音楽を演奏するということはメロディーの一つの音から、次の音を思い浮かべ、思い浮かべた音を現実に発音し、直後に過去のものになるということの連続であります。次の音を思い浮かべるのは内的聴覚の働きです。音楽家にとって内的聴覚は生命線ともいえるべきもです。
内的聴覚の想像する未来が必ず現実化していくということが即ち音楽の演奏ということになります。想像する未来が必ず実現するという宇宙の法則は、音楽の演奏にも当てはまります。内的聴覚によって想像された未来の音が、正しければ美しい演奏となり、狂っていれば下手な演奏となります。内的聴覚の想像が極端な場合は「音痴」ということになります。

しかし、ここに一つだけ音楽の演奏についての例外をあげなくてはなりません。それは鍵盤楽器の演奏です。鍵盤楽器は内的聴覚で想像する未来の音が現実化しないのです。それは鍵盤楽器の名人をもってしても不可能なことです。だから鍵盤楽器は宇宙の法則に反しているといえるでしょう。鍵盤楽器において、現実化する音とは、あらかじめ調律師の定めた音です。ここで問題にしている「音」とは、音階の音程という意味です。音色やタッチではありません。この音程は演奏者が内的聴覚で想像する音ではありません。内的聴覚で正しい音を想像しようが、狂った音を想像しようが、全く無関係に、一定の音が出ます。鍵盤楽器においては優れた音楽家も「音痴」と言われる人も同様の結果を得ます。鍵盤楽器の演奏に関しては「音程の良い人、悪い人」という表現は当てはまらないのです。鍵盤楽器の音程に関して内的聴覚は作用しないのです。

このような鍵盤楽器特有の事情から、ピアニストは内的聴覚で未来の音を想像しない習慣がつき、往々にして指だけが鍵盤の上をバタつかせるタイピストになってしまいます。正しい音程を取れない人でもピアノは難無く弾けてしまうが、正しい音程の取れない人がヴァイオリンを弾くとどうなるか想像してみてください。あるいは歌を歌ったらどうなるか想像してみてください。
ヴァイオリンや声楽は正しい音程を取ることが最重要課題ですが、ピアノはその技術を必要としません。

ハンガリーの作曲家にして音楽教育者として有名なコダーイ(1882〜1976)は「内的聴覚が未発達なピアニストは、指だけで弾いているのであって、頭と心では弾いていないのです。彼らは音楽家ではなく、タイピストです。音楽大学はポンポンとピアノを鳴り響かせるだけの高貴なお嬢さんを入学させることを目指すわけにいきません。そんなお嬢さんたちは、以前は《乙女の祈り》を弾き、今日ならバルトークの《アレグロ・バルバロ》を弾くことでしょうが、それが音楽とは全く関係のない人達であることは昔も今も変わりはないのです。卒業証書の名目上の価値と、実際の価値とのギャップは、ますます大きくなっていきました。音大が卒業証書を出すことによって、それを受けとった人の能力を、はるかに超えた力量を証明したからです」と述べました。

コダーイの言葉は、特にピアノ科出身の人には耳の痛い言葉となっています。
音には過去・現在・未来があります。内的聴覚によって、過去の音から未来の音を想像し、想像した音を現在において発音し、直後にその音は過去のものとなるという一連の作業が音楽を演奏するということ、です。音楽の演奏とは想像した未来を現実化する作業に他なりません。想像できない音は現実化することもできません。この想像力が、宇宙の大生命の法則であり、それはあなたの中にあるのです。