ピッチとは音の高さ、周波数のことである。オーケストラの演奏前にオーボエが a=440Hz をロングトーンで出して種々の楽器のピッチを合わせる。絶対音感教育で使用されるピアノも 同じ a=440Hz である。しかし近年のオーケストラでは輝かしい響きを求めてかピッチは上昇傾向にあり、 a=445Hz ぐらい高く合わせることもある。逆に古楽の世界ではa=415Hz ぐらい低く合わせる。a=440Hz のピアノによる絶対音感を身に着けた人達は、 a つまり 「ラ」 の音にどれくらいの幅まで許容できるのだろうか。こう考えると絶対音感教育は非絶対のように思われる。

芥川也寸志(1925〜98)は芥川龍之介の息子で戦後の日本を代表する作曲家の一人である。彼は「若い頃の標準ピッチが、自宅の住所、田端町435番地と同じ435Hzであった」と書いている。(芥川也寸志著 『音楽の基礎』 P.27 ) 彼の幼いころの日本には、未だ絶対音感教育のa=440Hz はなかったのであろう。

バッハが活躍した時代の18世紀はどうであったか。当時はコーアトーン と カンマートーン 2つのピッチ体系が存在していた。コーアトーンは絶対音感教育の a=440Hz より高く、カンマ―トーンは低い。世界標準音をa=440Hz と決めたのは最近のこと20世紀になってからである。バッハの時代に絶対音感の基準となる標準音もなかったし、絶対音感という概念すら無かった。それどころか、バッハの時代は街々によってピッチは違っていた。さらに時代をさかのぼると、歌手の都合の良いピッチが採用され、楽譜と実際の音の高さを一致させるという考え方は存在しなかった。

ここで平均律クラヴィーア曲集第1巻 3番 嬰ハ長調 プレリュードを例にとってピッチと調の関係について考えてみたい。
バッハの時代、嬰ハ長調はその効果があまりまだ知られていない調性の中に数えられ、バッハもこの調はWTC(平均律クラヴィーア曲集)でしか使用してない。何度も言うが、WTC(平均律クラヴィーア曲集)は理論上考えられるすべての調を網羅することが目的であって、調性格を確立する意図を14バッハは持ってなかった。平均律クラヴィーア曲集以外に嬰ハ長調で書かねばならぬ理由もなかった。当時一般的だったミーントーン調律で使用可能な調は大方14の調であった。嬰ハ長調を採用するにあたって、新たな調性格が作り出されたはずもない。嬰ハ長調はシャープが7個もついている高い調で、この曲は2つの声部が位置を交換しながら軽やかに舞い遊ぶ天使たちの輪舞のようである。もし、この曲を、電子ピアノのトランスポーズを使ってピッチを半音下げて演奏したらどうだろうか。勿論弾く楽譜はシャープ7個のままである。実はピッチを半音下げると古楽のピッチ、つまり丁度バッハの時代のピッチになる。演奏して出て来る音は絶対音感者の耳にはハ長調に聞こえる。しかし楽譜はシャープ7個で黒鍵ばかりの演奏である。絶対音感者はピッチ=調と考えているので、楽譜と鍵盤が嬰ハ長調でも耳はハ長調と感じるだろう。ピッチは歴史的に変動してきたことを先に述べたが、古来から調というものはピッチと無関係に存在してきた。調は楽譜と鍵盤の中に存在している。このことを忘れて、ピッチ=調と考えてしまう絶対音感者が多いようである。

現在はピッチと調を同一視する傾向が強くなってしまったが、ピッチと調は全く別の概念であることを忘れてはいけない。
さらに深刻な問題は、調の意味するものが現在の等分平均律に存在しないことである。ただ、ピッチによって区別される名目上の調が存在するだけである。等分平均律を前提にa=440Hz で覚え込んだピッチ感覚をもってして調を判別し、それがプロの持つべき優れた音感であり、調性格も聞き分けられると主張することは土台から崩壊している。さらに一層不可解なのは、相対音感者までがピッチと調を同一視することである。

絶対音感者は嬰ハ長調の曲を半音下げてハ長調のピッチで聞こえてくる場合、それを聞いて「嬰ハ長調はキラキラ輝く調性だが、ピッチを半音下げてハ長調になると、無関心であまり魅力のない作品になってしまう」と主張できるのだろうか。逆にピッチを半音上げてニ長調のピッチで聞こえてくれば「祝典行進曲風になった」と言えるのだろうか。否、もともと等分平均律はどの調も均等であり、ピッチ=調によって性格が変わることはないはずだ。確かにWTC(平均律クラヴィーア曲集)第1巻3番嬰ハ長調はキラキラした軽やかな曲であるが、それは嬰ハ長調というピッチに起因するのではない。どのピッチどの調で演奏してもキラキラ輝くのである。その原因は曲の性格そのものの中にある。

バッハは自作のカンタータを演奏する際、オルガンと他の楽器のピッチを揃えるためにオルガンのパート譜を移調した。なぜならオルガンは容易にピッチを変えられないので、楽譜の方を移調したのである。バッハが自由に移調したように、われわれも、もう少し自由に移調してよいのではないだろうか。