1か月ほど前に開催したバッハ礼讃会は大好評、盛会のうちに無事終了することができました。
バッハ礼讃会というのはバッハの曲でバッハを礼讃する独自の音楽会です。いわゆる演奏会のようなものとは違います。またピアノ発表会とも違います。バッハ礼讃会は宗教的、哲学的音楽会です。同時にバッハ慰霊祭でもあります。
バッハは江戸の中期、我が国が鎖国している間にドイツで活躍し、1750年7月28日に亡くなりました。私はバッハの祥月命日に拘りまして7月28日に一番近い日曜日にバッハ礼讃会を開催させていただきました。今年はなんとバッハの264回忌ということになります。バッハの命日は単に一作曲家の亡くなった日ではありません。バッハの死はいろいろな意味で西洋音楽の分水嶺をなす音楽史上最も重要な日なのです。

バッハ礼讃会はプロテスタント教会の礼拝堂で行いました。
礼拝堂の正面右側にはバッハの肖像画を飾りました。バッハの会に参加しておられる画家が描いてくださった油絵です。
正面の左側にはスクリーンを用意しました。曲にマッチした言葉や、バッハの生涯などを書いて映し出しました。音楽を聴きながら字幕を読んでいただく仕掛けです。


演奏曲は、平均律クラヴィーア曲集、G線上のアリア、主よ人の望みの喜びよ、ブランデンブルク協奏曲、ミサ曲ロ短調のバスのアリア、フランス組曲、目覚めよとわれらに呼ばわる物見らの声、etc

珍しい演奏としては法衣をまとった臨済宗の僧侶の出演です。《ブランデンブルク協奏曲》に合わせて複雑なリズムを木魚で叩かれました。その瞑想的な雰囲気の中に音楽の生命がイキイキと立ち上ってくるようでした。
同じようなものとしては紋付き袴姿で鼓を打ってくださったプログラムもありました。《G線上のアリア》に合わせて「イヨー、ポン」と盛り上がっていき、会場は不思議な幽玄の世界に包まれました。
神様は変幻自在です。このような変幻自在なコラボが可能なのはバッハだけでありまして、モーツァルトやショパンでは不可能なのです。変幻自在のバッハは神様の音楽であることの一つ証明であります。

メインはフーガBWV 578 の合奏です。ピアノ教師、主婦、元小学校の校長先生などによる7台のキーボードの合奏です。バッハのフーガがなぜ難しいかと言うとソプラノ、アルト、テナー、バスの4パートを一人で全部弾かなければならないからです。それを7人で手分けして演奏すれば、とても簡単です。その上、♯♭を最小限にして簡単に弾き易く移調した楽譜を使うのですから、誰にでもできるのです。ふつうならバッハなどとても弾けないという人もこういう形なら、気軽にバッハに触れることができます。
 
難曲をお弾きになった方はバッハに造詣が深く、ドイツ的な超一流の演奏家や、旧態依然とした頑ななバッハ解釈から抜けられないご様子で、最初は出演を躊躇しておられました。私が「上手に弾こうとせず、般若心経を読むようなつもりで弾いてください」と申し上げると納得して出演してくださいました。猛スピードでミスなく綺麗に弾くだけなら、高度に進化したコンピューターの方がはるかに有能です。そうではなくてバッハの音楽の中に息づく生命の実相を感じることが最も大切なのです。そうすることによって心が調律されるのです。潜在意識が浄化されるのです。彼は文字通り般若心経を読むようにお弾きになりました。後で彼は次のような感想を述べてくださいました。「これまでバッハが書いた音符が多くの人の目に触れ、多くの人によって音にされて来た。その中の一人がこの私なんですね。多くの人がバッハの音楽の中に包まれてきた。これって、ある意味で、バッハは今こうして弾いている私のために書いてくれたとも言えるんですね。バッハ礼讃会の全体がそんな雰囲気でした」と、自らの出演を通して言葉にならないバッハの真髄を観じ取っていただけようでございます。