例えばハ長調とニ長調は何が違うのでしょうか。
音階構造は同じです。主音のピッチが違います。

ピッチが違うだけで調が違うと錯覚してしまうのは絶対音感教育の罪です。

ピッチが違うだけで調が違うと錯覚する人は、調性格に対しても錯覚しています。

シューベルトの歌曲は高声用、中声用、低声用と3種類の異なる調で出版されていますが、どの調も同じ調性格であることは自明のことです。
従ってバッハのWTC (平均律クラヴィーア曲集)を何調で弾いても調性格は変わりません。

WTCを未だ全曲制覇できていない人がおられましたら、ハ長調とイ短調に移調した《イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集》カワイ出版 で全曲制覇に挑戦してみませんか。

以下は谷口雅春先生の著作より転用させていただきます。

汝ら感覚にてみとむる調性を実在となすことなかれ。
調性は音楽の実質に非ず、生命に非ず、真理に非ず、調性そのものには理論なく感覚なし。
調性はひっきょう『無』にしてそれ自身の性格あることなし。
これに性格を与うるものは『心』にほかならず、『心』に歓喜を思えば歓喜を生じ、『心』に苦悩を思えば苦悩を生ず。
そのさまあたかも映画のスクリーンに女王を映せば女王を生じ、囚人を映せば囚人を生ずれども、映画のフィルムそのものは無色透明にして本来女王も無く
囚人も無くただ無色透明のフィルムの上のおおえる印画液によりて生じたる色々のくもりが、或いは女王の姿を現じ、或いは囚人の姿を現ずるが如し。
されど歓喜する女王も、苦悩する囚人も印画液の作用によりて生じたる影にして実在に非ず。
汝らもし活動写真の映写機に印画液によりて生じたる色々のくもりなき無色透明のフィルムをかけてスクリーンにこれを映写すれば、やがて老いて死すべき女王もなく苦悩する囚人は無論なくただスクリーンにあるものは光明そのもの、生命そのものにしてかくしゃくとして照り輝かん。