハの音楽が演奏されていたとは驚きである。
井沢修二がアメリカに留学したのは1875年、それより先んじること6年前にバッハの音楽が既に日本で演奏されていたというのである。アメリカ留学で音楽を学んで帰国した井沢修二は音楽取調掛を開設、アメリカからメーソンを招き、小学唱歌集の編纂に従事し、東京音楽学校を設立した。設立は明治1887年である。一般にバッハの音楽は東京音楽学校設立の後に演奏されたと考えられてきた。先行研究によるとバッハの日本初演は1990年とされている。

Thomas Cressy  氏の英字新聞その等の資料研究の結果、バッハの日本初演は横浜の外国人居留地、外国人の演奏、1869年11月6日であったと判明した。明治維新から僅か1年目の出来事だった。演奏曲目はバッハ作曲 《ヴァイオリンとピアノのための前奏曲》  Thomas Cressy 氏によると、これは シューマンがヴァイオリン と ピアノのために編曲した 《 無伴奏 ヴァイオリン パルティータ 第3番 》のプレリュードだという。

その後もコンサートが行われ、グノーがバッハの曲を編曲した《アヴェ・マリア》 や 《フーガ ト短調》 の演奏が高い人気を得ていたという。

Thomas Cressy 氏 は英国でバッハ研究をしていた時、小林義武、富田庸などの著名な日本人バッハ研究者が多いことを知り、なぜ日本にこれほど優れたバッハ研究者がいるのかと日本に興味をお持ちになった。そして彼は日本におけるバッハ受容を研究するために東京芸術大学で国費留学生として学び、オクスフォード大学、コーネル大学で更なる研究を続けておられる。彼は日本語能力検定を取得されており、講演はすべて日本語でお話になった。日本におけるバッハ受容について今後の研究に期待したい。