「絶対音感」はよく耳にする言葉であり、音楽家のパスポートとさえ考えている人もいるだろう。しかし、「相対音感」という言葉もあることをを知っている人は少ない。さらにプロや音大生は「相対音感」の方が多いと云うことを知っている人はもっと少ないだろう。「相対音感」は作曲家の方法であり、声楽など自分で音程を取る人達は「相対音感」が多く、自分で音程を取らないピアニストは「絶対音感」が多い傾向にある。

ピアノは等分平均律で調律されているので、このピアノの音程に即して覚える絶対音感は、等分平均律の音感を持つことになる。絶対音感保持者はピアノの音は勿論のこと、他の楽音、鳥の鳴き声、サイレンの音、コップをスプーンで叩いた音など、すべての音がピアノの鍵盤に匹敵して聞こえる。すべての音が「ドレミ」に聞こえる。とはいうものの、世の中のすべての音が、「ドレミ」の音程にドンピシャではない。「ミとファ」の間の音もある。絶対音感保持者の中には、1Hrz の違いごとに聞き分ける人もいれば、大体わかる程度の人もあり個人差が大きい。

我が国においては戦後急速に、絶対音感教育が盛んになった。日本人は皆、絶対音感が音楽の英才教育だと思い込み、全国の楽器メーカーの音楽教室や個人のピアノ教室で、さかんに 「C―E―G、ツェ・エー・ゲー」と和音を当てさせる教育が行われた。ピアノで乱暴に和音を叩き、等分平均律の音程を子供たちの耳に刷り込むことが行われた。

桐朋で使用されていた《子供のためのハーモニー聴音》は長年、版を重ねロングセラーになった。付録の和音表を見ると1番「ツェ・ーエー・ゲー」から始まり、416番「♯デー、♯エー、♯♯ゲー、♯ハー」まである。これを教育ママたちが、何番までわが子が覚えられたかを競い合い、その結果が音楽家への道につながると信じていた。《子供のためのハーモニー聴音》のはじめに「音感訓練の意味」とあり、そこには「絶対音感はこれからの音楽家にとって必須ともいうべき有利な条件で、音感訓練は少なくともその確実な取得を目標とすべきである」と書かれている。また、「現実にはよく調律されたピアノで十分である。a’音を正しく440振動とする。狂ったピアノでの訓練はむしろ誤った音感を養成する結果となり、その矯正は私たちの経験に徴しても一仕事だから、くれぐれも常に楽器を正しく調律しておくことに意を用いられたい」とある。これを信じて絶対音感教育は繰り広げられた。

《子供のためのハーモニー聴音》は1978年に、柴田南雄(1916〜96)他が編集したものである。彼は「音楽家に必要な能力はきわめて多面的で、たとえ和音聴音やソルフェージュにおいて能力が劣っていても、独創的な表現力を持ち、リズム感がすぐれ、演奏技術がひじょうに高ければ前者の欠をじゅうぶんに補うことができる訳で、音楽大学の入試などで聴音やソルフェージュの検定を重視して、その出来によって志願者をふるい落とす今日の傾向は行きすぎではないかと思う。もしこの本が過去においてそうした風潮に少しでも力を貸したとしたら、直ちに絶版にしてしまいたいと思うくらいである」と述べている。つまり絶対音感があれば聴音やソルフェージュは良い点が取れるが、それだけで志願者を選ぶのは問題であるというのだ。

《子供のためのハーモニー聴音》は、もともとピアニスト園田高弘(1928〜2004)の父である園田清秀が考案した「絶対音早教育」に「桐朋学園子供のための音楽教室」が注目し導入したものである。以後、同教室が日本における絶対音感教育の牙城となる。園田高弘は「絶対音教育」を受けた日本人第1号であるが、本人は「言葉ばかりが一人歩きしている」として、「絶対音感教育」とはあえて言わず、父親の命名に従って「絶対音教育」と言っていた。つまり、単なる絶対音がわかる教育であって、音感ではないという主張である。
それでも、後続の人達は園田高弘の真意を汲み取ることなく絶対音感教育に走り、「このCDはハ長調の曲がロ長調になっているから気持ち悪い」とか「相対音感で歌うのは頭が混乱する」と言うようになった。その陰で絶対音感を持ち得なかった人達は劣等感を持ち、自分が相対音感であることを隠すようにさえなった。

その後「桐朋学園子供のための音楽教室」は絶対音感訓練の行き過ぎに気づき、既に絶対音感と称するレッスンは止めている。室長の別宮貞雄氏(1922〜2012)は「私は絶対音感訓練の過熱が原因で教室をやめたのです」と語った。当時の生徒であったピアニストの青柳いづみこさんは師の別宮氏に尋ねた。「どうしてあんなに極端な教育をしたのか?」と。師は「我々は皆、絶対音感を持っていなかったので、それがすばらしいと思ってしまったんだね」と答えた。それを聞いて、青柳さんは「思ってしまうのは勝手だが、それで集団訓練された子供の身にもなってほしい。音の高さがすぐにわかるなどということは、専門教育を受けた人間にとってはごく当たり前で、別に特殊技能ともなんとも思っていないのだ。だから『持っている』ことをうらやましがられても困ってしまうし、勝手にコンプレックスを感じられたら、なお困る」と語った。また「二十世紀音楽のすぐれた演奏家を育成するためには役立ったかもしれないが、古典やロマン派など調性音楽を演奏する際にはむしろ障害になっていると思う」という見解も述べている。[最相葉月著 「絶対音感」文庫版解説より 新潮文庫]

現在でもまだ、無条件に絶対音感を絶賛する傾向はあるようだが、音楽家以外の人にその傾向は強い。音楽家の池辺晋一郎氏は「絶対音感は音楽性とは全く関係のない物理的な能力」と述べている。バッハは相対音感であった。バッハの時代には絶対音感という言葉すら存在しなかった。オルガンのピッチは教会ごとに違ったし、標準ピッチは街々によって違った。さらにさかのぼれば、書かれた音符と音の高さは無関係だった。歌手たちが、それぞれ歌いやすい高さで歌うのが当たり前だった。今日の絶対音感の基準となっている世界標準音440Hz=a'(1点ラ) はやっと20世紀になって定められたものである。
絶対音感は特にピアニストにとって大変便利なものである。しかし、あなたは絶対音を知りたいのか、音楽を知りたいのかと問われれば、音楽と答えるだろう。音楽は必ずしも絶対音とイコールではないことを知っておきたいものである。