ルソー(1712ー78)は「社会契約論」や「人間不平等起源論」などを書き、フランス革命に多大な精神的影響を及ぼした啓蒙思想家として有名ですが、その一方で、音楽家、小説家としても優れた業績を残しました。作曲家としてはオペラ・ブッファや器楽曲、100曲ほどの歌曲があり、音楽著述家としては「近代音楽論究」や「百科全書」の音楽関係項目執筆などがあります。中でもとりわけユニークな業績は従来の5線記譜法の複雑さに疑問を投げかけた数字譜の考案です。

ルソー考案の数字譜は「音楽のための新記号案」として1742年にパリの学士院で発表されました。彼は従来の5線譜が音部記号、シャープ、フラット、ナチュラル、単純及び複合拍子、全音符、2分音符、8分音符、16分音符、32分音符、全休符、2分休符、4分休符、8分休符、16分休符、32分休符など多数の記号の無駄な組み合わせから成り立っており、これが読譜を難しいものにしていると考えました。
それだけではなく彼の主張の中にはソルフェージュの根幹に関わることが含まれていました。つなわち、彼は「ミーファ」が音楽家の心に自然な形で半音の観念を呼び起こすので、ホ長調における「ミー嬰ファ」を「ミーファ」と歌うことは心を欺き耳に不快感を与えると述べました。ルソーによれば「すべての音が相対的な書き表し方を持てば十分であり、それぞれの音にそれが基音との関係で占める位置を指定すればよい。従ってドレミファソラシは1234567で表わされ、シャープ記号は右肩上がりの線を、フラット記号は右肩下りの線を数字の上に重ねて書く。シャープ、フラットは出現する度に示されるのでナチュラルは不要・・・・」と続きますが数字譜についての詳しい説明はここでは省きます。要するにルソーの新記号案とは1本の線上に7つの数字と簡単な線や点を使うだけですべての楽曲を記譜する方法でした。

発表当時ルソー考案の「音楽のための新記号案」を審査検討したのはアカデミーの物理学者、化学者、天文学者からなる3人でした。ルソーはこの3人が判断した見当違いの評価に不満を持ち、そのことを彼自身が書いた「告白」の中で「3人とも確かに有能の士であったが、しかし1人も音楽を知らず、少なくとも私の案を判断できるほど十分には知らなかった・・・私の方法の最大の利点は移調と音部記号とを廃止することだった」と述べました。

また彼は「数字譜に対する唯一のしっかりした反論はラモー(1683ー1764)によってなされた。私が彼に説明するやいなや、彼はその弱点を見抜いた。」と言いました。当時フランスを代表する機能和声論の大家であったラモーが見抜いた弱点とは「演奏の速さについていけないほどの、精神の働きを要求している」ということでした。つまり、5線記譜法では音符の動きが目に対して描かれるのに対して、数字譜では数字を一つずつ拾って行かなければならないということです。32分音符の速いパッセージを数字譜で書いたらどうなるか想像してみればラモーの指摘の正しさが理解できます。

結局、直ぐにはルソーの新記号案が5線記譜法の世界に革命を起こすことはありませんでしたが、数字譜はまずフランスの教育者たちによって受け継がれました。ガラン(1786ー1821)は数字譜を更に簡素化したメロプラストという初等学年児童のための読譜法を考案しました。これは後にパリ(1798ー1866)とシュヴェ(1804ー64)らによって改良され、ガラン・パリ・シュヴェ法としてヨーロッパに広まりました。イギリスではグラヴァーが「ノリッチ・ソルファ法」を更にカーウェン(1816ー80)が改良して「トニック・ソルファ法」を考案しました。ドイツではフンデッガーが「トニカ・ド唱法」を、ハンガリーではコダーイが教育システムに発展させました。

イコール式の記譜法はルソーが最大の利点とした「移調と音部記号を廃止する」という点で全く同じ利点を持っています。しかし、大きな相違点は数字譜を使わず、従来の5線記譜法を使うことです。従ってイコール式はラモーが見抜いた数字譜の弱点を克服したものです。イコール式は移調と音部記号を廃止し、尚且つ音を5線譜上に一連の動きとして目で見ることができます。イコール式はルソーの数字譜と正式な5線記譜法の長所を併せ持つ記譜法です。