「ドレミ」は本来、階名であった。
『実践的音楽への平易で気楽な手引き』(トマス・モーリ 1597年)に由来するギャマット(音階図)を見ると階名の意味がよくわかる。ギャマット(音階図)には一つの音名に対して3つの階名が書いてある。例えば「C」という音名に対して「ド」「ファ」「ソ」という3つの階名が書かれている。つまり、「C」という音名はハ長調では「ド」、ト長調では「ファ」、ヘ長調では「ソ」と読むことを示している。このように調によって読み方が変わるのが階名である。
ところが、現在では音名にも「ドレミ」を使ってしまっている。階名も音名も「ドレミ」を使っている。全く意味の違うもを同じ「ドレミ」で読むという混乱が生じている。これが深刻な問題を起こす訳をこれから説明する。尚、ご承知のように階名は移動ド読み、音名は固定ド読みされる。

階名=移動ド読みの「ドレミファソラシ」はそれぞれが固有の役割を持っている。一つの家族に、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、長男、長女、次男がいるようにそれぞれの役割が違う。
反対に音名=固定ド読みは、均一の音が7つ、同じ役割の人間が一つ屋根の下にいるようなものである。

また階名は「我輩は猫である」と書くように自ずから意味のわかる表記である。
反対に音名は「ワガハイハネコデアル」というように意味不明の文字の羅列である。

例えば「高い」とネットで検索すると幾つもヒットする。どの「高い」かは前後関係があってはじめて理解できる。理解するためには「インフレで物価が高い」「高い音域」「合格の可能性が高い」などの文脈、前後関係が必要だ。階名は前後関係が分かる読み方だた、音名は単発的で前後関係無く意味もわからない読み方である。

「ドレミファソラシ」を階名=移動ド読みで歌えば、「シ」を歌うやいなや耳は次の音である「ド」への欲求を呼び起こす。階名の「シ」にはそのすぐ上にある半音を前もって感じさせる役割がある。これを導音と呼び、「シ」は自分のすぐ上にある半音を主音として通告する役割を持つ。
また「ソ」は自分の4度上にある音を主音として通告する役割をもつ。

しかし音名=固定ド読みで歌えば「シ」に固有の役割がない。「シ」の次にどこに行くのか全く不明である。「シ」が導音である可能性は極めて低い。

階名読みの「ドレミファソラシ」という階名的センスを呼び起こすためには必ずしも楽譜に頼る必要はない。階名的センスを呼び起こすには数字譜、文字譜でもいっこうにかまわない。「シード」や「ソード」の階名的センスが頭の中にあり、いつでもその音程を思い起こしてアウトプットできることが重要である。楽譜が読めることとは全く時限の違う能力である。階名的センスとは音の役割を感じる耳、それは真に音楽的な耳であり、内的聴覚の中枢をなすものである。

トニック・ソルファ法のカーウェン(John Curwen 1816〜80 )は階名のこのような性格を心に留めるのが「最も易しい方法であるばかりか最も賢明な方法である。なぜならそれは、作曲家の方法だからである」と述べている。

作曲家の方法になり得ない音名=固定ド読みは音の高さだけを識別できる能力であり、音楽的な耳とはいえない。ちょうど色の名前を教えられれば、色を識別するのは簡単だが、絵画的天才とは言えないのと同じことである。色の名前を教えるごとく、音の名前を教えるのが絶対音感教育である。絶対音感をもつことと音楽的才能とは全く別物である。
別物であるばかりか、絶対音感は、これまでるる述べたところの音名=固定ド読みであるから非音楽j的であるといわざるを得ない。
その上、厳密な絶対音感をもつと、オーケストラのピッチが違えば気持ちが悪い、CDのピッチが少し違えば気持ちが悪いといったように、不便なことも多いようである。