カラオケなどで歌い易い高さに音を変える場合、「キーを上げる」、あるいは「キーを下げる」という。
キーを上げ下げしても音楽そのものに変化は起こらない。音の高さが変わるだけである。単なる音の移高である。
しかし、この音の移高が一旦、楽譜にとして書かれると、調号に変化が起こり、移調と呼ばれる。
単なる移高なのに、譜面がガラリと変わってしまうことで、元の調の趣きがガラリと変わったかのように思う。新たな調号に新たな趣きが生まれたかのような誤解を生じる。
その結果、移調すると異なる性格になると主張する人もいるほどだ。

再度確認しておきたいが、12平均律においては、移調による性格の変化は無い。12平均律は半音の幅がすべて等しいので、どの調も同じである。勿論、調性格の違いなどは存在しない。
不等分音律の場合は調ごとに多少の響きの違いがあるが、普遍的な調性格など存在しない。なぜなら、不等分音律の種類は無数にあるので、ある調性格が、どの音律に基づいているのか判然としないからである。ましてやある調の調性格というのは調性格論者によってさまざまである。ある調について真反対の調性格を述べる調性格論者も多々いるのである。」

調性格論者として最も有名なマッテゾンは次のように結論している。「調の性質については、何も絶対的なことを言うことはできない。なぜならどんな調もそれ自体では、その逆を作曲し得ないほど悲しかったり楽しかったりする事はできないからである」
この言葉はマッテゾン自身が述べた調性格を、自分で否定しているにも等しいではないか。

現在の私達が、調性格を感じ、それを普遍のものと信じるのは、長年の思い込みから生じているわけだが、その原因は教会旋法の認識不足からも起こり易い。
教会旋法も近代長短j調も、任意の音から音階を始めることができる。たとえばドリア旋法はどの音を終止音にするかによって譜面の調号が違う。しかしこれをドリア旋法の移調とは言わない。高さを変えるのだから文字通理り、ドリア旋法の移高と言う。

音楽の性格が変わるのは移高によってではない。移旋によって性格が変化するのである。移旋とは旋法が変わることである。旋法が変われば音階構造が変わる。音階構造が変われば性格が変わる。例えば、ドリア旋法をフリギア旋法に移旋すれば音階構造が変わり、音楽の性格が変わる。ただし、音階開始音には影響されない。ドリア旋法の壮重な性格は、フリギアの悲しい性格に変わるのである。

参考までにブットシュテットによる教会旋法の性格づけを以下に記載する。
          イオニア旋法・・・・・・活発、陽気、楽しげ
          ドリア旋法・・・・・・活発、喜ばしい、そして壮重
          フリギア旋法・・・・全く悲しい、愛らしく快適
          リディア旋法・・・・・威嚇的
          ミクソリディア旋法・・まじめ
          エオリア旋法・・・・・・快適、愛らしい
          

教会旋法の中のイオニア旋法は長調と同じであり、その性格は活発、陽気、楽しげとなっている。一方、短調はエオリア旋法と同じであり、その性格は快適、愛らしいとなる。
このように長調も短調も旋法の一つであるから、長調を短調に移旋すれば音階構造が変わる。音階構造が変われば性格が変わる。ただし音階開始音には影響されrない。音階構造が変われば長調の明るい性格は短調の淋しい性格に変わる。音階開始音によって性格が変わるのではないということは、ハ長調やニ長調といった音階開始音の変化には影響を受けないということである。長調を短調に移旋しない限り性格は不変である。移高あるいは別の言い方で移調だけでは音楽の性格は変わらない。あくまで移旋によって音楽の性格が変わるのである。

現在、よく話題になる調性格は、長調の中にも短調の中にも、それぞれ12の調性格があると言わんばかりであるが、これらの調性格は恣意的であると同時に、おとぎ話と言わざるを得ないのである。
バッハが《平均律クラヴィーア曲集》において、難しい調をハ長調などの簡単な調から移調して曲集の中に組み込んだことを考えれば、なおさら調性格の確立は困難と言わざるを得ない。