最初に「ドレミ」を発明したのは、ベネディクト会修道院の修道士、グィード・ダレッツィオ(995〜1050?)である。イタリアの音楽理論家であり 『ミクロロゴス』 という世界最古の音楽理論書を残している。
また彼は、デオバルド司教のもとで大聖堂の少年聖歌隊の指導にも当たった。少年達にグレゴリオ聖歌を効率よく教えるには、従来のやり方の口伝では不十分だと彼は考えた。それで彼は少年達がグレゴリオ聖歌を容易に習得できるように、音感訓練の方法と新しい記譜法を開発した。それが「ドレミ」である。

彼は各節の出始めの音が音階を順に上昇する歌をグレゴリオ聖歌の中から探し、《聖ヨハネの讃歌》を選び出した。
「汝のしもべが、弦をかきなでて、汝の妙なるわざをたたえ得るように、この穢れある唇の罪をのぞかせたまえ、聖ヨハネよ」 と、6月25日の「聖ヨハネの日」に歌われるグレゴリオ聖歌である。
旋律は各節の出始めの音が音階を順に上昇していく。

《聖ヨハネの讃歌》を原語で示すと以下のようになる。
utqueant laxis
resonare fibris
mira gestorum
famuli tuorum
solve polluti
labii reatum, sancte johannes

各節の出始めの音が順に上昇していく旋律なので、各節の出始めの音、すなわち 「Ut Re Mi Fa Sol La」 と、音が順に上がっていく。
この「ウト、レ、ミ、ファ、ソ、ラ 」 と 順に上がっていく音が今日の「「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ」と上昇する音階の起源となった。

最初の「ウト」は発音しにくいので後に「ド」と改められた。「ド」になったのはバッハの時代より後である。バッハは「ウト」と歌った。
また「ドレミファソラ」の次の「シ」がないのは何かおかしいと思われるだろう。
音階に「シ」がないのはヘクサコード(6音音階)だったからである。今日の「シ」は後になって加えられたものだ。「シ」が加わって7音音階となったのが今日我々の言う「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、」である。バッハの時代のソルミゼーションはまだ6音音階だった。6音音階は今日我々の言う長調と短調の音階ではなく旋法である。

バッハといえば《平均律クラヴィーア曲集》であるが、第1巻の有名な前書きを読むとバッハの時代のソルミゼーションが明らかになる。この前書きはバッハの自筆によるものである。
「平均律クラヴィーア曲集、すなわち長3度 Ut Re Mi に関して、あるいは短3度 Re MI Fa に該当するすべての全音と半音(白鍵と黒鍵)によるプレリュードとフーガ」 と書かれている。

バッハの言う長3度とは長調、短3度とは短調のことである。
長3度が 「Ut Re Mi ウト レ ミ」 と書かれている。バッハの時代は「ド レ ミ」 ではなく 「ウト レ ミ」と言っていたことが明らかになる。
また短3度が「Re Mi Fa レ ミ ファ」 と書かれている。今日の短調なら「ラ シ ド」と書くべきところである。
バッハの時代のソルミゼーションは6音音階だったので「シ」とは書けない。だから「ラ シ ド 」ではなく 「レ ミ ファ 」と書いたのである。6音音階は旋法を意味している。

バッハの前書きから明らかなように 《平均律クラヴィーア曲集》 は、旋法から近代長短調確立へのちょうど過渡期に成立したと考えることができる。
また《平均律クラヴィーア曲集》は近代長短調における24の調ではなく、長旋法と短旋法の24の移旋として成立したという側面も忘れてはならないだろう。