「平均律クラヴィーア曲集」! 不思議な題名ですね。
これはバッハの自筆譜に書かれている「Das Wohltemperirte Clavier」を翻訳したもので、昔から最も親しまれている翻訳です。

Das → 英語のThe
Wohltemperirte →英語の Welltemperament うまく調律された。現代ドイツ語では Wohltemperierte となり i と r の間に e が入ります。 
Clavier →クラヴィーアとは元来鍵盤の意味です。バッハの時代には、オルガン、ハープシコード、クラヴィーコードなど鍵盤楽器全般を指しました。ピアノの意になるのはほぼ1800年以降です。現代ドイツ語では最初がKで始まる Klavier と綴ります。

バッハは「うまく調律されたクラヴィーア」と書いただけであって「平均律クラヴィーア曲集」と書いた訳ではありません。英語では「うまく調律された」は Welltemperament、「平均律」は Equaltemperament と言います。日本ではこの区別ができていませんから「うまく調律された」を「平均律」と翻訳してしまったのです。

「ニューグローブ世界音楽大事典」によるとドイツ語の「平均律」に当たる語は
gleichschwebende =均一的にずれた、均一的に調律されたになります。
バッハは自筆譜にgleichschwebendet とは書いていません。
「うまく調律された」と言える音律は無数にありますが、平均律はただ一種類の音律です。翻訳が間違っていたのでバッハが「平均律」で弾いたと思い込んでしまった人が少なくありません。

1947年にバーバーが発表した誤訳説は次第に認識されるようになってきました。
しかし、これはまた1985年にR.ラッシュが発表した多角的な研究から覆されることになりました。
R.ラッシュによると、バッハは平均律の意味でこの表題を書いたというのですが、バッハ研究は毎日のように更新されていますので、今後の研究の成果を見守る必要があるでしょう。