WTC(平均律クラヴィーア曲集)がバッハの作品において特殊な作品であるという理由は、24すべての調が組み込まれているからである。バッハの作品の大半はシャープ・フラット3個までで、4個の作品は少ない。しかしWTC にはシャープ・フラット7個までの調が入っており、各調が同等に扱われている。シャープ・フラットの多い調の中には WTC においてバッハが初めて使用した調もある。WTCは理論上考えられるすべての24の調を網羅したという意味で特殊な作品である。

バッハの生きた時代はミーントン調律が一般的であり、ミーントーンが綺麗に響くシャープ・フラット2、3個までの曲が多かった。シャープ・フラットがそれ以上増えると不純な響きになり、使いものにならない調も出てくる。だから、ミーントーンの時代の作品の多くはシャープ・フラット2.3個までなのである。

ミーントーンの時代ながらWTCは シャープ・フラット7個までの調が組み込まれた特殊な作品である。これらをすべて難なく弾くにはミーントーンでは無理である。何らかの便利な調律法が必要になり、バッハは独自の調律法を作り上げた。その調律法は必然的に12等分平均律に近いものtだった。ミーントーンではWTCのすべての調を演奏できない。すべての調の演奏を可能にする調律は、純正に近い調も不純な調も差の少ない調律にならざるを得ない。そうしないと、演奏不可能な調ができてしまうからである。WTCを演奏するには12等分平均律か、それに非常に近い不等分音律が必要であることを前提として以下の論を進めたい。

24すべて調とは1オクターヴ12鍵盤の各音を主音とする12の長調と12の短調、合わせて24の調である。現代はこのように表現するがバッハの時代は少し違っていた。バッハは近代長短調を確立したといわれるように、丁度、教会旋法と近代長短調の分水嶺に位置する。

バッハの時代には教会旋法、すなわちイオニア、ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディア、エオリア旋法が生きていた。当たり前だが6つの旋法は音階構造がそれぞれ違う。6つの旋法の中で今日の長調の音階構造に相当するのはイオニア旋法、今日の短調に相当するのはエオリア旋法である。それ以外の旋法は長調でも短調でもない。つまり教会旋法には6つ旋法、近代長短調には2つの旋法がある。近代長短調には2つの旋法、すなわち長調と短調のみが存在する。

旋法が変われば音階構造も変わる。音階構造が変われば調性格も変わる。旋法は任意の音から音階を開始することができる。音階をどの音から開始しても音階構造が不変である限り、性格も不変である。例えばイオニア旋法の音階はどの音から開始しても性格は不変である。イオニア旋法は今日の長調であるから、長調は音階をどの音から開始しても性格は不変である。「ニ」音から長音階を開始すればニ長調、「ホ」音から開始すればホ長調と呼ぶが、いずれも音階構造が不変である限り調性格は不変である。ニ長調とホ長調の本質的な違いはなく、ピッチが変わるだけである。

例えば、あるニ長調の曲があり、その曲が「陽気、勝利」 を感じる曲であったとする。その曲をホ長調に移調しても 「陽気、勝利」 の性格は不変である。なぜなら、音階構造が不変であるからである。曲の性格は作曲そのものに由来するのであって、調に由来するのではない。音階構造が変わらない限り、性格は不変である。音階開始音=調を変えても性格は不変である。ただピッチのみが変化する。ピッチはもともと一定ではなく、音階開始音との関係も一定ではない。

カラオケで歌う時にキーを上げ下げすることは、調を変え移調することになるが、どのようにキーを上げ下げしても曲の性格は不変である。歌い手の声域にキーを合わせて移調すると曲の性格が変わると思う人はいないだろう。「365歩のマーチ」をいかなるキーで歌おうと力強く元気な曲であることに変わりはない。

バッハも改作や転用の際にキーを変え移調をした。例えば誕生祝賀用カンタータBWV 213 をクリスマスオラトリオ BWV 248 に転用する際にいくつかの移調を試みた。例を挙げれば BWV 213 の第3曲のアリアをクリスマスオラトリオ の第19曲のアリアに転用する際にソプラノからアルトに変更し、それに伴い変ロ長調からト長調に移調した。古楽においては標準音より約半音低く演奏するため、絶対音感保持者の耳には変ロ長調はイ長調にト長調は嬰へ長調に聞こえるのかもしれない。何調であろうと長調である限り音階構造に変化をもたらさないので、性格は不変である。シューベルトの『冬の旅』の楽譜がソプラノ用、アルト用などそれぞれ異なる調で出版されているのと同じである。バッハは BWV 214,215,からも移調を試みて、クリスマスオラトリオに転用している。

バッハの手になる移調転用は非常に多いが、WTCの中にもいくつか存在する。
バッハは、WTCを編集する際に移調をこころみて24の調を組み込んだことが研究の結果わかってきている。例えば嬰ハ長調はハ長調から、変ロ短調はイ短調から移調を試みてWTCに組み込まれということである。バッハは移調をしながら浄書したので音を書き違えることもあった。ペン書きの間違えたところを削って修正した痕が自筆譜に残されており、その修正痕から元の調が判明するようである。バッハによる移調の痕跡は、総じて遠隔調に多く見られる。それはシャープ・フラットの少ない調で作曲したものを、遠隔調に移調したからだと思われる。

バッハが移調する前の調で演奏する方がシャ−プ・フラットが少なくて楽であり、作曲家の方法に近いとも言える。アルブレヒツベルガー(Albrechtsberger 1736~1809)は 《ウィーンの移調譜》 を制作した。これはWTCの遠隔調を半音移調して弾きやすく移調した楽譜である。彼は終生ウィーンのシュテファン大聖堂の楽長の地位にあったオルガニストで、ベートヴェンなどの師として、ウィーンの音楽界に大きな影響力を持っていた。そのアルブレヒツベルガーが遠隔調を移調する方が良いと考えたのである。

バッハがWTCを編纂した最大の目的は理論上考えられる24すべての調を網羅することだった。その目的は移調して組み込んだ曲もあるおかげで、取りあえず24の調がそろった。目的は達成した。バッハはWTCで24の調をすべて網羅することができたが、同時に24の調性格を確立したと言えるだろうか。当時ほとんど使用されなかった遠隔調はマッテゾンも「良く知られていない調」として著書に調性格の記述をすることができなかった。WTCには当時の「よく知られてない調」が多数入っている。それらの遠隔調に対してバッハが新たな調性格を発見したと言えるのだろうか。バッハは自ら移調を試みて組み込んだくらいであるから、ハ長調と嬰ハ長調は同じと考えていただろう。移調によって曲が変化してしまうとは考えてなかっただろう。新たに遠隔調の調性格を発見しようとも考えてなかっただろう。

さらに言えば、当時の「良く知られている調」 つまり シャープ・フラットの少ない調に関しても、バッハは調性格を確立したと言えるのだろうか。WTCには、同じ調なのに性格の違う曲が多く見受けられるのはなぜだろうか。例えばシャープ2個のロ短調は1巻と2巻で性格が大きく違う。まずプレリュードについて、1巻のロ短調は静かな宗教性をたたえたトリオソナタ、2巻のロ短調は軽快な2声インヴェンションである。フーガについても1巻のロ短調は半音階的手法で厳粛かつ深い宗教性をもつが、2巻のロ短調は跳躍する闊達な舞曲である。 WTC において バッハがロ短調のどのように考えていたのか皆目見当がつかない。

バッハはWTC第1巻のタイトルページに「全調」を表す意味で以下のように記した。「長3度 Ut Re Mi に関して、あるいは短3度 Re Mi Fa に該当するすべての全音と半音によるプレリュードとフーガ」
現代感覚からするとこの表現には少し違和感を覚える。理由は2つある。一つは「ド」の音をUtと表現していることである。これはグィードの音階図にある「Ut」である。「Ut」は発音し難いことから徐々に「ド」に変わり現代に至った。もう一つは、長3度ドレミに対して、短3度レミファである。なぜ短調をラシドと書かなかったのか。これもグィードの音階図を見ればわかるのよう、「シ」のない6音音階(ヘクサコード)の表記法を用いているからである。バッハが敢えてグィード式の表現を用いたのは、バッハが音楽史の分水嶺に過去の方を向いて立っていたからではないか。過去の作曲家が表現した永遠の調和をWTCに託したかったのではないか。バッハの同時代にプッシュテット(Buttstett 1666~1727)という音楽家がいた。ブットシュテットは北ドイツオルガン学派最後の人であった。マッテゾンが古典様式の到来を見据えた進歩主義者であったのに対し、ブットシュテットは過去の音楽の伝統を守ろうとした。バッハは当然、ブットシュテットの 《Ut mi sol re fa la tota musica et harmonia aeterna すべてのドミソレファラ永遠の調和の音楽》 を知っていただろう。バッハはプッシュテットに共感し過去の音楽を守ろうとした。それがWTC のタイトルページに表現されているように思える。