嬰へ短調の調性格に対しては殆んどの調性格論者がひどく暗いイメージで捉えているようです。

マッテゾン・・・ひどい憂鬱、死に至るものとして偏愛された
シューバルト・・暗い調性、その言葉は悪意であり不満
シュテファニー・悲劇的と思わせる耳をつんざくような響き
リューティー・・(モーツァルトに関して)陰気で悲劇的な瞬間

(ケレタート『音律について(下巻)』竹内ふみ子訳、シンフォニア発行、1999年
P.136参照)

これらの調性格はバッハの時代に一般的だった中全音律などの不等分音律で演奏した場合の嬰へ短調の性格です。
不等分音律は調によって音階構造が違うので調性格が存在しました。

ところが現在の鍵盤楽器はほぼ100%が12等分平均律ですから、すべての調の音階構造が全く同じです。音階構造が全く同じであれば調性格も同じです。

調性格が皆同じで画一的ということは、言い換えると、平均律には調性格が存在しないということになります。平均律で演奏する場合(それは今日ではほぼ100%ですが)、嬰へ短調を他の調で演奏しても調性格は全く変化を受けません。

バッハの平均律クラヴィーア曲集全48曲をハ長調とイ短調に移調した
世界で初めての試み
イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集

ではここで「バッハ平均律クラヴィーア曲集」の中の嬰へ短調を見てみましょう。

1巻No.14 嬰へ短調はプレリュードが悲哀感というよりは厳粛な気分に満ちた2声のフゲッタ、フーガは苦悩を背負ったような重々しい主題が言い知れぬ深い楽想を表しています。

2巻No.14 嬰へ短調のプレリュードは静穏な伴奏にのって高貴でニュアンスに富んだメロディーが奏でられる曲集中屈指の傑作です。フーガはプレリュードと対照的に感情よりも知的な愉楽が高度化された本格的な3重フーガで、厳粛さの内にも大人の華やかさが感じられます。

「バッハ平均律クラヴィーア曲集」の中の嬰へ短調を調べると、調性格論者が述べたところのひどく暗いイメージと一致するものを探すとすれば、それは1巻のフーガだけが当てはまると言えます。その他の嬰へ短調は厳粛、静穏、大人の華やかさといったイメージで暗さは感じられません。

バッハは今日の平均律に非常に近い音律を用いることによって24すべての調を踏破することに成功しました。その前にフィッシャーが成し遂げた20の調を超える音楽史上初の快挙でした。

バッハが24すべての調を聴くに堪えるように自らの手で調律し終えた時、もはやそこには調性格と言えるほど調ごとの違いが存在しないことをバッハ自身が一番よく知っていたのではないでしょうか。

その証拠として一例をあげましょう。
それはバッハの手による移調です。
バッハは平均律クラヴィーア曲集第2巻No17のフーガ(As-Dur)を、ヘ長調の初期稿(Praeludium und Fughetta F-Dur BWV 901)のFughettaから短3度上の変イ長調に移調して平均律クラヴィーア曲集に収められました。(全音ベーレンライター版P.326
参照)

もしバッハの音律が、ヘ長調と変イ長調の間に調性格上の大きな違いがあるものならば、バッハはこのように離れた調に移調することを考えたでしょうか。曲の性格がガラリと変わってしまうような移調をしたでしょうか?
この他にもバッハが移調した例としては、ハ長調初稿から嬰ハ長調に、ニ長調初稿から変ホ長調になどがあります。(全音ベーレンライター版 P.352、P.354 参照)

現在の私たちはバッハ独自の音律より更に調性格が均一になった12等分音律で演奏しています。私たちのピアノにおいて調性格は実態の無いものになっているにもかかわらず、調性格が存在するかのように惑わされないようにしたいものです。
嬰へ短調の調号を消してイ短調で弾く方が音楽を正しく理解することができます。
固定ド読みで嬰へ短調の曲を読んで、それを鍵盤に移し変えるだけの演奏では音楽の正しい理解はできません。