「平均律クラヴィーア曲集」はバッハの死後約50年を経て1801年に初めて出版されました。その約50年の間に「平均律クラヴィーア曲集」の音楽的価値を疑わない息子や多くの弟子たちによって手書きで伝承された。これらの資料が膨大であることは、この曲集が人々から愛されて口コミで面々と伝わっていたことを物語るものです。

そのような筆写譜の一つにウィーンで書かれた「平均律フーガ集」があります。ウィーンの筆写譜については世界的なバッハ研究者である富田庸の「1780年代ウィーンと平均律クラヴィーア曲集第2巻」に詳しく書かれています。

ウィーンの筆写譜はオーストリア公使としてベルリンに派遣されていたスヴィーテン男爵がウィーンに持ち帰った資料が元になっています。スヴィーテン男爵はバッハ自筆譜の初期の編集段階のものをバッハの息子か弟子のキルンベルガー経由の筆写譜でウィーンに持ち込みました。それをウィーンの有名なオルガニストであったアルブレヒツベルガーが1780年頃に筆写しました。アルブレヒツベルガー(1736生)はウィーンのモーツァルトやハイドンと親しく交わり、宗教曲を多数作曲し、音楽理論書を著し、シュテファン大聖堂の楽長として没したオルガニストです。

アルブレヒツベルガーは「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」の中から、18曲のフーガと厳密な対位法で書かれたイ短調のプレリュードを含んだ「平均律フーガ集」を編集しました。このフーガ集に収められた曲のうち4曲はアルブレヒツベルガーによって移調されました。それらはロ長調→ハ長調、嬰へ長調→ヘ長調、変イ長調→ト長調、変ロ短調→イ短調に移調されています。移調のルールは#♭が多く難しい調を半音上げるか下げるかしてより簡単な調にするというものです。彼の移調は馴染みのない難しい調をよく使う簡単な調に移調して、原調とのずれを半音以内に収めるというものでした。

ウィーンの移調譜に対して、イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集は半音上げたり下げたりするのではなく、ハ長調とイ短調に限定して移調したものです。従ってアルブレヒツベルガーとは異なる目的を持っています。イコール式の目的は、単に簡単な調に移調することではなく、相対音感で音楽の構造を分り易く理解することです。ハ長調とイ短調に限定したのは、この2つの調だけが、絶対音感保持者の耳に混乱を与えないで済むからです。例えば簡単な調のヘ長調で移調ド読みする場合、ピッチとしては「ファ」である音を「ド」と歌わなくてはならないという混乱が起こってしまいます。またその前提として「ファ」を「ド」と読み替える移動ド読みの煩わしさもあります。イコール式の名前の由来はハ長調とイ短調が「移動ド読み=イコール=固定ド読み」であるということです。イコール式は相対音感育成の目的を持つもので、いわゆる移動ド読みとは違います。何故ならバッハのフーガなど複雑な曲ほど頻繁な転調や復調のために移動ド読みが困難になるからです。
現在のピアノ教授法は移動ド読みが困難であるか、あるいは不可能という理由で調性音楽も無調の音楽もありとあらゆる音楽を固定ド読みで指導するのが一般的です。幸か不幸か、自ら音程を作らなくてもキーを叩けば即座に目的の音が出るというピアノの特性が固定ド読み鍵盤楽器教授法を支援する要因の一つとなってきました。現在の教授法は生徒が絶対音感を持っていても持っていなくても、そんなことはおかまいなし、押しなべて固定ド読みで行われることが多いのです。
イコール式はこれに警鐘をならし、相対音感によるハ長調とイ短調限定の鍵盤楽器教授法によって音楽の構造を理解することが最初の近道であることを提唱するものです。