ある少女は幼い時からピアノのレッスンを続けています。
今週はモーッアルトのピアノソナタ K 332 ヘ長調が宿題です。この曲はもう3週目です。

少女は遅刻をしたので、先生はピアノを弾いて待っていました。
少女はしばらくその演奏に耳を傾けてから先生に尋ねました。
「今、先生がお弾きになっていた曲は何ですか?」
先生は驚いて答えました。
「これは今日あなたがレッスンに持ってくる曲ではありませんか」

なぜ少女は3週間も練習してきた曲が分らなかったのでしょうか?
これは現在のピアノ教育の盲点なのです。非常に重要な問題点です。
つまり少女は相対音感の持ち主だったのです。相対音感の少女に対して、固定ド読みでピアノを教える現在の教育に大きな問題があるのです。

少女はヘ長調のソナタのメロディーを 「ファーラ ドーラ シ♭ーソ ファミミ」 と固定ド読みで練習してきました。
ところが少女は相対音感なので、先生の演奏が 「ドーミ ソーミ ファーレ ドシシ」と移動ドでしか聴こえないのです。

つまり少女は楽譜を見れば 「ファーラ ドーラ〜」と読めるのですが、楽譜なしで耳だけで聴くと「ドーミ ソーミ〜」となるのです。だから先生の弾く曲が何の曲か分らなかったのです。
このような読譜に関するねじれ現象は相対音感の少女にとって誠に深刻な問題です。

反対に絶対音感の少女なら問題がないかというと、これもまた問題なのです。
絶対音感の少女には先生の弾く曲が「「ファーラ ドーラ〜」と聴こえますから、少なくとも先生に何の曲かと尋ねる必要はありません。

しかしこの曲のメロディーを 「ドーミ ソーミ〜」というように主和音の上にたつ分散形として読むとき、この曲のもつ愛らしさと優雅な幸福感が真の意味を伴って理解されるのです。
「ファーラ ドーラ〜」と読んだのでは主和音ではなく下属和音になってしまい、メロディーの意味が理解されません。
さらにやっかいなことに、絶対音感を持っていると、音楽を音の高さのみで判別するので、 音の高さが違う「ドーミ ソーミ〜」は歌えないから問題があるのです。
音楽の内容を考えると 「ドーミ ソーミ〜」 であるべきものが、絶対音感を持っているとその音の高さでしか歌えないので「ファーラ ドーラ〜」の高さのものを「ドーミ ソーミ〜」と歌うと気持ちが悪い、或いは歌うことが不可能となるのです。これもまた深刻な問題です

現在のピアノ教育では、固定ド読みと移動ド読みの両方にドレミというシラブルを使います。
これはドレミの本来の機能である、移動ドとしての存在価値を骨抜きにするものです。
ドレミは移動ド読みだけに使用可能であることを断固として主張しなくてはなりません。

このようなねじれピアノ教育は例えてみれば、日本人の少女が、アラビアで話すようなものです。アラビア語の意味もわからずにただカタカナ書きしたアラビア語を一生懸命練習しているようなものです。
正しいピアノ教育とは、日本語で意味を理解してきちんと話す方法を教えることです。

イコール式の教育法はこのようなねじれピアノ教育の弊害を軽減することができます。
『イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集』は全曲をハ長調とイ短調に移調しました。ハ長調とイ短調だけが相対音感にも絶対音感にも適応できる調です。この調で全曲を練習することによって真の読譜力を伸ばすことができます。
音楽の意味を理解できるのは相対音感、つまり移動ドです。絶対音感は音の高さを理解するだけで、音楽の意味は理解できません。これがわかるとイコール式で学ぶことによって真の音楽力がつくことも理解できるのです。