私は子供の頃、父とよくピアノ連弾をして遊んでいた。正確にいえばピアノソロ曲を2人で弾いて遊んでいたというべきだろう。本来一人のピアニストが弾くべきピアノ曲を2人で弾いていたのである。ピアノの楽譜は2段楽譜なので、父は上段を、私は下段という具合に分担して弾くという方法である。2人合わせれば立派な曲になるのだった。この方法なら結構難しい曲もラクに弾けた。
ブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ、インヴェンション、シンフォニアなどのピアノレッスン用の曲や、いろいろな作曲家のピアノピースなどを父との分担奏で楽しんだ。時間の経つのも忘れて興じていたが、中でも特にバッハのフーガは楽しかった。

父は技術開発の研究者で、楽譜は読めたが、ピアノはほとんど独学だった。父は大学と大学院で学生オーケストラに所属しクラリネットを吹いていた。当時、学生オーケストラの指揮者はあの朝比奈隆である。朝比奈隆は京大の学生オーケストラからプロになった異色の指揮者で、大阪フィルハーモニーを設立し、大阪音楽大学で教鞭をとり、ブルックナーの指揮者として世界中に名を馳せた。92歳まで現役の指揮者として活躍し、音楽界では初めての文化勲章受賞者になった。父は朝比奈隆の後輩にあたり、毎年のOB演奏会には喜々として出かけていた。また父は、仕事で海外に行くことが多かったので、町々のオーケストラを聴いて回り、その様子を家で話してくれたものである。

このように音楽好きの父との連弾で最も楽しかったのはバッハのフーガであった。子供だった私には、なぜバッハにそれほど心を奪われるのか、その理由はわからなかった。音楽理論も何も知らない子供と、音楽家ではない父とのたわいもない連弾であったにもかかわらず、バッハのフーガは格別の響きがして恍惚となるのだった。バッハのフーガだけは、曲の終わりまで弾いてくるとまた曲の頭から繰り返したくなるのである。それは本能的な要求だった。バッハの音響にいつまでも浸っていたいような、法悦、至福といった感覚だった。バッハだけは何度繰り返しても飽きるどころか、何度でも永遠に繰り返したくなるのであった。

シュヴァイツァーの言葉に「バッハのフーガを練習したことのある子供は、その際どんなに機械的に行われたにせよ、声部進行を目のあたりに学び取るのであり、この直感はもう2度と消し去られることはないであろう。そのような子供はどんな曲にも同様な音響の線による尊厳な動きを本能的に求めるようになり、その欠如を貧しさと感ずるであろう」というのがある。
子供のの頃、私はまさにこのシュヴァイツァーの言葉と全く同じことを感じていたのだ。
この直感が、私の原体験である。私はこの厳かで高貴なハーモニーがどこから来るのか、バッハが語り書けてくるものを虚心に受け止めたいと思った。それがバッハ研究の原動力になっている。