高校の音楽の授業で忘れられないことがある。普通高校の選択科目として取った音楽の授業である。
それは音楽の先生が黒板に5度圏の図を書かれた授業。

先生曰く 「 5度圏は5度づつ上がっていって12回目で元に戻る環だ。時計回りにC→G→Dと5度づつ上がっていく。5度上がる度に調号の♯が一個増える。つまりCから5度上がると、調号には♯が1個付いてG長調だ。また5度上がると♯が2個付いてとD長調だ。
今度は時計を反対回りすると5度づつ下がる。5度下がる度に調号の♭が一個増える。Cから5度下がると♭が1個のF長調だ。また5度下がると♭が2個のB長調だ。
この5度圏さえ知っていればすべてわかるんだ。凄いだろう」

短調に関する説明は無かったように記憶するが、先生はまるで5度圏を自分の大発見であるかのような口調で熱っぽく語られたのが印象的だった。しかし忘れられない音楽の授業はこの次に起こった。

5度圏の絵は時計の6時のところだけ2つの調が書いてあった。
F♯ と G♭が同じところに書いてあった。
ピアノを習っていた私は、鍵盤を思い浮かべて F♯ と G♭は同じ音だから2つ書いてあるのだと直ぐに解った。
ふむふむ、確かに調号の♯が増える度に5度上がるのだなと、今まで何となく見ていた調号にはこんな法則があったのか、便利なものだなとその時思った。長年ピアノを習っていたが、5度圏は初めて見る図だった。

しばらくして先生が一つの質問をされた。
「♯が9個ついたら理論的には何調になると思うか?」
実際には♯9個の調号など使われないが理論的には考えられるはずだ。

私は頭の中で鍵盤を思い浮かべながら考えを巡らせた。
高校生の頭で考えたことは、♯が6個でF♯長調なのだから、そこから5度上がると・・・ファソラシド・・C♯長調・・・♯7個だ。♯8個はまた5度上がるから、ドレミファソ・・・・G♯長調・・・・・と考えている最中に、 A君がサッと手を上げて 「D♯」と答えた。正解だった。

A君はピアノを習ったこともなく、楽譜も読めないはずだ。しかし現役で東大に合格した頭脳明晰な男子だった。
私はといえば物心つく頃からずっとピアノを習っていた。中学受験の時も高校受験の時も、ピアノは好きで休まなかった。
それなのにA君はたった1時間の音楽の授業で5度圏を理解し、私より先に答えを出してしまった。

一般的なピアノのレッスンでは将来の進路として音大受験を決めてから、音大受験対策の楽典のレッスンを始める。楽典のレッスンで5度圏を知ることになるが、その時私はまだ音大受験を考えてなかった。
もし楽典のレッスンを受けていたら、A君よりも先に簡単に応えられただろう。

一般的にピアノのレッスンは楽譜を鍵盤に移し替えるだけの作業が主体になりがちである。
ピアノ教師は音符を正確に読み、スピードを上げて迫力ある演奏をできるように一生懸命指導する。
5度圏などの基礎的音楽理論を知らなくても、上手に弾ける生徒は多い。
話せないのにドイツ語を話しているようなものである。
調号に♯♭がついていれば、音符に♯♭がついてなくても半音上げたり下げたりして弾くというルールだけ教えておけば事足りる。たったそれだけの知識でバッハもベートーヴェンもショパンの楽譜も取りあえずは弾ける。

ただ機械的に楽譜を鍵盤に移し替えるだけというレッスンは音大に入っても基本的には変わらない。
音楽理論や作曲よりも、上手にバリバリ弾くという技術偏重のためである。
ここでハンガリーの作曲家、民族音楽学者、教育家、言語学者、哲学者のコダーイ(Zoltan Kodaly 1882〜1967)の音楽大学に対する考察を引用したい。

「音楽アカデミーはポンポンとピアノを鳴り響かせるだけの、高貴なお嬢さんを入学させることを、目指すわけにはいきません。そんなお嬢さんたちは、以前は《乙女の祈り》を弾き、今日ならバルトークの《アレグロ・バルバロ》を弾くことでしょうが、それが音楽とは全く関係のない人達であることは、今も昔も変わりがないのです。卒業証書の名目上の価値と、実際の価値との間のギャップはますます大きくなっていきました。学校が卒業証書を出すことによって、それを受け取った人の能力を、はるかに超えた力量を証明したからです」

力量をはるかに超えた卒業証書をもらうのに、昨今は何千万円も必要である。
一般的な私立音大の場合、入学金、寄付金、設備費、学費、下宿代、生活費などの仕送りの他に入学前の入試対策として志望校の教授のレッスンも受けなければならない。有名教授の高いレッスン代、交通費、ホテル代などの出費、またそこに至るまでの10年以上の間、ピアノの月謝を払い続けねばならない。
これほどの出費で音大を卒業しても、決して元はとれない。

一方、A君は高額の所得を得ていることだろう。