「バッハは旧約聖書、ベートーヴェンは新約聖書」という有名な格言があります。これはバッハとベートーヴェンが特に重要だということを聖書にたとえて表したものです。
このたとえが本当に適当かどうか考察しますが、その前に基礎知識を確認しておきます。
バッハ(Bach 1685〜1750)はバロック後期、ベートーヴェン(Beethoven 1770〜1827)は古典派、共にドイツの作曲家です。
「旧約聖書」は天地創造に始まる歴史書であり、救世主イエスご降誕の予言などが書かれています。
一方、「新約聖書」はイエスの生涯と十字架の贖い、旧約の戒律を否定する愛の教えが書かれています。


これをバッハ=旧約聖書、ベートーヴェン=新約聖書という格言に従って解釈します。
するとバッハは天地創造ということになります。バッハが何も無い混沌から音楽を創造したのですか?否、バッハの前に沢山の立派な音楽家がいました。

6世紀にボエティウス(Boethius 480頃〜524)が四学科という有名な分類概念を導入し、ムシカ(音楽)もその中の一つでした。グレゴリウス1世(Gregorius機540頃〜604)は典礼聖歌を収集校訂し、後にグレゴリオ聖歌と呼ばれるものの基礎を作りました。
中世においてはレオニヌス(Loeniuns)が《大オルガヌム曲集》を書き、理論書『アルス・ノヴァ』を書いたヴィトリ(Vitry)も多くのモテトやロンドーの多声音楽を書きました。、
14世紀になるとマショー(Machaut) が《ノートルダム・ミサ曲》を書き、ランディーニ(Landini)、ダンスタンブル(Dunatable)も活躍しました。
15世紀になるとデュファイ(Dufay)などが大規模な4声ミサ曲を書き、ティンクトーリス(Tinctoris)は音楽史における最古の辞書『音楽用語定義集』を書きました。この頃にはオケヘム(Ochkeghem)、ビュノア(Busnois)、ジョスカン・デプレ(Josquin Desprez)、イザーク(Isaac)など多くの作曲家が活躍しました。
16世紀になるとプロテスタントのカントルの模範となったヴァルター(Walter)が現れます。カベゾン(Cabezon)、ラッソ(Lasso)、パレストリーナ(Palestrina)などが沢山の曲を書きました。
17世紀になるとスウェーリンク(Sweelinck)、モンテヴェルディ(Monteverdi)、フローベルガー(Froberger)、リュリ(Lully)、ブクステフーデ(Buxtehude)、パーセル(Purcell)、コレリ(Corelli)、ラモー(Rameau)などバロックの作曲家が次々に出てきます。

ここにいたって、やっとバッハが登場します。バッハは1685年に生まれ、1750年に没しました。
バッハは決して無から音楽を天地創造したのではありません。バッハはそれまでの音楽を集大成しかつ完成したのです。従って「バッハは旧約聖書」という格言は大きな間違いです。

さらにバッハ=旧約聖書、ベートーヴェン=新約聖書という格言に従って解釈していきます。旧約には救世主イエスの降誕の予言があります。さすれば旧約聖書=バッハは救世主イエスの降誕を予言したことになります。予言通りに降誕したのが新約=ベートーヴェンですか?
バッハはそれまでの音楽の相続者であり、完成者です。バッハは音楽理論上未完成なものは何一つ無く、未来の救世主を予言してもいません。バッハは何が悲しくて救世主の降誕を待ち望まなくてはならないのですか?バッハは最初にして最後の作曲家であり、音楽の救世主は他ならぬバッハ自身であります。

さらに続けてバッハ=旧約聖書、ベートーヴェン=新約聖書という格言に従って解釈します。イエスは旧約の教えを否定して、新しい愛の教えを唱えました。さすれば新約=ベートーヴェンが旧約=バッハを否定して新しい愛の教えを唱えたことになります。これは全く逆の話です。ベートーヴェンはバッハを否定するどころか、バッハを救世主イエスの如く崇めたのです。新約が旧約を崇めたという逆の話になってしまいます。ベートーヴェンに限らずバッハ以降すべての作曲家はバッハを崇め、何人もバッハを凌駕しえないのです。

ここで後世の作曲家によるバッハ頌の中から幾つかを紹介しましょう。
ベートーヴェン(Beethoven 1770〜1827)は「音の組み合わせと和声とのあの無限の、汲み尽くしがたい豊かさのゆえに、彼は小川ではなくして大海と称すべきだ」と語りました。

メンデルスゾーン(Mendelssohn 1809〜47)はバッハが人々から忘れられ、ヘンデルの方がもてはやされていた時代にあってバッハを実際に演奏することによって讃え再評価した作曲家です。彼が音楽祭の委員に当てた手紙には「この音楽祭にあたって、もう一人の不滅な巨匠。いかなる曲においてもヘンデルに劣ることなく、多くの曲ですべての者の上に立つこの巨匠を、いまやこれ以上忘れていてはならないときなのです」と書きました。

シューマン(Schumann 1810〜56)は「ただ一人の人間からだけは、万人によって常に新たに汲み取られねばなるまい、ヨーハン・ゼバスティアン・バッハからは!」と書き、バッハ協会の設立を働きかけました。彼の功績によってバッハ全集の刊行が始まりました。

ヴァーグナー(Wagner 1813〜83)は「ドイツ精神の驚くべき特性と力とその意味とを、比類なく雄弁な姿のうちに捉えようと欲するなら、音楽における奇蹟たるゼバスティアン・バッハの、謎という以外にほとんど説明しがたい現象に鋭く細心な目を向けるがいい」と述べました。

ドビュッシー(Dubussy 1862〜1912)は「好意にあふれた神バッハの業績に私たちが目を向けるなら、つい昨日書かれたように思われる箇所をいたるところに見出せるそのはかりしれぬ数の作品、うつり気なアラベスクからあの宗教的な表明にいたるまで、今日なお凌駕するもののないその作品に、趣味のひとつのあやまりも探すだけ無駄であろう」と書きました。 

[以上  『バッハ頌』 角倉一朗・渡辺健 編 白水社  より抜粋]

幾多の作曲家が讃えているように、バッハは救世主イエスのように現在も讃えられています。最後にバッハ頌として私が最も好きな言葉を紹介させていただきます。
シュニトケ(1934〜98)の言葉です。
 「あまねく世界に神は存在し、あまねく音楽にバッハは存在する」

「バッハは旧約聖書、ベートーヴェンは新約聖書」という格言は余りに有名で、誰もが鵜呑みにしていますが、ちょっと冷静に考えると理屈に合わないことがわかります。
この格言を最初に言ったとされるビューロー(Bulow 1830〜94)はドイツの指揮者・ピアノ奏者です。彼はヴァーグナーを支持し、同じくヴァーグナーに共感するリストの娘コジマと結婚しました。ところが、コジマはヴァーグナーと深い仲になり、ダブル不倫の状態でイゾルデを生みました。2人は後に再婚し。ビューローとヴァグーナーは当然ながら不仲になりました。ビューローはヴァーグナーに敵対するブラームス派に転向します。
ビューローの格言が「バッハは旧約聖書、ヴァーグナーは新約聖書」だったら面白いですね。

ビューローの時代はメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の蘇演などによって、バッハの作品が少しずつ世に認められてきた時です。シューマンの呼びかけによってバッハ協会が設立され、バッハ全集が刊行され始めます。バッハ全集が完結するのは1900年ですから、ヴァーグナーもビューローもバッハ全集の完成を見ずに天国に行ったことになります。このような時代にビューローが言った「バッハは旧約聖書、ベートーヴェンは新約聖書」という言葉は、まだバッハに対する理解が浅かった時代を感じさせます。まさにロマン派の匂いがする格言です。一方、ビューローが最も情熱を傾けて演奏したのがベートーヴェンであったことなど、ビューローのベートーヴェン贔屓から出た言葉でしょう。ロマン派の時代であったればこそ、このような間違った格言も同時代の人々に受け入れられたのでありましょう。しかし、ロマン派が終わった現在も、音楽学校でこの格言を教えています。だから現在のアカデミズムは古色蒼然と言わざるを得ません。無益なアカデミズムを棄て、自分自身の判断力を持つことが大切です。

結論として、バッハは旧約聖書に非ず、バッハは新約聖書なり。
この格言は「グレゴリオ聖歌は旧約聖書、バッハは新約聖書」と変えればよいでしょう。