アリアドネ・ムジカ(Ariadne Musica)とは「音楽の迷宮」という意味です。
当時は使われなかった調を豊富に網羅したオルガン曲集です。
アリアドネ・ムジカはドイツの作曲家フィッシャー(Fischer1756 〜1746)によって1702年に出版されました。
その20年後に完成をみるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」の先駆けとなった作品です。
「平均律クラヴィーア曲集」が長短24の調を網羅しているのに対して、アリアドネ・ムジカは20の調にとどまっています。
長調11曲、短調9曲の20曲からなり、最初と最後はハ長調です。
バッハはこの作品をよく研究し、フーガの主題を借用するなど「平均律クラヴィーア曲集」の編纂にあたっての原動力となったようです。

当時、作曲されたもので24の調に挑戦したのは、アリアドネ・ムジカ以外にも結構たくさんありました。
例えば調性格論者として有名なマッテゾン(1681〜1764)も、「平均律クラヴィーア曲集」の完成より3年ほど先立って「すべての調を用いた48の範例によるオルガニスト範典」という教則本を出しています。

他にはJ.P.トライバーの「一風変わったインヴェンション:全ての音、和音、拍子記号を用いた一つのメロディーによるアリア」と「通奏低音に正確なオルガニスト」があります。
G.キルヒホフの「ABCムジカル:全ての調によるプレリュードとフーガ」、ゾルゲの「前奏曲とフーガ」もあります。
彼らに先んじて、パッヘルベル(1653〜1706)も、失われた晩年の作品に全調によるプレリュードとフーガがあったようです。
このような全調網羅ブームが起こってきた時代背景の中でバッハの《平均律クラヴィーア曲集》という金字塔が立てられたのです。

当時はシャープやフラットが3,4個までの調しか一般に用いられませんでした。
だから、24の調で作曲するということは冒険的な挑戦でした。
彼らは、理論上考えられる24すべての調で作曲することにのみ最大の価値を見出しており、24の調性格を確立する意図などは無かったのです。
それなのに、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》にある24の調は固有の調性格をもつと信じられています。
ピッチの変動、音律、バッハ自身の移調、恣意的な調性各論などを考えた時、《平均律クラヴィーア曲集》の調性格論は根拠のないことと言わざるを得ないのです。