クリスマスが近くなると聞こえてくる《メサイア》はヘンデルの代表作である。
《メサイア》とは救世主という意味で、聖書のイザヤ書、詩編、ルカ福音書、マタイ福音書、ローマ信徒への手紙、コリント信徒への手紙、ヨハネの黙示録などの引用句を用いている。

全体は3部からなり、有名なハレルヤコーラスは《メサイア》の第2部の最後で歌われる力強い合唱である。
歌詞は「ハレルヤ、全能であり私たちの神である主が王となられた。この世の国はわれらの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。王の王、主の王」というもので、今では宗教曲としての不動の地位と人気を獲得している。

ところが当時は《メサイヤ》の上演に抗議する人たちもいたのである。
それは聖なる主題を、教会ではなく劇場で上演することに対する批判であった。
当時の劇場は、オペラ歌手たちが軽薄で空しい作品、異教的で放埓な作品を美声を競って歌う場所だったので、そのような場所で《メサイア》を上演することに反対の声が上がったのである。
そのために予約演奏会ではあえて曲目を《メサイア》と書かず、《宗教的オラトリオ》と書いて批難をかわす策がとられた。

劇場上演の反対派曰く
「宗教にまるで関心がなく、宗教を求めて教会に行く価値など無いと考えている人々が、劇場で宗教的な演奏に耳を傾けて敬虔な気持ちになるとは絶対に考えられない」

「軽はずみに神の名と言葉を用いるといったことは冒涜である。」

「畏れをもって主に仕えよ、畏敬をもって主を喜べと述べた詩編の作者の忠言にもとることは明らかである。」

「もし宗教の行為としてではなく、気晴らしか楽しみだけのために演奏されるのであれば、芝居小屋がそれを上演する神殿に応しいものかどうか、また演奏者の一団がはたして神の言葉の宣教者として応しいかどうかを問いたいと思います。」

しかし《メサイア》は反対派の批難をよそに大成功を納める。
上演賛成派曰く

「劇場は聖なる賛美に応しからずなどとつまらぬ議論を持ち出すことなかれ。清らかなる歌は音楽に新しい品位を与え、徳には畏敬をもたらし、そしてその場を聖別する。同じく、ハーモニーは天の力を得、しかして魂を天にまで高め、地獄を天国に変える」

尚、ハレルヤコーラスを起立して聴く習慣は、ロンドン初演時に、国王が起立したことに始まるとされている。
当時から《メサイア》の人気は非常に高く、何度も演奏されたが、真の初演はダブリンであったから、国王はロンドンにおける初演時に起立したのだろう。


ヘンデルは偶然にバッハと同じ年、1685年に生まれた。共にドイツ人であるが、この2人は全く対照的な人生を歩んだ。

ヘンデルはオペラ、コンサートで高い人気と名声を獲得する。イタリア、イギリスなど国際的な活躍をしてやがてイギリスに帰化する。彼の作る曲は常に当時の流行の先端を行く作風であり、また複雑で難解とされるバッハなどの曲と違ってアマチュアにも大いに親しまれた。

一方バッハは故郷から離れず、バッハ一族は強いネットワークで繋がり、仕事でも、私生活でも互いに助け合う。バッハは最新流行の「新しい音楽」には抵抗を示し、対位法を作り続ける。オペラを作らず、モノフォニー音楽に重きをおかず、次第に時代遅れの音楽家となる。晩年の大作《フーガの技法》《音楽の捧げもの》《ゴルトベルク変奏曲》などは音楽古来の法則をポリフォニーのうちに確立し、バッハの晩年の関心はポリフォニーの背後にある永遠不変の法則を体系的に探求することだった。従ってモノフォニー音楽の台頭著しい時代にあってはテレマンやヘンデルのような名声を得ることができなかった。

2人の生い立ちも全く違う。
ヘンデルの父は医者で息子を法律家にするべく大学の法学部に進学させるが、途中で父の反対を押し切って音楽に方向転換してしまう。
一方バッハは先祖代々音楽家の家系であり、ごく自然に18歳から教会のオルガニストとして働き始める。大学には行かなかった。

結婚と家庭生活においても2人は全く違った生涯だった。
ヘンデルは女性に興味なく、生涯独身を通した。子供も残さなかった。故郷も持たず、個人主義で根無し草的人生であったが、名声を得て贅沢な暮らしをすることができた。
一方バッハは故郷に根をはり、20人もの子供を作った。最初の妻は急死し、後妻を迎えたが、両方とも夫婦仲は円満だった。妻と子供を愛し、浮いた話一つなく懸命に働く人生だった。息子たちはバッハ一族の後を継いで音楽家になった。特にエマーニエル・バッハはハンブルクでテレマンの後継者になるほどの名声を得た。またクリスティアン・バッはバッハ一族では唯一のオペラ作曲家となりギリスでヘンデルの後継者になった。


やがてヘンデルもバッハも天国に召されるが、バッハの路線を継ぐ者はなくバッハは世間から忘れ去られる。
バッハの息子たちでさえ、父の真の偉大さを理解することができなかった。息子たちはヘンデル的な新しい音楽の方向に活路を見出していく。もし、バッハが人生の最後まで追及し続けた対位法芸術はバッハの死をもって終焉を迎える。
ここが、西洋音楽の分水嶺である。
西洋音楽の終焉に向かう第一歩がここにある。バッハの死から霊性との決別が始まった。