>筝の調律に関して、アメリカの音楽評論家ピーター・イェーツは、ストラヴィンスキーの逸話を次のように伝えている。
「ある晩、わたしは、この国(アメリカ)へ最近やってきた日本の音楽家の筝の演奏を聴くために、ストラヴィンスキーと何人かを家に招いた。演奏家は、平均律で調律された筝のための現代作品を選んで演奏を始めた。そのあと、同じ調律で古典曲が演奏されたのを聴いて、ストラヴィンスキーは調律が楽器に合っていないと異議を唱えた。ストラヴィンスキーはこの楽器に関する過去の経験もなく、正しい音程による音律も知らなかったが、彼の鋭敏な耳はただちに、この筝奏者が気付かずに何かを忘れているということを、また、筝と音律とは一体であるということを教えてくれたのである」 (「響きの考古学」藤枝守 著)

この逸話の「筝」は平均律で調律されていたため、最初に演奏した現代作品では何の問題もなかったのですが、古典曲の演奏になると調律が適切でないことがストラヴィンスキーによって指摘されました。
つまり、筝の古典曲は三分損益法で作曲されたものなので、現代曲と同じ平均律で演奏すると、本来の曲想が得られないという至極当たり前の話です。

今度は、この逸話の「筝」を「ピアノ」に置き換えて是非もう一度お読みください。
「筝」の逸話はたぶん誰にでもご納得いただけると思いますが、「ピアノ」に置き換えるとどうでしょうか。

ピアノの場合の古典曲とは平均律が一般的になってきた1850年以前に作曲された曲すべてを指します。
多くのピアニストが、バッハやモーツァルトといった古典曲を演奏する時、それらが平均律では作曲されていないということを忘れています。

ピアノの調律が平均律に移行したは音楽の内面的な理由と外面的な理由によります。それは調性の崩壊を経て12音セリーに向かった内面的な理由と、産業革命後にピアノの大量生産時代が始まったという外面的な理由からです。
従って平均律で作曲されたものは近代以降と現代の作品ということになります。

ストラヴィンスキーのように鋭敏な耳を持たない現代のピアニストは、古典曲を平均律で弾くことにあまり抵抗を感じません。
また、多くのピアニストが平均律で弾いても調性格があるという妄想を信じています。
バッハの弟子であったキルンベルガーは「平均律は作曲家に長調にするか、短調にするかの選択しか残さない」と述べました。
調性格は平均律になる前の非平均律で演奏した時に生じるものであると言うことを忘れて調性格妄想に取り付かれているピアニストが多いのです。

弦楽器など、自分で音程を調整しながら演奏する楽器の奏者は調性格があると言えますが、平均律に固定された鍵盤楽器の奏者にとって調性格は存在しません。
平均律が数学的に割り切れない無理数であることから、今日まで完璧な平均律が存在せず、調律師のさじ加減で調律されることも事実ですが、さじ加減が調性格になることは有り得ません。