バッハは優秀なオルガニストとして知られていたが、活動範囲は中部ドイツに限られおり、イタリア、フランス、イギリスなどに一度も行ったことはなくバッハの名は知られていなかった。またバッハの音楽は時代に対して後ろ向きで古臭いとみなされていたので死後はますます忘れられてしまった。

マタイ受難曲をバッハが初演してから100年目、1829年にメンデルスゾーンという慧眼の持ち主が現われた。彼は若干14歳でマタイ受難曲の真価に気付き研究を開始、20歳で自らの指揮でマタイ受難曲を上演した。当時の聴衆に受け入れられ易い形に編曲しての演奏が功を奏し、聴衆にバッハの素晴らしさを知らしめた。これが有名なバッハ復活である。もしメンデルスゾーンの画期的な上演がなかったら、バッハの声楽作品はずっと眠り続けていたかもしれないと思うと、メンデルスゾーンの慧眼に深く感謝したい。

メンデルスゾーンはマタイ受難曲の復活上演にあたり、数々の編曲を施した。まず長い曲の約3分の1をカットした。もう使われなくなっていた古い楽器を近代的なオーケストラの楽器に変更した。アリアを勝手にアルトからソプラノに変更するなど、原典主義にこだわらない演奏だったが、それが「不当」とはいえないだろう。バッハの演奏に関しては実際にバッハが演奏した動画が残っているわけではなく、種々の学者が原典として多様な意見を述べてきたし、今も対立意見が続出している。バッハの楽譜は自筆譜のないもの、パート譜だけ残るものも多くあり、第3者による筆写譜に頼らざるを得ない場合も多い。その場複数の筆写譜が存在し、どれがバッハの意志に近いのか判断が難しい。またバッハは再上演際して何度も楽譜を書き換えており、同じ曲に第1稿、第2稿、第3稿がある場合もある。ミュールハウゼン、ヴァイマール時代のカンタータは低いカンマートンで統一された旧バッハ全集と、高い方で統一された新バッハ全集と2通りの楽譜が流布している。メンデルスゾ-ンは原典主義へのこだわりを捨てたことで、結果としてバッハを生き返らせることになった。

これは非常に重要なことであり、バッハの音楽の素晴らしさは原典主義から生まれるものではないということをメンデルスゾーンが証明したと言えるだろう。各声部の絶妙なライン、各音の調和と法則こそがバッハの音楽の本質であろう。演奏に用いる古楽器へのこだわりではない。演奏力の良し悪しでもない。曲の全体か一部かにも影響されない。声の高さにも影響されない。テンポにも拘束されない。合唱や管弦楽の人数にも影響されない。本当に偉大なものは変幻自在であって形がないものであろう。どのようにでも形を変えて、しかも本質は変わらないものであろう。それはバッハの音楽である。