今日のピアノは1オクターヴを12に等分した平均律という調律法で調律します。12等分平均律の理論は古くからありましたが、実用化され、一般的になったのは1850年頃のことです。1850年といえば、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーンは既に昇天しており、短命のショパンも1849年に亡くなりました。1850年に活躍していた作曲家といえば ベルリオーズ、シューマン、リスト、ヴァーグナー、、ブラームスたちであり、ドビュッシーは活躍どころか生まれてもいません。

1850年という年をピアノの12等分平均律への転換点とすると、バッハの 《平均律クラヴィーア曲集》 も ベートーヴェンの 《ピアノソナタ》 も 12等分平均律ピアノを前提に作曲されたものではないことが分かります。バッハが演奏した鍵盤楽器は独自の調律を自分の手で行ったもので、その音律は不等分でした。ベートーヴェンはバッハの弟子であったキルンベルガーが考案したキルンベルガー音律を好みました。この音律も不等分です。ベートーヴェンは調ごとの微妙な変化のある不等分音律で、深い味わいを作曲に反映しました。

ベートーヴェンは、12等分平均律を嫌って次のような言葉を残しました。

「指の滑らかな動きによって、こうした人々からは知性と感性が流れ去ってしまってしまうのである。しかし、12等分平均律の音程の単純さは、時折、肉体的な限界まで能力を競うテンポの決定に重大な影響を及ぼしたに違いない」
ベートーヴェンの言葉の意味を要約すると、「もし、ピアノソナタ、キルンベルガー音律で弾くならば、ハーモニーの微妙な変化をゆっくりと味わいながら、知性と感性を研ぎ澄ますことが可能である。ところが、どの調の「ドミソ」も皆同じの単調な12等分平均律では、調ごとのハーモニーの変化を味わうことができない。12等分平均律においては何調も皆同じである。だからピアニストはハーモニーよりも、鍵盤上を素早く華麗に走り回ることに専念するようになる。ピアノ演奏は肉体的な限界までテンポの速さを競うスポーツになり果てる。そしてこうした人々からは知性と感性が流れ去ってしまう」ということです。

12等分平均律の実用化に貢献したのはエリス(1814-90)ですが、最初に平均律を算定したのは中国の「何承天」と言われています。続いて中国の朱載育が1596年に、フランスのメルセンヌが1636年に12平均律の理論を確立しました。メルセンヌより少し遅れて日本の和算家、中根元圭も1692年に「律原発揮」を著し平均律の算出法を紹介しました。しかし、まだどれも理論だけにとどまり、鍵盤楽器を12平均律で調律することはできませんでした。ただし、ギター、リュートなどのフレット楽器は12等分平均律の実用化が早くから行われていました。

12等分平均律の鍵盤楽器への実用化は、ヘルムホルツ(1821-94)が音の周波数を示し、エリス(1814-90)がセント値の定義と計算法を確立するに至って可能となりました。1850年ごろから起こったピアノの大量生産に伴って12等分平均律のピアノはあっと言う間に世界中を席巻し、今日に至ります。今日では調律といえば12平均律です。ピアノの調律師が仕事を始める前に「どの音律にしますか」などと尋ねられることはありません。もし尋ねられるとすればそれは「440 か 441か」などと言う標準ピッチだけです。現代の調律はすべて12平均律と決まっており、誰も疑わないのです。
現代の12等分平均律のピアノで弾くバッハやベートーヴェンと、昔の人々が耳にしたバッハやベートーヴェンとは全く別物だということを認識したいものです。