鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)は今年創設25周年を迎えた。2013年にはバッハの《教会カンタータ》全曲録音を完成させるなど世界的な高い評価を受けている。

2015年7月28日バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)は第45回サントリー音楽賞受賞記念コンサートにおいて《ミサ曲ロ短調》を演奏した。この7月28日は後で述べるが重要な日である。

鈴木は言う。「ミサ曲ロ短調はバッハの作品群の集大成である。その理由は緻密な対位法を駆使していること、もう一つはラテン語の歌詞を使ったこと」

「ラテン語の歌詞を使ったこと」とはどういう意味か。
バッハはルター派教会に属し、プロテスタント信仰を持っていた。プロテスタント教会ではルターによるドイツ語聖書が用いられ、膨大な曲数の「教会カンタータ」はすべてドイツ語の歌詞である。一方カトリック教会ではラテン語典礼文に基づくミサが演奏され、すべてラテン語の歌詞である。プロテスタント信者としてのバッハが、ラテン語の歌詞を書く必要は全くないばかりか、むしろプロテスタントらしからぬ、よくないことになるのではないだろうか。
にもかかわらず、バッハは39歳から65歳で没する間際まで断続的にラテン語の歌詞を書き進めた。
ラテン語の歌詞を使うことがバッハの作品群の集大成なのか?
生前に《ミサ曲ロ短調》全曲が演奏された形跡もなく、作曲の目的に関する謎が深まるばかりである。

この点について鈴木は次のように主張する。
「バッハがラテン語の歌詞を使ったのは、カトリックとプロテスタントの垣根を超える共通語を意識したからだ。普遍的なものへの希求を最も感じさせる音楽」と。

私は拙著《やわらかなバッハ》 (2009年 春秋社)の”あとがき”として、この点について述べている。
「死を覚悟した時にバッハが書いたのは、《ミサ曲ロ短調》のクレド以降の部分だった。ドイツ語ルター派の会衆には、ラテン語のミサ曲は理解できないにもかかわらずである。バッハはカトリックに改宗したのではなく、プロテスタントとカトリックの融合、超時代性、超地域性をミサ曲というジャンルで集大成しようとしたのである。《ミサ曲ロ短調》は異なった宗教観を克服した世界平和へのバッハの最後の祈りと言うことができるだろう」

バッハ・コレギウム・ジャパンによる 《ミサ曲ロ短調》 の公演が行われたのが7月28日、この日がバッハの命日であることをうたっての演奏会であった。バッハの命日が一般に意識され始めたことは、私には喜ばしいことに思えた。

何故なら、わがイコール式音楽研究所は、2年前の2013年からバッハの命日を記念してバッハ礼讃音楽会を開催しているからだ。この音楽会はバッハの命日を意識して7月28日に一番近い日曜日と決めた。バッハが亡くなった日 1750年7月28日は、西洋音楽の分水嶺をなす日であり、1作曲家が亡くなった日というにとどまらないのではないか。バッハの誕生日を記念して世界中でバッハが演奏される 「バッハ・イン・ザ・サブウェイ」 の運動にも通じるのではないだろうか。