平均律クラヴィーア曲集第1巻から3番嬰ハ長調プレリュードを取り上げます。キラキラと輝く2つ声部が位置を交換しながら輪舞する天使を思わせる佳曲です。バッハは、足が地に着かないほど高いシャープ調の嬰ハ長調を平均律クラヴィーア曲集で使用した以外には使っていません。

バッハが作曲した当時、最も一般的だったミ−ントーン音律における嬰ハ長調では、その主要3和音がすべて非常に極端な響きになります。当時の音楽理論家たちの耳に嬰ハ長調がどのように聴こえたのかケレタート著、竹内ふみ子訳「音律について」から探ることにしましょう。マッテゾン(1681生)は「その効果があまりまだ知られていない」、ゾルゲ(1703年)は「殆どどうしようもなく硬い」、シューバルト(1739生)は「やぶにらみのような調性、この調性にはただ珍しい性格と情緒しか託すことができない」、クラーマー(1752生)は「ただ不愉快感だけが残っている」と述べました。しかし、バッハが平均律クラヴィーア曲集で用いた嬰ハ長調は明るく輝く調性として捉えられており、マッテゾン等の捕らえ方と正反対のようでもあります。バッハが用いた音律は12等分平均律に近いものだったと考えられていますが、現在の私たちが使っている12等分平均律のピアノでは、すべての調が同一の調性格を持ちモノクロの世界が広がるだけです。

バッハが作曲した当時のピッチはどうだったでしょうか。
作曲された当時の楽器や奏法をオリジナル或いはピリオド楽器と言います。現代の楽器はモダン楽器と言います。オリジナル楽器のピッチはa’=415ぐらいであるのに対してモダン楽器はa’=442〜445 です。モダン楽器の方が約半音高いのです。つまり、オリジナル楽器で演奏する嬰ハ長調の曲はモダン楽器ではハ長調になってしまうわけです。

イコール式の「平均律クラヴィーア曲集」は嬰ハ長調の曲をハ長調で記譜しています。モダン楽器のピアノで演奏する場合には、嬰ハ長調の曲をハ長調に移調すると丁度バッハの時代のピッチになります。しかしイコール式が目的としていることは、古い時代のピッチを再現することではありません。古い時代のピッチに合わせるだけなら平均律クラヴィーア曲集をすべて半音づつ低く移調して記譜すれば良いのですがイコール式はすべての調をハ長調とイ短調に移調しました。それはイコール式の目的が古楽思考ではなく、相対音感による鍵盤楽器教授法だからです。ハ長調とイ短調だけは、絶対音感読みと相対音感読みがイコールになります。この二つの調に限定することによって、絶対音感を持つ生徒も、持たない生徒も耳に抵抗なく相対音感を身につけることができるのです。

イコール式が従来の移動ド読みと何処が違うかと言うことをご説明しましょう。ト長調のメヌエットを例にとると、固定ド読みの「レーソラシドレーソーソ」の移動ド読みは「ソードレミファソードード」となります。この時、絶対音感を持たない生徒は耳に抵抗を感じることはありませんが、絶対音感を持つ生徒は音の読み方とその音高が食い違っていることに抵抗を感じます。イコール式の楽譜の場合は記譜されている音符そのものもハ長調の「ソードレミファソードード」ですから、絶対音感を持っていても抵抗を感じなくてすみます。イコール式がハ長調とイ短調に限定しているのはこういった理由からです。

現状の鍵盤楽器教授法は固定ド読みが一般的です。固定ド読みは絶対音感を持つ生徒に抵抗がありませんが、絶対音感を持たない生徒にとって「レーソラシドレーソーソ」は耳に抵抗が生じます。このことは非常に危険なことでもあります。例えば、本番中に音を忘れた場合です。今弾いているところが何ページ目の何段目のあたりであるか分っており、音楽が頭の中で鳴ってはいるのですが、絶対音感を持たないためにその音名が分からず弾くべき鍵盤の見当がつかないのです。「レーソラシドレーソーソ」という固定ド読みで覚えてもそれは音楽理論的に意味を持たないメロディーですから、頭の中にある音程記憶の引き出しからこのメロディーを呼び出すことは不可能です。
しからば絶対音感さえあれば安心といえるでしょうか。絶対音感を持つ生徒は、このメヌエットを「レーソラシドレーソーソ」とソルフェージュすることは可能でしょう。しかし、それは弦楽器奏者などが作る正しい音程ではなく、12等分平均律のメロディーでしかないのです。音楽は相対音感で捉えた時に始めてメロディーが生命を持ち、その和声とともに理解できるのです。私の生徒の中にはピアノの鍵盤を無茶苦茶に10個以上同時に鳴らしてもそのすべてを言い当てる絶対音感の持ち主もおります。そういった生徒でもテレビから流れてくるメロディーをピアノでさぐり弾きする時や、作曲、編曲をする時は不思議なことに相対音感でやってしまうのです。

イコール式は絶対音感による鍵盤楽器教授法の危険性に警鐘を鳴らし、相対音感による教授法を提唱しています。バッハの時代には存在していた調による性格の違いも、モノクロの12等分平均律においては空理空論になってしまいました。また、時代と共にピッチが変化することによって調の絶対音高も定まりません。このことは同時に標準音a’=440の時の12等分平均律というものに基づく絶対音感も神話に過ぎないことを物語っています。こういった状況にある現在鍵盤楽器教授法において「平均律クラヴィーア曲集」を元の調のままで演奏することに何のメリットが望めると言うのでしょうか。実体のない調性格やピッチにこだわることよりも、相対音感による鍵盤楽器教授法によって、楽曲を深く理解することの方が音楽力を高める近道です。