洋楽は拍節構造に基づいており、カウントできる音楽である。いくら変拍子であっても変化する拍節でもってカウントすることのできる音楽である。西洋音楽は時間をカウントすることによって成り立っている。しかし、日本の伝統音楽は時間をカウントしない音楽である。

時間を測るということは、紀元前2千年頃にエジプトの日時計から始まったようである。日時計のほか、水時計、砂時計、火時計なども考案された。

日本においては時間を測るということ以前に「時間」という概念さえなかったが、西暦671年、天智天皇が「初めて水時計を作り、時を知らせた」ということが日本書紀にみられる。

江戸時代になると工芸的な時計が多く作られるようになった。これは「和時計」と呼ばれ、日本独特の「不定時法」と云う時計であった。「不定時法」とは、欧米が用いていた「定時法」と違い、日出と日没によって昼と夜に分け、それぞれを6等分(九ツ〜四ツ)する時刻表示方法である。夏は昼の時間が長く、冬は短くなるなど、季節によって時間の長さが変化する。

明治時代になると、明治5年(1872年)、これまでの「不定時法」から「定時法」への布告がなされた。
太政官布告第453号によって、明治5年12月3日が明治6年1月1日とされることが決まった。つまり明治5年という年は、明治5年の師走の29日間が消えてしまい、12月の始に突然1月1日の元旦となった年である。
そして、今まで「何字」と云われていたものが「何時」と云うことに決められた。

明治の「定時法」の採用と前後して、日本には西洋音楽が入ってきた。
もっともこれは日本にとって2度目の輸入であった。1度目は1551年、サビエルによってもたらされたキリスト教音楽である。残念なことに、1614年、徳川家康の命によってキリスト教音楽は実質的に禁じらてしまった。西洋音楽は鎖国の間息絶えていた。やがて明治になって鎖国が解かれ、「定時法」とともに2度目の西洋音楽の輸入が始まったのである。

この時に、いわゆるクラシックと呼ばれる作曲家の音楽が日本にどっと入ってきた。鎖国をしている間に、ドイツではバッハが「平均律クラヴィーア曲集」を書いて、鍵盤音楽の金字塔を立てた。拍節構造のもとに成立する西洋音楽でありながら、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の時間構造は非拍節構造であることに驚かされる!しかも西洋の作曲家の中でバッハただ一人だけであることにもっと驚く!

バッハは西洋の拍節構造を超越してしまったのかのようである。
なぜならフーガの主題の頭が1拍目から始まったと思えば、次の主題は4泊目から始まるなどということが常に見られる。そもそもストレッタなどは1拍遅れや半拍遅れで主題が重なってくるのだから、拍節構造は到底成立しない。主題が拍節に拘束されないことはバッハの音楽が拍節を超越した生命であることを示している。

第1巻8番 dis:Moll フーガは天蓋を思わせる美しい主題だが、この主題には拍節が全く感じられない。主題は1拍子のようでもあり、無拍子のようでもある。このように音楽の生命力とはそもそも拍節的ではない。拍節に縛られない生命力が音楽の本質である。メトロノームなどという非音楽的な機会は即座に棄てるべきだ。

またバッハにおいて、フーガの主題は拡大したり縮小したりして現れる。これは複層的時間構造である。拍節構造においては一つの旋律が伸びたり縮んだりすることはあり得ない。伸びたり縮んだりすることは拍節が変化してしまうことあから。

バッハは西洋の拍節構造に立脚しながらも、東洋の非拍節構造に通じる音楽を書いた。全人類に通底する音楽の生命力というものを、超越的時間で永遠の時間でもって、その音楽に刻んだと言えるだろう。