バッハは平均律クラヴィーア曲集(以下、頭文字をとってWTCと表記)において、速度記号はかなかった。厳密に言えば、バッハが書いた幾つかの速度標語(第1巻24番ロ短調フーガの Largo 等)があるが、WTC全体に占める割合は極僅かであり、ほとんどの曲にテンポ表示がない。
それではWTCをどのくらいの速さで演奏すればよいのだろうか。

先人たちに敬意を表する意味で、大家の意見を一通り見渡してみよう。
比較する曲はWTCの中からあえて2声の曲を選ぶ。
前回「バッハの新しい学習順序」でも触れたが、WTCのプレリュードの中にはインヴェンションやシンフォニより簡単に弾ける曲が多数存在する。そのような曲の一つで2声の WTC第2巻20番のイ短調プレリュードを選びぶ。イ短調プレリュードは半音階を駆使したインヴェンションで、たった2声で書かれているが、WTCの中の傑作と言われている。

まず解釈版で比較すると、ほとんどの校訂者が Andante あるいは ♩ = 50〜60のテンポを指示している。
いささか少数派と思われる校訂者はムジェリーニで ♩ = 63、♩ = 46 は園田高弘とチェルニーである。極端なのはケラー で♩ = 33 である。

次にCDで比較してみよう。
高木幸三著《バッハ平均律クラヴィーア曲集2》の巻末、「演奏家別テンポ一覧表」によると、
リヒテル、グルダ、グールド、レオンハルト、コープマン等、多くのピアニストが解釈版と同じく50〜60のテンポで演奏している。フィッシャーが心もち速くて63、ランドフスカ、ギーゼキング、シフ等は40〜50のゆったりしたテンポである。
テンポ一覧表には載っていないが、ザラフィアンツの ♩ = 31を 極端な例としてあげておく。

以上見てきたように、解釈版とCDでテンポを比較する限り、♩ =50~60 が多数派と言えそうだ。
この結果を見て、自分も多数派に準じるとか、誰それと同テンポで弾きたいなどと、安易に決めてよいものだろうか。

なぜならパウル・バドゥーラ=スコダ曰く・・・・常識は幾つかの規則としてまとめられ、世界中の音楽学校で「標準の作法」として教えられています。しかし、このように普遍化された奏法がバロックの伝統に合致する保証は全くないばかりか、多くの奏法は粗雑な単純化がもたらした「思い込み」にすぎないのです。・・・・・

更にアーノンクール曰く・・・・・もはやすべてを定められたものとして受け入れることはない。不遜や誤解に満ちた伝統によって築かれた解釈の不確実性は、関心を抱くものの探求によって揺らいでいる・・・・
などの意見も傾聴に値するからである。

先人たちの意見を無批判に受け入れる時代は終わった。バッハが明記していない以上、誰が正しいとは誰も言えない。

バッハの時代、イタリア語の速度標語は、今日使われるような意味ではなかった。速度の直接的な表示というよりは、曲の気分とか感情を表すものであった。Allegro は「楽しい」、Grave は「厳粛に」といった具合である。イタリア語の速度標語は1600年頃に現れ始めるが、一般に使用されるのは18世紀末、つまりバッハの死後である。

バッハ没後わずか2年の1752年にクヴァンツが「フルート奏法」を出版した。クヴァンツは、1分間に80回の脈拍を持つ人間の心拍数を基準にする方式を提案した。4分音符ごとに1脈拍をAllegretto、8分音符ごとに1脈拍をAdagioといった決め方である。

バッハの没後100年を経て メトロノームが発明される。バッハの時代のテンポ表示は相対的だった。脈拍は1分間に60から80くらいの個人差があるので、実際のテンポは相対的にならざるを得ない。クヴァンツもC・P・E・バッハもこぞってイタリア語の速度標語はテンポ指示というよりは、むしろ作品の性格を確定する手がかりであるとしている。

キルンベルガーは「純正作曲の技法」の中で、そもそもテンポとは情動や激情の動き=Bewegung がテンポという意味も持つことから生じたと述べている。情動や激情は、独創性や主観が尊ばれ、個性を主張する「新しい音楽」の台頭とともにその動きが活発になったものである。「新しい音楽」がもてはやされる時代にあってバッハは過去の方を向いていた唯一の作曲家であった。従ってバッハのWTCには「新しい音楽」にあるような情動や激情は存在しない。WTCに人間的な悲しみも苦しみも存在しない。人間界のすべての現象を超越して宇宙に鳴り響く神秘の世界である。WTCは言葉や文字で現せない宇宙の法則の波動である。創造主のコトバの波動が鳴り響く世界である。そこには人間界とは異なる時間の世界であって、テンポ表示などもとより無意味である。

今日、バッハのWTCが極端に速いテンポで演奏されるようになったのは、ヴィルトゥオーソたちの名誉心のためである。また嘆かわしいコンクールの競争心のためである。そして何よりも平均律の鍵盤楽器の罪である。すべての音程を等しく狂わせて調律する平均律のピアノは、和音が不純である。だからピアニストは不純な和音をぼかすために、ペダルを多用するしか、猛スピードで駆け抜けるようになった。その結果としてバッハ演奏も速いテンポになってしまったと考えられる。

結論としていえることは、バッハのテンを各自の基準で決めるべきということである。特に学習者はテクニックに応じてゆっくり弾くべきである。十分なテクニックを持つ人もフーガの良い演奏をしようとすればするほど、ますますゆっくり弾くことになるだろう。

自分自身の基準を持つために大いに参考とすべきユニークなピアニストは、前ブログで紹介したエフゲニー・ザラフィアンツである。彼はWTCの中のプレリュードのみを収録した衝撃のCDを発売した。フーガのないことに驚くばかりか、常識を逸したスローテンポに更なる驚きを隠せない。
彼はイ短調プレリュードを♩ = 31というテンポで演奏している。これほど遅いイ短調プレリュードはかつて聴いたことが無い。ザラフィアンツの31と他の多くのピアニストとは倍半分のテンポの違いがある。

極端に遅く演奏してもバッハがバッハたりえる事実に驚愕の他はない。超スローテンポでもバッハは不思議にびくともしない。逆にスローテンポゆえに無限の時間を象徴しているかのようだ。現象の世界を超越した世界、宇宙に鳴り響く完全調和の世界、そこで人間の魂は空中遊歩する。深い静寂の中で平安を見出し、至福の時を得る。ザラフィアンツはいわゆる「標準の作法」というものから自由に解き放たれた稀有なピアニストである。

バッハ演奏のテンポは各自の「内面」から汲みだしてくるべきである。人それぞれに最も弾きやすいテンポというものがあるはずだ。「標準の作法」や「常識」から自由にならなければバッハの真髄を理解することはできない。聖書に「真理は汝を自由ならしめん」とあるがその通りである。