教会旋法の種類は本来いくつでしょうか?
正解は8旋法です。8つの教会旋法が、たった一つの♭「変ロ」の出現によって12旋法になり、それがやがて近代長短調に移行する過程を簡単に述べてみたいと思います。

西洋の中世・ルネッサンスで用いられた旋法、いわゆる教会旋法とは、ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディアの4旋法と、それぞれの変格旋法を加えて4×2の8旋法です。
『ティンクトリスの旋法理論』(1476年)の段階では未だエオリア旋法とイオニア旋法は誕生していません。
エオリア旋法とイオニア旋法はグラレアヌスの『ドデカコルドン』(1547年)以降、正式に認められたものです。

教会旋法はもともと変化記号が全くつかないハ均(0均)が一般的でした。
「転旋均を見抜くというのは、すべてをハ均中心に考えがちであった当時の人々にとって、かなり難しいことであったと考えるべきだろうと思います。」と 東川清一著 『旋法論』 P.117 にあるように、簡単に言えば旋法はハ長調オンリーの世界でした。

東川先生の言われる「ハ均」とは現代の調号と考えればわかりやすいでしょう。
8旋法はすべてハ均で書き表わしました。が、しかし近代ハ長調の音階は一つもありません。

ご存知のように、ハ長調の音階は半音が3-4、7-8 の間にあります。
しかし、ドリア旋法は半音が2-3、6-7 の間、フリギア旋法は1-2、5-6 の間、リディア旋法は4-5、7-8 の間、ミクソリディア旋法は3-4、6-7 の間にあります。

ためしにバッハ《平均律クラヴィーア曲集》から第2巻2番ハ短調フーガのテーマを弾いてみてください。
このフーガは第1音〜第5音まで5つの音だけでテーマができていますので弾きやすいのです。
テーマは Gー♭EーFaーGーCーFaー♭EーDー♭E ハ短調です。 
  
ハ短調を弾く時は1の指を「ド」に置きましたね。
1の指をレに置いてレミファソラの5音でテーマを弾くとドリア旋法になります。これはニ短調と同じです。
次に一音上げてミに1の指を置いて白鍵盤だけで弾くとフリギア旋法になります。
1の指をファに置くとリディア旋法、ソに置くとミクソリディア旋法になります。
いささか無謀な実験ではありますが、旋法間の違いの大きさを体験できたのではないでしょうか。

やがて16世紀になるとドリア旋法が変ロを伴った形でも用いられるようになりました。
この「変ロ」こそが近代長短調への道を開くカギになったのです。
ドリア旋法の場合、ハ均での臨時記号の♭なら東川先生の言われるハ均ニ調レ旋法になります。
聞きなれない言葉ですが、均とは調号、調とは終止音、旋法とは階名音階と考えれば簡単です。
ハ均ニ調レ旋法をわかりやすく翻訳すれば調号なし、終止音ニ、階名レ〜レの音階という意味です。これは正真正銘のドリア旋法です。

ところが同じドリア旋法でも、♭を調号と楽譜の頭につけてしまえば、その変ロは「ファ」と読まれることから、実質的には1♭均ニ調ラ旋法に変わります。わかりやすく翻訳すれば調号♭1つ、終止音ニ、階名ラ〜ラの音階ということになります。
これはニ短調になります。
これこそが、正式には認められてなかったラ旋法(短旋法)の始まりなのです。

またリディア旋法に、♭を調号としてつければ、その変ロは「ファ」と読まれることから、実質的には1♭均ヘ調ド旋法に変わります。わかりやすく翻訳すれば調号♭1つ、終止音ヘ、階名ド〜ドの音階ということになります。つまりヘ長調です。
これこそが、正式には認められてなかったド旋法(長旋法)の始まりなのです。

これを考えた音楽理論家グラレアヌス(Henricus Glareanus 1488〜1563)は『ドデカコルドン』(1547年)において歴史上はじめて、ラ旋法をエオリア旋法、ド旋法をイオニア旋法と呼びました。
彼は従来の8旋法にエオリア旋法、イオニア旋法とそれぞれの変格旋法を加えて12旋法を組織したのです。

やがて17世紀に入ると12旋法のうち、ラ旋法=エオリア旋法 と ド旋法=イオニア旋法だけが主に用いられるようになりました。
旋法の数が8→12→2と大きく変化し、旋法数の激減を補うかのように調(終止音)の数が増えました。


バッハは2つの旋法、すなわちイオニア旋法とエオリア旋法の2つだけを使って有名な《平均律クラヴィーア曲集》を作曲しました。
イオニア旋法=長調、エオリア旋法=短調をそれぞれ12の調(終止音)の上で網羅したのが《平均律クラヴィーア曲集》といえます。
《平均律クラヴィーア曲集》には12の長調と12の短調が網羅されていますが、旋法の数はあくまで2つです。
ラ旋法→エオリア旋法→短旋法→近代短調 と ド旋法→イオニア旋法→長旋法→近代長調 という変遷を確立し近代和声への道を拓いたのがバッハです。バッハの存在の大きさはここにあるのです。

バッハの綴り B-A-C-H をテーマにした曲をバッハ自身や、バッハ以降の作曲家が作りましたが、これには深い意味がこめられているのです。
BACHの綴りの中のBは「変ロ」を表しています。「変ロ」と「ロ」のうつろいが旋法から近代長短調へ移行を象徴的に顕わしているかのようです。なんという神秘的な半音階なのでしょうか。

前述のとおり旋法は本来変化記号がありませんでした。
そして調とは終止音のことであり、それは歌手の声域次第で自由に選ばれたのです。
したがって一つの楽曲が決まった終止音でなければならないとは誰も考えませんでした。
同一旋法内であれば終止音は自由に取り扱えました。
つまりイオニア旋法(長調)の範囲内であれば、終止音が「ハ」「嬰ハ」「ニ」 ・・・・・・と12種類ありました。
現代人は、終止音ごとにハ長調、嬰ハ長調、ニ長調・・・・とそれぞれ違う調であるかのように勘違いしています。実はどの調もイオニア旋法(ハ長調)なのです。終止音でもって調の名前と勘違いしているのです。実はどの終止音も長調という一つの調です。

それが証拠にバッハ自身も《平均律クラヴィーア曲集》がこの終止音でなければならないとは考えていませんでした。
バッハは単にすべての終止音を網羅するという目的しかもっていなかったからです。
だからバッハは作曲の過程において、難しい調は簡単な調で作曲して、それを難しい調に移調して穴埋めしていったのです。詳しくは拙著『やわらかなバッハ』P.76に書きましたのでここでは省きます。
《平均律クラヴィーア曲集》を原調で弾くべきだという単純な理論に盲従してはなりません。
ピッチの変動、音律論、恣意的な調性格論、平均律クラヴィーア曲集の成立過程などを慎重に考察する必要があります。

平均律クラヴィーア曲集の真実がわかったら、わざわざ難しい調で弾くのはバカらしくなるでしょう。
まず全48曲をハ長調とイ短調に移調した イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集で弾くことによって、あなたの音楽力が飛躍的に向上するのです。
ハ均(調号0)の楽譜で読めば、旋法と長短調のうつろいも解り易いでしょう。
また、フーガの構造もはっきりと見えるでしょう。
まずハ均で全曲をマスターしましょう。その後に、移調して弾きましょう。
聞くところによると、実力派ピアニストは一つのフーガを全調に移調して弾くことができるそうであります。
私たち普通の方は、まずハ均で弾き、次にバッハが書いた原調に移調して弾くとよいでしょう。
世界初! 平均律クラヴィーア曲集の移調音楽の構造が良く解る