バッハが自ら移調した曲のひとつである平均律クラヴィーア曲集第2巻17番 変イ長調を取り上げます。プレリュードとフゲッタ ヘ長調 BWV 901 プレリュードこの曲はヘ長調のプレリュードとフゲッタ BWV 901として作曲されたものをバッハ自身が変イ長調に移調し、大幅な改作を行った上で平均律クラヴィーア曲集に収録しました。
写真をクリックしてご覧いただくとプレリュードには「3点ハ」が4回出てきます。バッハの時代の楽器は今より鍵盤数が少なく「3点ハ」が最高音でした。このプレリュードを変イ長調に短3度上げると演奏不可能な音が出てくるためにバッハは新たにプレリュードを書きました。ヘ長調の前作は静かなパストラーレ風、変イ長調の新作はバッハ円熟期の卓越したプレリュードです。

フーガはフゲッタとして作曲されたものでもともと23小節で終わっていました。
バッハはその後に27小節も付け加え、その継ぎ目が誰にも気づかれないほど上手に前半と後半のまとまりをつけています。

バッハの時代に一般的であった中全音律における変イ長調は極端な調です。
主和音「変イーハー変ホ」にウルフの5度を含むからです。さらに凝戮力族察嵎僖蹇縞僖法璽悄廚鉢催戮力族察屮悄縞僖ぁ璽蓮廚盒肪爾紛舛です。属和音だけが純正です。音楽理論家のシューバルト(1739生)は変イ長調を「墓の調性であり、死、墓、朽ち果てること、審判、永遠がその範疇にある」と述べました。さらにシリング
(1805生)も「霊や魂がゆらゆら揺れながら天国へと到達するかに見える」と述べました。

ではバッハの変イ長調はどうでしょうか。バッハの全鍵盤曲の中で変イ長調は平均律クラヴィーア曲集にある2曲のみです。
平均律クラヴィーア曲集第1巻17番のプレリュードは合奏と独奏が交替する協奏曲形式ですがこの曲ほど音楽的解釈が分かれる曲は珍しいと言えるでしょう。暗く荘厳な解釈、威風堂々としたフォルテの解釈、穏やかで優美な解釈、軽いスケルツァンド風の解釈などです。フーガはまるで鐘のように反響する主題によって「大寺院フーガ」と呼ばれ、厳粛な宗教的情緒を感じさせます。
平均律クラヴィーア曲集第2巻17番のプッリュードは整然とした流暢な流れがナポリの7の和音に向けて強烈な終結的盛り上がりに達する威風堂々とした佳曲です。フーガは48曲中最も卓越していると言われ技巧的かつ変化に富んだ雄大なフーガです。

もしもバッハが、平均律クラヴィーア曲集を編集する際に調性格の確立を主たる目的にしていたとしたら、ヘ長調だった初稿を遠く離れた変イ長調に移調できなかったのではないでしょうか。バッハの主たる目的は24すべての調を網羅することでしたから、#♭の多い調は#♭の少ない調から移調することも平気でやったのでしょう。

イコール式は調性という不確実な神話に囚われることなく、音楽にとって最も大切なことを教授することを目指しています。それは従来の絶対音感による鍵盤楽器教授法を相対音感による教授法に変えることです。絶対音感による教授法は、絶対音感という概念が定着した20世紀末以降の音楽にこそ相応しいのです。それ以前の音楽は、相対音感で捉える方が分かりやすいのです。