《平均律クラヴィーア曲集》はバッハの代表作の一つで鍵盤作品の聖書ともいわれるが、何とも変わった表題である。
バッハはこの曲の表紙に古い独語で 「Das Wohltemperirte Clavier」と記した。これを英訳すると 「The Well-Tempered Clavier」となる。直訳すると「良い調律のクラヴィーア」 である。良い調律とは?クラヴィーアとは?
バッハはどのような意味でこれを書いたのか、そして、なぜ日本では「良い調律」ではなく「平均律」と訳されたのか? 疑問だらけである。

クラヴィーアとはラテン語のクラヴィス(鍵)から派生したもので鍵盤楽器全般を指す。従って《平均律クラヴィーア曲集》は鍵盤楽器の曲集であることがわかる。
鍵盤楽器といえば、オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノなどがある。とはいえ、《平均律クラヴィーア曲集》第1巻が成立した時点(1722年)ではクラヴィコードやフォルテピアノは楽器としてそれほど発達した段階にはなかった。
バッハは鍵盤作品を書くとき、オルガン曲を別にして楽器の名前を記すことはあまりなかった。《平均律クラヴィーア曲集》 《パルティータ》 《フランス組曲》 《イギリス組曲》 《インヴェンションとシンフォニア》 など特に楽器指定をしていない。
というわけで《平均律クラヴィーア曲集》のクラヴィーアがどの楽器を具体的に指すのかという解釈や選択は多様であり、演奏者に任されている。今日の鍵盤楽器奏者はピアノを選ぶものが最も多く、次にチェンバロである。珍しい例としてはロバート・レヴィンや野平一郎がいる。彼らは《平均律クラヴィーア曲集》を、オルガン、チェンバロ、クラヴィコードなどの楽器を使い分ける。それぞれの曲に最も相応しい楽器を選んで弾くのである。そうかと思えばルイ・ティリーのように、《平均律クラヴィーア曲集》の全曲をオルガンだけで、レジストレーションを変えることによって多彩な表現を可能にした演奏もある。

《平均律クラヴィーア曲集》 という表題の 「曲集」と言う意味は、1曲ではなく、1巻に24曲、2巻に24曲、合計48曲からならる。これらは理論上考えられるすべての調を網羅した記念碑的曲集である。なぜなら、バッハの時代は♯♭3個ぐらいの調しか使われなかったからである。

「クラヴィーア」と「曲集」の意味はこれで分かった。次は「平均律」という調律法の意味に進もう。


実は《平均律クラヴィーア曲集》というのが誤訳であるといわれるようになって久しい。つまり英訳や仏訳のように《良い調律のクラヴィーア曲集》と訳すべきで《平均律クラヴィーア曲集》と訳すのは間違っているという説である。今日、「平均律」と言えば「12等分平均律」を意味するが、バッハは「12等分平均律」を意図してなかったから《平均律クラヴィーア曲集》と訳すのは誤りだというのである。もしバッハが「12等分平均律」を意図していたならば「gleich schwebende Temperatur (同じように唸る)」 か 「zwolfstufige  Temperatur (12等分平均律) 」と書いたはずであるが、そのように書かなかったのは、「不等分音律」を意図していたからである。バッハが意図したのは「上手く調律された不等分な調律」であって決して今日にいう「平均律」ではないする説である。

以上が誤訳説の根拠とするところであるが、一概に誤訳と決めつけられるほど、事態は単純ではない。
バッハの時代は中全音律が主流であった。もしバッハが当時存在しなかった「12等分平均律」という言葉を知らなかったとしたらどうだろう。バッハは24すべての調の演奏を可能にする調律に対して単に「良い調律」と書いた可能性もあるだろう。
バッハがこの曲集において24のすべての調を演奏可能にするほどよい調律を意図したことは確かだ。
当時一般的だった中全音律では♯♭の多い調は極端な響きになってしまうので使い物にならない。だから24すべての調を演奏可能にする「良い調律」とは必然的に12等平均律に近づくことになる。厳密な12等分平均律ではないにしても、バッハは24すべての調が弾ける調律を意図したはずである。その調律に対してバッハは 「gleich schwebende Temperatur (同じように唸る)」や「zwolfstufige  Temperatur (12等分平均律)」という言葉を耳にしたことが無かった故に、表題として書けなかったかもしれぬ。
使用できる調が限られていた中全音律に対して、24すべての調が演奏可能な「一種の平均的に上手く調律された音律」という意味で「良い調律」と記した可能性もある。


当時すでに存在していたヴェルクマイスター音律は不等分音律でありながら24の調が演奏可能である。これも「一種の平均的に上手く調律された音律」という意味で「平均的調整律」という言葉が用いられていた。

つまり我々が「平均律」という言葉を使うとき、現代では「12等分平均律」の意味である。しかし24の調が演奏可能でしかも不等分な音律も存在するのである。微妙に不等分な「平均的調整律」は無数に考えられ、バッハの独自の調律も一種の「平均的調整律」である。

というわけで、「等分」にも 「不等分」にも 24の調が演奏可能な調律法は存在することがわかった。「等分」も「不等分」も24の調が演奏可能である限り、その調律法は非常に似てくるので、耳で聞いても大差はない。同じ不等分音律でも中全音律は、演奏可能な調が限られているので耳で聞いて大差がある。
24の調が演奏可能な音律と不可能な音律では大きな違いがあるのである。


《平均律クラヴィーア曲集》の表題において、バッハの意図した調律が等分か不等分かという問題については昔から議論が続いている。
バッハの死後すぐにマールプルクが、バッハの意図した調律は「等分」だと主張した。この意見がシュピッタに引き継がれ、シュヴァイツァーも「等分」を主張し、長い間、「等分」 が常識となっていた。
が、1947年にバーバーが「不等分」を主張した。バーバーの主張は、バッハは意図的に 「gleich schwebende Temperatur (同じように唸る)」 を避けて書いたのであり、バッハの調律は不等分であったというものである。以後、「不等分」説がにわかに有力になり、日本における誤訳説が少しづつ浸透していった。
ところが 1985年にラッシュの研究によって 「不等分」説が覆され、「等分」説がまた返り咲いた。
最近では1999年にシュパルシューが《平均律クラヴィーア曲集》のタイトルページ上部に書かれた螺旋渦巻き模様にバッハの調律の秘密が隠されていると言う説を唱えた。この螺旋渦巻き模様説は「不等分」であるから、またしてもひっくり返ったのである。

バッハが表題に書いた 「Wohltemperirte (良い調律)」律が 「等分」 か 「不等分」か、どちらに解釈してもよいと思うが、はっきりしていることは24すべての調が演奏可能な調律であることだ。それは必然的に「等分」か、さもなくば「等分」に非常に近い「不等分」ということになる。
どちらにしても、耳で聞いて大差はないだろう。大差のある「不等分」調律は、24のすべての調を演奏することができないからである。