今回は12等分平均律のピアノでバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を弾く場合の調に関する迷いの本質を明らかにします。

迷いはあらざるものをありと想像するが故に迷いなのです。
真相を知らざるを迷いと云います。
音楽の悲喜は本来、調のうちに在らざるに、調のうちに悲喜ありと考えて、或いはこれを追い求め、或いはこれより逃げ惑う、このような転倒妄想を迷いと云います。
音楽の生命は本来調の内に在らざるに、調のうちに音楽の生命ありとなす妄想を迷いと云います。
本来調は心の内にあります。
心は調の主にして、調の性質はことごとく心の創るところなるにもかかわらず、心をもって調に支配されるものと誤信し、調の変化に従って歓喜し憂苦し、音楽の生命の実相を悟ることを得ざるを迷いと云います。
迷いは音楽の生命の実相を悟らざるが故に非実在です。
迷いもし実在するものならば迷いより生じたる調もまた実在でしょう。
しかし調は実在の虚なるが故に、調性格もただ覚むべく妄想にして実在では無いのです。

今あなたがお弾きになっているピアノは12等分平均律だと思われます。ならば調による響きの違いはありません。どの調で弾いても高さが違うだけで、ドミソの和音を移調してもその響きは同じです。
もし全曲をハ長調とイ短調に移調した『イコール式バッハ平均律クラヴィーア曲集』  で弾いたとして、高さが違うだけで響きは同じです。

《平均律クラヴィーア曲集》は、遠隔調をよく使う調からの移調によって編集されました。移調したのはバッハ自身です。バッハの意図は理論上考えられるすべての調を網羅することであり、それは同時に調性格からの開放なのです。

例えば第2巻3番の嬰ハ長調をバッハは最初ハ長調で作曲し、それを半音上に移調して《平均律クラヴィーア曲集》の中に編集しました。当時のピッチは現在より約半音低かったので、バッハの耳に届いた嬰ハ長調は現在のハ長調の高さに匹敵します。
ならば嬰ハ長調は、現在のピアノではハ長調で弾いた方がピッチの上からは正しいとも云えるのです。
調性格の歴史、音律、ピッチなどについて詳しくお知りになりたい方は拙著『やわらかなバッハ』  
をご参照ください。