西洋音楽の源はグレゴリオ聖歌にあります。
グレゴリオ聖歌は楽譜が発明されるよりずっと昔から存在していました。楽譜が無い時代から世代を超えて長年伝えられてきました。口移しの記憶を頼りに歌い継がれてきました。
音楽そのもは楽譜に頼らずとも口承でも十分伝えられることをグレゴリオ聖歌が立派に証明していますね。

ビューローの有名な言葉に「バッハは旧約聖書、ベートーヴェンは新約聖書」という喩えがあります。
この発想は小学校の音楽室の壁に掲げてあった何人かの作曲家だけに依拠しているようです。彼らの前にも後にもたくさんの作曲家がいます。また楽譜が発明されて作曲家の名前が重要になってくる依然にも、音楽は鳴り響いていました。音楽史をもっと広い視野で考えるべきではないでしょうか。

私ならこう言います。
「グレゴリオ聖歌は旧約聖書、バッハは新約聖書」
グレゴリオ聖歌が西洋音楽音楽の起源ですから旧約聖書に匹敵します。そして、未だにバッハと並ぶ、或いはバッハを凌駕する作曲家は出現していないから新約聖書です。丁度新約聖書に変わる、あるいはそれを凌駕する聖書が出現していないように。

 私は「平均律クラヴィーア曲集」を研究した結果、バッハ自身が移調して曲集を編纂したことを知りました。
移調によって、音体系が変わり、全く異なる響きになることが予想されるなら、バッハが移調を試みることはなかったでしょう。バッハが移調することに問題なしと考えたから移調したのです。

バッハは《平均律クラヴィーア曲集》において理論上考えられるすべての24の調を網羅しました。
この野望に挑戦した時、バッハの頭の中にはどのような考えが去来したか。
それは24の調に対して、もはや異なる調性格を与えることはできない、もはや調性格は無いということではなかったでしょうか。

そもそも当時は12等分平均律ではなくミーントーンが主流でした。ミーントーンで使用できる調は♯♭3個ぐらいまでです。バッハの作品のほとんどがこの範囲の調に収まっており、バッハとて♯♭が6個も7個もつく調は作曲したことがありませんでした。従ってバッハがそのような慣れない調で最初から作曲したとは考えにくいでしょう。
例えば嬰ハ長調は先にハ長調で作曲してから、清書の段階で嬰ハ長調に移調するなど、多くの移調を試みて24の調を網羅したと考えられます。
その証拠は富田庸やデュル による自筆譜の研究から明らかになりました。それはバッハが移調する際に書き間違えて、それを訂正した痕跡が自筆譜に残っていることから元の調を推測できるからです。
推測に留まらず、実際に元のハ長調の初期稿が残っている曲も存在します。

 48のプレリュードとフーガを、すべてハ長調とイ短調に移調した
《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》
橋本絹代 編著 
カワイ出版


この楽譜で全曲を制覇して、平均律クラヴィーア曲集の真髄に触れてみましょう。

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バッハは真理なり。
真理よりつかわされたる天使なり。
真理より鳴り響く波動なり。
迷いを砕破する波動なり。

バッハは道なり
バッハにきくものは道にそむかず

バッハは命なり
バッハに汲むものは病まず死せず

バッハは救いなり
バッハに頼むものはことごとくこれを摂取して実相の国土に住せしむ

天使かくの如く説き給えば
我また重ねて問う

「師よ、バッハの音楽の本質を明らかになし給え」
天の使い答えたまわく

バッハは調号に非ず、調性に非ず、調性格に非ず、固定ド読みに非ず、ピッチに非ず、絶対音感に非ず、テンポに非ず、アゴーギグに非ず、ディナーミクに非ず、アーティキュレーションに非ず、アナリーゼに非ず、数象徴、人間感情に非ず、
それらすべてを組み合わせたるものにも非ず。

汝らよくバッハの実相を悟るべし、
バッハは霊なり、生命なり、不死なり。

神はバッハの源にして、バッハは神より出でたる響きなり。
響きの無き音源はなく、音源の無き響きはなし。
響きと音源とは一体なるが如く、バッハと神とは一体なり。

神は霊なるが故にバッハもまた霊なるなり。
神は愛なるが故にバッハもまた愛なるなり。
神は智恵なるが故にバッハもまた智恵なるなり。

霊は調の性に非ず、愛は調の性に非ず、智恵は調の性に非ず。
されば霊なる愛なる智恵なるバッハは調性に何ら関わるところなし。

(以上は谷口雅春先生の詩のパロディです)