今回は一応音楽専門家と言われる人のブログから《平均律クラヴィーア曲集》に関する記述をご紹介し、それに対する私の意見を書いていきます。
*印は私の意見です。

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<1> J.S.バッハ作曲の平均律クラヴィーア曲集は1巻と2巻があり、それぞれ24曲、音楽の基本である24調の調性から作られています。
音楽にはハ長調やト短調など、様々な調性があり、それぞれ色彩や性格があります。

*この専門家の言うことが本当なのかという問題を考えるには、まず12等分平均律で弾く場合と非平均律で弾く場合とに分けて考えねばなりません。私達が日頃弾いているピアノは12等分平均律です。12等分平均律で弾く場合は、ただ高さのみによって識別される12の調性はすべて同一の音程で構成されます。つまりどの調も音程構成は同じになります。主音のピッチの違いによって調性の違いだと勘違いしているに過ぎません。
このことは《平均律クラヴィーア曲集》を例に考えると一層はっきりします。《平均律クラヴィーア曲集》はイオニア旋法(ド旋法=ハ長調)と、エオリア旋法(ラ旋法=イ短調)というの2つの旋法を近代長短調に完成させたものです。二つの旋法の12の異なる音階開始音を網羅しているので、12×2=24の調が存在するかのように誤解され易いのです。《平均律クラヴィーア曲集》における24の調とは、異なる音階開始音をもつ2つの調を便宜的に調性と呼んでいるに過ぎません。いくら12の音階開始音をそれぞれ異なる調性であるかのごとく呼んでみたところで、12等分平均律においてはどの調も同じ音階構造ですから、結局、長調と短調という2つの調性しか存在しないのです。12等分平均律における調性の正体とはただ音階開始音の高さの違いを示すだけです。調による色彩や性格の違いは音高に起因するものではなく、調ごとに異なる音階構造の相違に起因するものです。したがって《平均律クラヴィーア曲集》には長調と短調の二種の音階構造が存在し、二つの色彩と性格が存在します。ある専門家が言うように「様々な調性があり、それぞれ色彩や性格があります」というようなことは12等分平均律においてはあり得ない話です。《平均律クラヴィーア曲集》に24種の調があるからといって、決してそこに24種もの色彩と性格があると考えてはならないのです。

次に非平均律で弾く場合を考えます。非平均律には無数の調律法が存在し得ます。調ごとの違いが大きな調律法も、非常に小さい調律法も無数にあります。バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において24すべての調が演奏可能になる調律法を独自に考案しました。バッハの作品のほとんどが♯♭3個以下で作られていますので、これらの作品は中全音律でも演奏可能でした。現代のピアノでは演奏不可能な調があるということは考えられませんが、バッハの時代は遠隔調の演奏は不可能で、作曲もされませんでした。ところがバッハは《平均律クラヴィーア曲集》において24すべての調を網羅するという野望を抱きました。一気に♯♭が6〜7個の調まで増えましたので中全音律ではとうてい演奏不可能です。そこでバッハは24すべての調が演奏できる調律法を考え出さねばなりませんでした。バッハ独自の調律法については様々な議論があり、ここでは詳しく述べることはできませんが、いずれも断定することはできません。ただ確実に言えることは、24すべての調の使用に堪え得る調律法は、概ね調ごとの違いが非常に少ないか、或いはほとんど無いものに限られてくるということです。調ごとの違いが大きい調律法では、必ず使えない調ができてしまうからです。従って非平均律で弾く場合も調ごとの色彩や性格の違いは極小であると言えます。
結局、非平均律で弾く場合も、12等分平均律で弾く場合も大差無いということになります。

ここで再度<1>の文章を読んでみると不適切な表現に気付くことになります。
<1> J.S.バッハ作曲の平均律クラヴィーア曲集は1巻と2巻があり、それぞれ24曲、音楽の基本である24調の調性から作られています。
音楽にはハ長調やト短調など、様々な調性があり、それぞれ色彩や性格があります。

<1>の文章をより適切に私流に表現すれば、「J.S.バッハ作曲の平均律クラヴィーア曲集は1巻と2巻があり、それぞれ24曲、音楽の基本である長調と短調から作られています。音階開始音ごとにハ長調やト短調など、様々な調性がありますが、12等分平均律で弾く場合、色彩や性格は2種類しかありません」となります。

 


<2>例えば、変ホ長調は壮大で朗々とした響きがして英雄的な性格があります。ベートーヴェンの「英雄」交響曲やピアノ協奏曲「皇帝」、ホルストの『惑星』より「木星」などは変ホ長調ですね。

*調性各論の代表者マッテゾン(Mattheson 1681〜1764)による『各調の性質とアフェクト表現上の作用について』の中から「変ホ長調」を調べると、「非常に悲愴、それ自体非常に悲愴であり、深刻以外の何ものでもない・・・・・」と述べており、英雄的ではありません。

シューバルト(Schubart 1739〜91)は『音楽美学の理念』において「変ホ長調は愛、敬虔、神とのくつろいだ対話。3つのフラットをもって三位一体を表す」と述べました。

変ホ長調の性格についての論評は、ハイニヒェン(Heinichen 1683〜1729)に言わせると「美しい調性」であり、
クラーマー(Cramer 1752〜1807)にとっては「どこか描写し難い優しさ」であり、
シリング(Shiling 1805〜80)にとっては「荘重で、真剣」であり、
シュテファニー(Stephani 1877〜1960)にとっては「高潔、変ロ長調を一層英雄的に高めた調」であり、
ミース(Mies 1880〜1976)にとっては「非常に悲愴的」であり、
ベック(Beckh 1929〜80)にとっては「強い調性、闘う英雄の調性」とさまざまな性格が述べられています。
各論者の意見がまちまちでかなり恣意的と言わざるを得ません。
上記の調性格論者の中で変ホ長調が「英雄的」であると述べたのはシュテファニーとベックの2人だけです。しかしこの2人はいずれもベートーヴェンの没後ずっと後に生まれた論者ですから、ベートーヴェン自身は「変ホ長調が英雄的」だという調性格話を全く聞かなかったはずです。ベートーヴェンの変ホ長調のすべてではなく、いくつかの作品がたまたま英雄的だったので後の調性格論者がそのように思い込んだのでしょう。ホルストについても同様のことが言えます。ベートーヴェン以外の作曲家において、変ホ長調が英雄的だという話はほとんどありません。またベートーヴェン作品ですら、ピアノソナタop.81a「告別」などは全く「英雄的」ではありません。

 ではここで本論であるバッハの《平均律クラヴィーア曲集》における変ホ長調が「英雄的」であるかどうか検証してみましょう?
《平均律クラヴィーア曲集》 第1巻の変ホ長調プレリュードは流れるような美しいパッセージのあと厳格な2重フーガが続く大規模な曲です。フーガは愛らしく軽い曲想です。どうみても英雄的な要素は見当たりません。
《平均律クラヴィーア曲集》 第2巻の変ホ長調プレリュードはやわらかく流れるような曲想で無邪気さと可憐さを伴うクラヴィーア曲です。フーガは静観的なコラールフーガです。これも全く「英雄的」ではありません。

しかも2巻の方のフーガは全く異なる調性の「ニ長調」で書かれた早期バージョンが存在します。(ベーレンライター版《平均律クラヴィーア曲集》 P.354 参照)。24の調性を網羅するという目的で移調を試みて編集作業を行ったバッハにとっては、このフーガが変ホ長調でもニ長調でもかまわなかったのでしょう。

ついでにバッハとベートーヴェンの間に位置するモーツァルトの変ホ長調はどうでしょうか。
モーツァルトの作品分析で有名なリューティ(Luthy)はモーツァルトの「変ホ長調」について次のように述べました。
「深い情感をもつ調性。深い愛情ばかりでなく、悩みをもたらす愛の苦悩をも表現し、木陰の場面、墓の場面などでも現れる」
やはりモーツァルトの「変ホ長調」も全く「英雄的」ではありません。
結論として、ベートーヴェンやホルストのごく一部の作品において、たまたま変ホ長調が「英雄的」であることをもって、変ホ長調の音楽がすべて「英雄的」であるかのような言い方は問題があります。

 


<3>バッハには「インベンション」という子供向けの平均律クラヴーィーア曲集のような作品集があります。これを子供の頃に、いろいろな調性に移調して弾くトレーニングを行いました。例えば、ハ長調の曲を、その場でト長調で弾いたり、ヘ長調で弾いたりするわけです。
そのとき感じたのは、同じハ長調の曲でも、ホ長調で弾くと、響きも性格も違って聴こえるということです。
トレーニングの一環で行ったことだったのですが、やはり、バッハがもともと書いてあった調性が一番しっくりくるということがよく分かりました。

*ここで最初に確認しておきたいことは、子供のころに弾いたピアノは12等分平均律であったということです。12等分平均律においてハ長調の曲をト長調やヘ長調に移調して弾いて、「響きも性格も違って聴こえる」というのは根拠がありません。ハ長調もト長調もヘ長調も和音はすべて同じ音程構成ですから響きも性格もすべて同じです。単に音高の違いがあるのみです。音高の違いをもって「響きも性格も違って聞こえる」と思い込んでいるだけです。もしシューベルトの歌曲を「高声用」の楽譜から「中声用」の楽譜に変えて演奏したら、響きも性格の違って聞こえますか?音高が違うだけで、シューベルトの歌曲の響きも性格も変わらないでしょう。この音楽専門家においては根拠の無い思い込みが重なった結果、「やはり、バッハがもともと書いてあった調性が一番しっくりくる」という思い込みが形成されたのでしょう。

 




<4>面倒くさがりやの私は子供の頃、「なんでこんなに♯や♭がいっぱいついてて、楽譜が読みにくいな。ぜんぶハ長調かイ短調にしてくれればいいのに」と思っていたのですが、ちゃんと#や♭がついている意味があったのです。
 *もし「♯や♭がいっぱいついていることに意味があった」と言うならば、自分のピアノを不等分音律に調律変えしてから言うべきでしょう。12等分音律のピアノで弾いていながら、このように言うのはいかに音を聞いていないかの証拠であります。もし、中全音律のピアノで弾けば♯や♭がいっぱいついた調とそうでない調との響きや性格の違いがよくわかります。しかし12等分平均律のピアノでは、♯や♭がいっぱいついても、つかなくても同じです。
12等分平均律では、♯や♭がいっぱいついた調とそうでない調との「響きや性格」の違いはありません。
結論として「なんでこんなに♯や♭がいっぱいついてて、楽譜が読みにくいな。ぜんぶハ長調かイ短調にしてくれればいいのに」と思った子供の頃の素直な直感を持ち続けるべきでした。大人になって旧態依然とした音楽教育を受けたために、子供の時の素直な気持ちを否定してしまったのですがイコール式音楽教育は
これを否定しません。イコール式音楽研究所はバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を全曲ハ長調とイ短調に移調して出版しました。『イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集』は世界で初めての試みです。