「平均律クラヴィーア曲集」第2巻3番の嬰ハ長調フーガは、ハ長調の初稿から移調して嬰ハ長調として編纂されました。
ハ長調で書かれた初稿は NBA を見るまでもなく、べーレンラーター版(全音)「平均律クラヴィーア曲集第2巻」P.352 で簡単に確認できます。

バッハの自筆譜には、「平均律クラヴィーア曲集」を編集する際に、バッハが移調を試みたと考えられる修正箇所が幾つかあります。富田庸やデュルの研究によると、移調を試みたと考えられる楽章はいくつもあります。

嬰ハ長調は、調記号にシャープが7つも付く遠隔調です。バッハの時代はミーントーン音律が主流でしたから、シャープとフラットが3つぐらいまでの調が主に使われていました。そのような時代に、バッハは嬰ハ長調という珍しい調に挑戦したのですが、そこで表現されている性格も珍しい感情と言う事はできません。

バッハが嬰ハ長調を主調として使ったのは「平均律クラヴィーア曲集」でだけです。バッハが作曲する時に、最初から嬰ハ長調で楽想を得たということは考えに難いことですし、事実バッハはハ長調で作曲した後、嬰ハ長調に移調して「平均律クラヴィーア曲集」に組み込みました。

バッハがハ長調から嬰ハ長調に移調しようとしたとき、もし、移調によって音体系や情緒が全く変わってしまうと考えたなら、移調をしなかったはずです。
バッハがハ長調から嬰ハ長調に移調したということは調性格に相違がないと考えたからではないでしょうか。

バッハは「平均律クラヴィーア曲集」に理論上考えられる24すべての調を網羅しようと計画したとき、異なる24種類の調性格を網羅しようと計画したでしょうか?

14種類とはいわずとも、バッハはそもそも音楽が、人間の感情を表現するもとは考えいませんでした。またその感情が特定の調から引き起こされるとは考えていませんでした。バッハにとっての音楽は人間の感情や思想を超越したもので、宇宙の調和でした。

現在、ほとんどのピアニストやピアノ教師は「平均律クラヴィーア曲集」の各楽章に調性と結びついた調性格があると信じています。しかも、彼らは12等分平均律の鍵盤楽器で演奏しており、等分平均律の鍵盤楽器は、どの調も全く同じです。

バッハは12等分平均律ではない、バッハ独自の音律で演奏した言われています。たとえそうであっても、24の調がすべて弾けるバッハ独自の音律は、限りなく12等分平均律に近いものであったはずです。バッハがハ長調を嬰ハ長調に移調できたくらい、2つの調は似通っていたはずです。

長年の習慣、今まで信じてきたこと変えるのは、なかなか難しいものです。