サンマリノ共和国の特命全権大使をしているマンリオ・カデロ氏が天皇皇后両陛下とのご陪食の際、耳にされた音楽についての話である。
カデロ氏はある日の昼12時から約3時間、天皇皇后両陛下と食事を共にされた。(以下原文通り)

食事が始まると、陛下が皇太子時代にサンマリノ共和国にいらしたことがあるとおっしゃってくださいました。私の故郷のことを  〜   〜 おかげであっという間の3時間でした。

楽しく過ごさせていただきましたが、その間、部屋の中にはずっと静かに心地よい音楽が流れていました。私は音楽が大好きです。日本のオーディオはさすがに素晴らしいと思い、不躾にも陛下に質問をしました。

「この部屋に流れている音楽はとても素晴らしく感動しました。どのようなアンプとスピーカーを使われていらっしゃいますか。恐れ入りますが拝見させていただけないでしょうか」

すると陛下はにっこり微笑まれて、カーテンを開けてくださいました。するとそこには小さなオーケストラがいたのです。こんな素敵はおもてなしはあるでしょうか。私は感動して思わず拍手をしてしまいました。同席した他の大使も同様です。

他国の王室でも生演奏でもてなすことはありますが、オーケストラを隠すようなことはせず、むしろ客人に見せるようにするでしょう。もしかすると陛下は、オーケストラが見えると、私たちが演奏の終わるたびに拍手をしなければいけないからと気遣ってくださったのではないでしょうか。(以上)


カデロ氏は、カーテンに隠れての生演奏という陛下のお心遣いに感動された。普通の演奏会ならば、オーケストラは客より一段高いステージで、スポットライトを浴び、客からの拍手も要求する。たとえ食事のBGMとしてのオーケストラでも、カーテンに隠れて弾くようなことはまずないだろう。一般常識では考えられないような、おもてなしに感動されたカデロ氏の感性は素晴らしいと思う。そして何より天皇皇后両陛下が素晴らしい。

天皇皇后両陛下と同じような心遣いを音楽に示した作曲家にサティー(Satie 1866~1925)がいる。
彼は「家具の音楽」や「壁紙の音楽」を主張し「音楽界の異端児、変わり者」と呼ばれた。しかし、ドビュッシーもラヴェルも 「サティーによって作曲技法が決定づけられた 」 と公言して憚らないほど音楽家達に多大な影響を与えた。

例えばサティーは 《ヴェクサシオン》 という曲の冒頭に 「このモチーフを連続して 840 回繰り返し演奏するためには、あらかじめ心の準備が必要であろう。最も深い沈黙と真摯な不動性によって」 と記した。
《ヴェクサシオン》 のモチーフは、4分と8分音符の6小節分ほどであるが、勿論小節線などはない。これを 840 回繰り返すと 18 時間はゆうにかかる。これだけ無限に繰り返せば、ちっぽけな演奏表現や個人的な感情や思想などはどこかにふっとんでしまう。無色透明のフィルムを映すスクリーンのように、時間空間を超越する。ただ白い光だけの世界になっていくだろう。

サティーの影響を受けた作品には

演奏時間 639 年・・・ジョン・ ケージ 《ASLSP》

”       336 年・・・ シュトックハウゼン《336年》

”      102 年・・・ ノールハイム《Poly-Poly》

”      5 年・・・・ 小杉武久《革命のための音楽》

”      12 日・・・ ヤング《12日間のブルース》

”      28 時間・・・ シュトックハウゼンのオペラ《光》

等があり、いずれもサティーの 《ヴェクサシオン》 の演奏時間より長い。
特にジョン・ケージの 《ASLSP》 は演奏終了まで 639 年もかかる曲だが、現在演奏が進行中。2001年に演奏が開始された。
この曲が終わるまで聞き届けることは不可能だ。肉体は朽ちるが生き続ける何かが確実にある。音楽が終わらないように。

”永遠の命” というテーマはサティーから新たに始まったわけではない。
バッハはフーガの中で ”永遠の命” を表現した。
バッハのフーガは最後まで弾くと曲頭に戻ってまた弾きたくなるという不思議な曲である。何度繰り返しても、いつまでも終わらない曲である。
バッハは無限に繰り返すことを、曲の内面から要求してくるのだ。”永遠の命” がバッハのフーガに内在しているのである。

またバッハのフーガは小節線があっても実質的には無いに等しい。なぜならフーガの同一のテーマが或る時は1拍目から、或る時は3拍目から出てくるという具合に拍節と無関係だからである。小節線を無視した形で
テーマが現われる。またテーマが拡大されたり縮小されたりすことでも小節線は無視される。

バッハは、ジョン・ケージの《 639 年 》よりもずっと長い無限というものを表現するといえないだろうか。