現代人はピアノといえば平均律と思い込んでいる人が非常に多いものです。何の疑いもなく平均律のピアノを購入して定期的に調律師に調律してもらうのが当然のこととされています。ピアノのユーザーは自分で調律することができないので、調律師まかせの平均律と言うのが暗黙の了解で常識となっています。ユーザーは鍵盤の重さやタッチの不揃いについて調律師に注文をつけることはあっても、音律まで注文をつける人は滅多にいないのが実情です。

平均律のピアノが一般に普及したのはイギリスのブロードウッド社が等分平均律に調律したピアノを1842年に市販した頃からです。それ以前は調によって変化を伴う不等分音律が一般的でした。不等分音律は調によって多彩な表現があるからこそ、作曲家は各自の好みによって特定の調に特定の性格を与えることができたのです。
それなのに平均律はすべての調を単純でモノクロの音楽にしてしまいました。それは丁度ドビュッシーの頃、平均律ピアノが普及し始めた時期と重なります。不等分音律から平均律への移行は音楽史に大きな溝を作ることになりました。

不等分音律の消失とともに印象派、調性の崩壊、12音音楽、無調、微分音、トーンクラスター、電子音によるミュージック・コンクレート、視覚的要素に大きく依存するインターメディア、不確定性の音楽、空間音楽、コンピューター音楽等などの新しい音楽が生まれました。

しかし現在、私たちが平均律のピアノで演奏している音楽の大半は不等分音律の響きで作曲された調性音楽です。ピアノのレッスンで弾く曲の大半が調性音楽であるにもかかわらず、音楽教室や音楽大学には平均律のピアノしかありません。平均律のピアノで弾いてよいのはドビュッシー以後の作曲家なのです。平均律のピアノでベートーベンやショパンを弾いても、その作曲家が意図した響きではありません。

無農薬野菜を食する人の舌は、農薬がかかった野菜を苦く感じ、野菜本来の味が損なわれていることを知っています。ピアノも全く同じことです。無農薬ピアノを弾く人の耳は、平均律で弾く調性音楽をモノクロに感じ、作曲者が意図した本来の美しい響きではないことを知っています。無農薬ピアノ、それは作曲された当時と同じ不等分音律で調律されたピアノのことです。私たちの耳は無農薬ピアノを弾くことによって初めて、今まで何の疑いもなく弾いてきた平均律が単純でモノクロであることを聞き分ける耳ができるのです。平均律は作曲家が選んだ調で弾いた時も、移調して弾いた時も、旋律や和声に何の変化もなくモノクロです。

イコール式は平均律を逆手にとった鍵盤楽器教授法と言えます。移調することによって、移動ドに読み替える手間を省きました。そしてすべての曲をハ長調とイ短調で記譜することによって、絶対音感を持つ人も、持たない人も、音楽を相対音感で捉えることを可能にしました。相対音感がもたらす音楽的成長は計り知れないほど大きなものです。