バッハ家とは16世紀から19世紀初頭にかけてドイツ中部テューリンゲン地方で代々音楽を職業にした家系です。一族の男子は事実上音楽家になるべく定められ、音楽の訓練は大抵身内で行われます。
バッハ家は単なる芸人から身を起こし、当時の音楽活動の全領域を凌駕します。すなわち宮廷の楽師や楽長、市立楽団の器楽奏者や指揮者、教会のオルガニストやカントルなどです。一族の男子は主要な地位を占め、あるバッハの後任には、また別のバッハが就くというのが通例でした。

しかし時代が下がり、我等のヨハン・ゼバスティアン・バッハの時代には社会の変化が音楽活動のどの領域にも影を落とし始めます。啓蒙思想が起こり人々は神の霊性を離れて合理性を尊重し始めます。旧来の権力構造である教会や王権による支配に屈せず、理性によって行動する市民が生まれます。こうした社会の変化を受けて、教会や宮廷の主導的立場が徐々に低下し、バッハ一族も自然に衰退していくのです。
バッハの息子の世代になると新たな教育の可能性も開け、孫の世代になると全く異なる職種に就く者も出てきます。
直系の孫でヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ(1759〜1845)は国王フリードリヒ2世の宮廷楽長になりますが、1843年にバッハ記念碑の除幕式が行われたとき、一族を代表する音楽家は彼一人だけになってしまいます。彼の死をもってバッハ一族の音楽は完全に幕を閉じます。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハはよく知られるように子沢山ですが、早世した子も沢山います。先妻のマリーア・バルバラは7人の子供を産み、バッハが35才の時に病死します。後妻のアンナ・マグダレーナは13人の子供を産みます。バッハは合計で20人もの子供を作りますが、生き長らえて音楽家になったのは以下の5人です。

\荳淵泪蝓璽◆Ε丱襯丱蕕梁2子 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1708〜84)
教会オルガニストや宮廷楽長を務めますが、晩年は放浪の旅を続け貧窮のうちに73才で没す。

同上の第5子 カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(1714〜88)
生前は父親よりも有名で兄弟の出世頭です。宮廷楽長などを務め、ハンブルクでテレマンの後継者となります。74才で没す。彼の息子は画家と弁護士になります。

F云紊梁茖胸辧.茱魯鵝Ε乾奪肇侫蝓璽函Ε戰襯鵐魯襯函Ε丱奪蓮1715〜39)
オルガニストになりますが24才で若死。

じ綺淵▲鵐福Ε泪哀瀬譟璽覆梁16子 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(1732〜95)
チェンバロ奏者、コンサートマスターなどを務め、63才で没す。彼の息子はバッハ一族最後の音楽家となります。

テ云紊梁18子 ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜82)
オペラ作曲家で国際的名声を得てモーツァルトとも親交を持ちます。ロンドンで活躍しヘンデルの後継者となります。47才で没す。

後妻のアンナ・マグダレーナはバッハの死後も10年間ほど生きます。
彼女が未亡人となったとき、音楽家としてひとり立ちしているのは先妻の息子2人と18才の息子で、他の子供たちはまだ助けが必要でした。
\荳覆猟構 カタリーナ・ドロアーテ42才、未婚
第9子 ゴットフリート・ハインリッヒ 26才、知的障害者
B18子 ヨハン・クリスティアン・バッハ  15才 後に音楽家
ぢ19子 ヨハナ・カロリーナ 13才
ヂ20子 レギーナ・スザナ 8才

未婚で42才の長女は一旦、長兄のヴィルヘルム・フリーデマンのところに身を寄せます。
知的障害のある26才の子は娘婿のアルトニコル氏に引き取られます。
15才の息子は異母兄のカール・フィリップ・エマニュエルに引き取られます。
遺された娘2人とアンナ・マグダレーナの生活は、たちまち窮状に陥ります。僅かな市当局の支給や大学の喜捨などに頼らざるを得ません。先妻の息子のカール・フィリップ・エマニュエルが娘たちに相当額の送金をしてくれますが、それはアンナ・マグダレーナが亡くなってからのことです。

バッハの遺産は妻が3分の1、残りは兄弟たちに均等分配されます。楽器や作品もバラバラに分配されます。作品の楽譜は売却され、すべての音楽遺産を完全な形で後世に残さないままバッハ家は解体してしまうのです。

一方バッハの精神的な遺産は子孫に継承されたのでしょうか。
バッハは音楽理論書や音楽評論を一切残しませんでしたが、書き残したものが一つだけあります。それは「音楽の起源」というバッハ一族の歴史と音楽遺産を体系的に調査したもので、世間に公表するものではありません。日本流に言えば、バッハの先祖を供養する感謝の心が、バッハ一族の先祖の歴史を熱心に調査させたのです。このような作業を通してバッハは多くの先祖たちから深い魂の繋がりと加護を得ることができたのでしょう。バッハが他の誰も凌駕し得ない音楽を書くことができた秘密はここにあるのです。バッハは一族の音楽魂のすべてを一身に受けたのでしょう。同時代の音楽家が音楽理論書や評論を熱心に書いて名声を求めたのに反して、バッハは先祖の霊との結び、ひいては神との結びを熱心に求めたのです。そのため霊性に反する科学的合理主義には背を向けます。一般にバッハがキリスト教ルター派の信仰を持っていたと信じられていますが、バッハの真の信仰は神秘主義といえるでしょう。神の霊、先祖の霊、人間の霊という「縦の世界との結び」から生まれた音楽は永遠です。神の無限の生命力と喜びに溢れています。バッハはこのような永遠の命への憧れを「死への憧れ」と表現しています。

先妻の長男のヴィルヘルム・フリーデマンは、バッハの血を最もよく受け継ぎ、最も才能豊かでしたが、その才能を十分に開花させることができないまま人生の後半を不本意な生活に甘んじます。啓蒙思想がフランス革命へと突き進む激動の時代に生きて、父バッハが主張した「神の霊性」の音楽と、新しい時代の「神との断絶」の音楽との狭間で悩み苦しむ魂とも言えるでしょう。父のごとき断固とした自主性を主張できず、時代の激流に翻弄されて貧困のうちに生涯を閉じます。

同じく先妻の息子のカール・フィリップ・エマニュエルは父バッハへの尊敬を内外に表明するものの、彼自身は平凡な才能の持ち主です。彼は『正しいクラヴィーア奏法』を上梓するなどヨーロッパの音楽評論家としての成功をおさめます。作品も旋律の美しさや親しみ易さを尊重する新しい時代の音楽なので、うまく時代の流れに乗って名声を博しますが、父の音楽とは格が違いすぎるのです。彼は父の時代に最も大きな名声を得ていたところのテレマンの後継者となり、父の代わりに世俗的な成功を手中におさめます。しかしそれは父バッハの精神を継承するものではないのです。ともあれ彼は、父の死後、異母弟のヨハン・クリスティアンを引き取って音楽家に育て上げ、異母妹に送金するほどの財力を得ます。

カール・フィリップ・エマニュエルが引き取って育てた異母弟も同じような生き方を選びます。彼はオペラ作曲家となり、いわば時代に迎合して国際的な名声を博します。モーツァルトとも交わり、ロンドンでヘンデルの後継者となります。しかし彼もまた、父バッハの精神を理解せず継承しなかったのです。

バッハの音楽の精神は血を分けた息子によってさえ継承されませんでした。バッハは急速に忘れられ、人間の自由と個性を尊重する音楽の時代になります。神との結びを断絶し、神に代わって人間の意思や感情を主張する音楽が時代をリードしていきます。常に新しいものを求める精神は音楽の形式を否定し、調性を否定し、旋律を否定し、従来の奏法を否定し、ついには楽音を否定し、もはや音楽とは認識できないものにまで進みます。現代は音楽の終焉です。現代音楽は没落の血の叫びと化し、狂気と正気の境界です。バッハは泣いています。今私たちに残された道はバッハの霊性、神の霊性を取り戻すことしかないのです。神の霊性の復活こそが、現代人の魂を救う道なのです。バッハの霊性に帰るとき音楽は永遠の平安と喜びに満たされます。バッハの音楽の波動は秩序と中心帰一の宇宙の法則に他なりません。私たちの魂はバッハの音楽によって健全な完全調和へと調律されるのです。