ブゾーニ (Busoni 1866〜1924) は ピアノのヴィルトゥオーソとして名を成し、作曲家としても多数の曲を書いた。編曲も多く、中でもバッハ作品のピアノ用編曲は有名である。ブゾーニは、19世紀末のロマン派音楽は動脈硬化を起こし、もはや袋小路に入ったとしてロマン派音楽の終焉を予見し、「バッハへの回帰」を呼びかけた。

ブゾーニは言う。
「バッハの作品は幾世代にも先んじ、時代を超える巨大な姿を呈している。ハイドンとモーツァルトのピアノ曲は実をいうとバッハ以上にわれわれから遠く離れて位置し、彼らの時代の枠に完全に適合している。ハイドンとモーツァルトはどのようにしても現代のピアノ様式には適合せず、ただ原曲のみがそれらの表現内容に相応しい」
ハイドンやモーツァルトはバッハより新しい。しかしブゾーニはバッハの方が、実は新しいという。ハイドンやモーツァルトは古典派という音楽史の時代区分の枠にはまっているが、バッハはバロックという時代区分の枠を超えて巨大な姿を呈しているというわけである。

この言葉はブゾーニ校訂版 「適正律クラヴィーア曲集」の序文にある。「適正律」とは聞きなれない言葉だと思うが、バッハの書いたドイツ語を正しく翻訳するとこうなる。我が国では長年「平均律クラヴィーア曲集」と呼ばれているが、これが誤訳であることが一般的にも知られるようになってきた。表題の翻訳に関しては拙著『やわらかなバッハ』で詳しく述べているのでここでは触れないが、そろそろ「適正律平均律クラヴィーア曲集」と呼んでも通用する時代になってきたと思うので、このブログでも「適正律クラヴィーア曲集」と呼ぶことにする。

ブゾーニは10年の歳月を費やして「適正律クラヴィーア曲集」を研究し、ブゾーニ版を出版した。ブゾーニ版の特徴の一つは、プレリュードとフーガのペアを差し替えたことである。彼は1巻変ホ長調プレリュードの後に2巻変ホ長調のフーガを持ってきた。1巻と2巻のフーガを差し替えたのである。何の目的だろうか?

それを考えるには、まずそれぞれの曲の性格を調べる必要があるだろう。

1巻7番変ホ長調プレリュード・・・・のびのびと奏されるプレアンブレムに続いて自由なフゲッタとフーガ。大きな構成の真摯な曲。力強さ、男性的

1巻7番変ホ長調フーガ・・・無邪気な明るさ、軽快、優美な貴婦人の振る舞い

2巻7番変ホ長調プレリュード・・・・薄い響きの草書体、繊細、ゆるやかに流れる、明るさと陰りが同居

2巻7番変ホ長調フーガ・・・重々しく身を固めた男性的な
コラールフーガ、情熱、活気あふれる楷書体

この4曲がすべて変ホ長調であるとはとうてい考えられないほど多様である。否むしろ対照的という方が当たっているかもしれない。男性的対女性的、草書体対楷書体など。
ブゾーニは多分、1巻の男性的なプレリュードに、2巻の男性的な楷書体のフーガをペアにすることによって性格の統一を図ったのであろう。同様に、2巻の女性的なプレリュードには1巻の女性的な草書体フーガが似合うと考えたのであろう。

もし調によって一定の調性格があるとしたら、変ホ長調は男性的なのか女性的なのか、どっちかと問いたくなる。それでは調性格論で有名なマッテゾンとシューバルトに変ホ長調の性格を聞いてみることにしよう。
マッテゾンは変ホ長調の性格を「非常に悲愴、官能的な豊かさを嫌う」と述べている。シューバルトは「愛、敬虔、神とのくつろいだ対話、3つのフラットをもって三位一体を表す」と述べた。

この2人も変ホ長調に対する感性に共通点は見られない。マッテゾンもシューバルも、そして「適正律クラヴィーア曲集」も、変ホ長調の性格はばらばらである。マッテゾンは後に 「調性格は恣意的である」として、自らの調性格論を否定したが、それもむべなるかなである。

話をブゾーニも戻そう。ブゾーニは、「適正律クラヴィーア曲集」の研究に10年を費やしたというだけあって、24の調に、それぞれの調性格など存在しないことを理解していたのであろう。変ホ長調を一つは男性的なペアで、他方は女性的なペアでまとめ、変ホ長調に対照的な調性格のあることを証明してみせたのである。

変ホ長調のプレリュードとフーガを差し替えたことに対して、トーヴィー(1875〜1940 音楽学者)は反対意見を表明した。賛成、反対など歴史的に有名なピアニストや音楽学者の意見は色々である。
また2巻変ホ長調フーガについては、ニ長調版が早期バ―ジョンとして残っている。バーレンライター版の354ページに ニ長調で書かれたフーガが掲載されている。

多様な見解があり何を信じたら良いのかわからない。だから大事なことは、固定観念にとらわれず、権威主義に陥らず、バッハの意図を自分の頭で考えることしかないようである、。

バッハの時代はまだ教会旋法の感覚が生きており、われわれの感覚とは大きく違っていた。われわれはバッハ以前の音楽=教会旋法をほとんど耳にすることがない。そして、バッハの時代には知る由もなかったモーツァルト、ベートーヴェン、、ドビュッシー、シェーンベルクの音楽と比較してバッハの音楽を聴くのである。われわれの感覚は最初に長調と短調ありきであり、近代和声学が音楽の文法であり、調が音楽の文脈であり、調の拡大と崩壊を経験した。バッハ以前は教会旋法ありきであり、対位法が音楽の文法であった。バッハはまさにその分水嶺である。

バッハは 「適正律クラヴィーア曲集」 の扉に次のように書いた。「長3度 ドレミ に関して、或いは短3度 レミファ に該当するすべての全音と半音によるプレリュードとフーガ」

もしバッハがこの曲集を長調と短調で書いたのなら、「短3度 ラシド」 となるはずである。ところがバッハは「短3度レミファ」と書いており、基本的にドリア旋法が頭の中にあったと想像できる。
「長3度 ドレミ」はイオニア旋法に当たる。

ではここで旋法の特有なアフェクトをプリンツ(Prinz 1641〜1717)に尋ねてみよう。
プリンツによるとイオニア旋法は「陽気で活発」、ドリア旋法は「温和、敬虔」と記述されている。
教会旋法は終止音が「ハ」であるところのハ調イオニアも、ニ調イオニア、も何調でも等しく「陽気で活発」なのである。
イオニア旋法は後に「長調」、ドリア旋法は後に「短調」へと収斂される。「適正律クラヴィーア曲集」にはこの2つの旋法の性格があるのみである。音階終止音が12個あり、それぞれに長調と短調があるから合計24の調性格があると考えるのは間違いである。

「適正律クラヴィーア曲集」は、イオニア旋法(=長調)と、ドリア旋法(=短調) の、全音と半音のプレリュードとフーガということになるのである。