1737年、バッハ52歳の時、進歩的な音楽雑誌の最新号はバッハを猛攻撃する記事を掲載しました。それはバッハ批判で有名な新進の音楽評論家シャイベが書いたものでした。シャイベは、バッハの手の込んだバロック風な作風を古臭い音楽として排斥し、もっと単純で分りやすい音楽を求める若い世代の美学を代表する音楽雑誌の編集者でもありました。彼がバッハのことを皮肉を込めて「優れた楽士」と書いたのです。音楽雑誌に書かれたバッハ批判の中で、バッハにとって最も侮辱的だたのは「楽士」という言葉でした。

この「楽士」という言葉に対してバッハ擁護派のライプツッヒ大学講師ビルンバウムが猛反撃に出ました。その内容についてはバッハ・アルヒーフ所長そしてハーヴァード大学教授のヴォルフの著書から引用させていただくとビルンバウムの反撃はおよそ次のようなものでした。「楽士と言う語は一般に、専ら音楽の実践と言う一形態しか主要な業績がない人々に用いられる語であり、そういう人々は他の人々が書いた作品を楽器によって音にするという目的のために雇われる。実際、この種の人々すべてに使われることすらなく、通常最も身分の低い人々だけがこう呼ばれる。従って、楽士は酒場のヴァイオリン弾きと大差がないのである」

ビルンバウムはバッハが「他の人々が書いたものを楽器によって音にする」ところの楽士ではなく、自ら作曲する音楽学者であると同時に最も偉大なオルガン奏者であり、クラヴィーア奏者であると言いたかったのです。
この音楽雑誌から分るように、バッハの時代は自ら作曲しない器楽奏者を楽士という侮辱的な言葉で呼んでいました。現在はどうでしょうか?ピアニストは主として他人が作曲した名曲を演奏するばかりで、自作の曲を演奏することは非常に稀なことです。今ではピアニストの殆どが楽士のようになってしまったかに見えます。これを画家の世界に置き換えるとどうなるでしょうか。他人が描いた絵を寸分違わず上手に写す行為は贋作ということになります。どんなに本物らしく描いてもそこにある感情や意図は原作者のものであって、贋作者のものではありません。ピアニストも全く同じことです。

シャイベをはじめ若い音楽家たちを中心とする時代の風潮が、もっと分りやすい旋律的なものに向かっている時代にバッハはフーガを書き続けました。バッハがいっさいの音楽の最初にして最後であるということを世の人々が知るのはずっと後になってからのことです。フーガ芸術が古臭いと考えられて新しい音楽の道を歩み始めた時、フーガの楽匠は存在しなくなり、どのようにフーガを語ろうとももはやフーガの教師でしかなくなったのです。そしてその道はやがて指の故障でピアノが弾けなくなったシューマンの時代から作曲家と演奏家という二つの道に別れ、それはもう後戻りできない音楽の終焉に向かう道となったのです。