絶対音感とは聞こえた音の絶対的な高さを楽器等の助けを借りずに識別する能力である。ピアノはもとより、三味線、、鳥の声、サイレン、飛行機の爆音、グラスが割れる音など、ありとあらゆる音の絶対的な高さを識別する人間音叉のような人を絶対音感保持者という。

絶対音感イコール音楽的才能と信じる人は未だに結構多い。これは特に日本人に多く見られる特徴で、日本には絶対音感教育という特殊なレッスンもある。
外国にはこういう特殊な教育法はない。なぜなら彼らにとっては教育の必要性が感じられないからである。外国では絶対音感は知らないうちにに生じてくるものと考えている。

絶対音感教育の創始者は園田清秀(1903〜35)、ピアニスト園田高弘の父である。
清秀の理論と実験は笈田光吉、山田耕作、斉藤秀雄らの協力を得てついに『絶対音 早教育』として世に出ることになり、「音楽教育の革命、天才児大量生産」と音楽界にセンセーションを巻き起こした。これは1935年、終戦の10年前であった。このとき「絶対音感」とは言わず「絶対音」と言っていることは非常に重要である。

清秀が32才の若さで亡くなると、『絶対音 早教育』は郷里の大分県で引き継がれる。
一方、東京では笈田光吉が「絶対音」を勝手に「絶対音感」と改め、『絶対音感 及 和音感教育法』を体系化する。笈田の「絶対音感」教育は学校現場の教師たちから「楽しんで学習できない。神経衰弱になる」との猛反発をくらったが、軍部はこれを採用し、小学校で強制的にやらせた。軍部の「絶対音感」教育の目的はB29の機種や高度を判別させるためのものであって音楽教育ではなかった。このために絶対音感教育には戦争のイメージがつきまとうことになり、終戦後は一端否定された。

このまま永久に止めておけばよかったものを、終戦後間もなく絶対音感の平和利用が始まる。かつての「天才児大量生産」の夢よ再びというわけで今度は斉藤秀雄、吉田秀和、柴田南雄らが桐朋学園子供のための音楽教室を開設し、絶対音感教育を復活する。
この教室で使用する『子供のためのハーモニー聴音ー音感訓練の本』はロングイセラーとなる。内容は1番「ツェー、エー、ゲー」の和音から、416番「♯デー、♯エー、♯♯ゲー、♯ハー」の和音の羅列である。進んだ?教育ママたちは、わが子が何番まで和音を覚えたかを競い合い、「絶対音感」教育は過熱していく。

同書の前書きには 「a' 音を440Hzとし、正しく調律されたピアノで実施せよ」と書かれている。これは標準音を440Hzにせよ、12等分平均律に正しく調律せよという意味である。しかし世の中の音楽がすべて440Hzだろうか。442Hzのオーケストラもあれば、445Hzもある。古楽の演奏では415Hzである。現状を無視して440Hz に限定して教育してしまうと、精密な絶対音感保持者ほどオーケストラの音が狂って聞こえてしまう。絶対音感を持ったが故の悲劇が起こる。いったい何をもって「絶対」というのか甚だ疑問である。

更に大きな問題は12等分平均律でもって教育することである。
例えば「ド」の音から「ミ」の音を作るとき、音楽家は正しい長3度を心のうちに聴かねばならない。弦や管の奏者は心のうちに聴いた長3度を奏でる。ところが12等分平律のピアノは正しい長3度よりも大幅に広い音程である。心のうちに聴く純正の長3度とはかけ離れており全くハモらない3度である。ゾルゲ(1703〜78)は「あまりに耳障りである。これは杓子定規の音律に由来する」と評した。この極端な長3度を刷り込むのが「絶対音感」教育であるから恐ろしいことである。12等分平均律のピアノはすべての音程を等しく狂わせる調律なので、オクターヴ以外はすべて狂っている。これでは自然の耳が破壊されて当然だ。絶対音感教育とは自然の美しい音程を心のうちに持った人間を、杓子定規で濁った音程に改悪することに他ならない。

戦後の日本は西欧に追いつけ追い越せの時代である。和音名をドイツ語で言う教育法は、西洋音楽を知らない人達には高尚で芸術的に思えたのかもしれない。しかしそれは軍部が行った絶対音感教育で使われた「ハ、ホ、ト」をドイツ音名に変えただけの中身は変わらないものである。一方はB29、他方はピアノ楽曲とその使用目的は違えど、とちらも音の高さのみを識別する人間音叉教育に他ならないということを見抜くべきである。戦後の日本は外国のように家庭の中に音楽がある家などほとんど無かった。ピアノの音が家の中にあることに憧れを抱いた。高価なピアノも割賦販売開始とともに憧れであったものが庶民の手にも届くようになる。そして全国津々浦々、ピアノ教室ができ、我も我もと絶対音感教育に狂奔する。

音の高さをピアノの鍵盤に例えてレッテル貼りをするのが絶対音感教育であるが、「ド」の鍵盤と「♯ド」の鍵盤との間には無数の音があることを忘れている。「ド」は 264Hz、「♯ド」は 275 Hz である。その間にある無数の音を無視し、1オクターブを12鍵盤でもってレッテルを貼るのが絶対音感教育である。音の高さは鍵盤楽器のように階段的に上下するのではなく、ヴァイオリンのようにスロープ的に上下する。絶対音感教育は絶対「鍵感」教育に他ならない。

最後に絶対音感教育の最大の罪は「音感」という言葉を使ったことである。B29の音を識別できることを音楽的才能と考える人はいない。音の感覚だから「音感」という程度のことである。ところがこれと全く同じ識別能力に過ぎないものが、ドイツ語や桐朋というブランド力によって音楽的才能であると勘違いしてしまった。
ピアノの鍵盤名を当てることは音楽的な意味の「音感」ではない。一つの音が過去とも未来とも断絶して、個々の音の高さのみを識別することは音楽と全く無縁である。色彩を見て赤や白というレッテルを貼ることができても、それが天才的な画家ではないのと同じである
真の「音感」とは「ド」の音に対して「ミ」の音を正しく心のうちに聴く能力である。つまり相対的な音程が「音感」であり、音の絶対的な高さは問題ではない。絶対的な音の高さと音楽の内容が無関係であるからこそ、シューベルトの「冬の旅」は高声用、中声用などいろいろな音の高さで歌われる、いろいろな調の楽譜が出版されている。「冬の度」をどの高さで歌っても「冬の旅」に変わりはない。絶対音感保持者のように鍵盤名で「冬の度」を歌うのではなく、階名で歌えば高声用の楽譜も中声用の楽譜も同じシラブルになる。

「桐朋学園子どものための音楽教室」の室長の別宮貞雄は「我々は皆、絶対音感を持っていなかったので、それがすばらしいと思ってしまったんだね」と後に述べているように、当時の日本は音楽的に非常に貧しかった。それが60年も続き、今もって絶対音感を妄信する風潮がある。絶対音感教育は真の「音感」を破壊するものである。真の「音感」とは、ハモる音程と階名(移動ド)である。絶対音感教育はハモらない音程で音名(固定ド)だから音楽的とはいえない。