《音楽の捧げもの》( Musikalisches Opfer) BWV 1079 は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ晩年の作品で、1つの主題に基づく曲集である。
その中にはリチェルカーレ2曲とトリオソナタ、ならびに種々のカノンが含まれる。主題はフリードリヒ大王がバッハに与えたとされている。ハ短調、8小節、王者の威厳にふさわしい主題である。
この作品はバッハがフリードリヒ大王に捧げたもので、とりわけ高度な対位法技巧が駆使されており、種々のカノンは謎に満ちている。

カノン (canon) とは、同じ旋律を異なる時点からそれぞれ開始して演奏する 様式の曲を指す。
一般に輪唱と訳されるが、輪唱は 全く同じ旋律を追唱する(同度カノン)。
これに対してこの曲集では、開始音の異なるものが含まれる(5度カノン、2度カノン、etc.)。


今回は謎のカノンの中から《蟹のカノン》および《螺旋カノン》と呼ばれるものを取り上げる。

まず《蟹のカノン》について。
これは蟹の横歩きのようなイメージからの通称だろうが、バッハは「2声の逆行カノン」とだけ書いた。
1つの旋律を頭と尻尾から同時に演奏すると、2つの旋律が互いに主題となり対旋律となって美しい響きを織りなす。
蟹行というのは頭から読んでも後ろから読んでも同じというあれとは意味が違う。
例えば「しんぶんし」はどちらから読んでも「しんぶんし」だが、これを頭と尻尾から同時に演奏しても単なる斉唱(ユニゾン)である。ハーモニーを紡ぐことはできない。
バッハの「蟹のカノン」は他の追随を許さない高度な技法である。


次に《螺旋カノン》について。
これは王の主題を装飾変形して定旋律としている。そこに美しい対旋律が寄り添う。しかもその対旋律は5度上で1小節遅れで模倣される。つまり3声である。主題、対旋律、5度上の1小節遅れの対旋律、合計3つである。

主題が途中で1全音上に昇り、その調のまま、2回目の王の主題に突入するというパターンを繰り返すカノンである。かくて王の主題は繰り返される度にハ短調→ニ短調→ホ短調→嬰へ短調→変イ短調→変ロ短調→ハ短調と7回目にもとの調に復帰する。これが「螺旋」と言われる由縁である。
バッハはこの楽譜に「調が上昇するように王の栄光も高まらんことを」と添え書きした。

マッテゾンの調性格に従えば、王の主題をハ短調で奏すれば「並はずれて愛らしい」、ニ短調で奏すれば「信仰深く穏やか」、ホ短調で奏すれば「悄然とし悲しげな状態」、嬰へ短調で奏すれば「ひどい憂鬱」、変イ短調は「記述なし」、変ロ短調も「記述なし」となる。「記述なし」とは当時の調律法では極端な響きになるためにほとんど用いられなかった調である。
《螺旋カノン》をマッテゾン流に解釈すれば、調が上昇していくにしたがって、王の栄光が高まるどころか悲しく憂鬱に沈み込んでいき、最後は王の栄光の崩壊ということになる。

バッハがもし調性格というものにこだわっていたならば、調性格に従って王の栄光が徐々に高まるように全く違う配列を考えたかもしれぬ。しかしバッハは調性格に全く配慮せずに調の配列を選んだ。もしバッハが調性格にこだわっていたならば、ハ短調で与えられた主題を他の調で書くことすらできなかっただろう。なぜなら調の変化によって主題の性格が変わってしまうなら、王の栄光は揺らいでしまうからだ。どの調でも主題の性格が不変であると考えたからこそ、バッハは調の上昇とともに王の栄光も高まると考えたのだろう。


「調が上昇するように王の栄光も高まらんことを」とバッハが書いた根底に、調性格の否定を読み取ることができる。

またバッハはこのカノンの記譜法において、調号としてのシャープ、フラットを使わず、曲の最初から最後まですべての音を臨時記号で表している。これはバッハのフーガの書き方にも通ずる。

バッハのフーガは冒頭の主題が主調で提示され、その直ぐ後に5度上の調で、また直ぐ後に元の主調で、またまた直ぐ後に5度上の調で主題が提示される。
一つのの調にとどまる時間が極短に短い。
もし調が変われば調性格も変わるという考え方ならば、フーガは1曲が終わるまでに、いくつもの性格が目まぐるしく変わることになる。
しかし実際は調が複雑に変化し一つの調に長くとどまらないと言う意味で転調がないと言った方が妥当である。
バッハのフーガは調性格の否定が根底にあり、それはイコール式の考え方に通じるものである。