富田庸を迎えて「バッハの自筆譜からわれわれは何を学べるか。演奏者と研究者の永遠の課題」と題する講演が日本で行われました。
(2008年10月28日、於国立音楽大学 6号館)
今回は日本音楽学会のパネリストとして、英国クィーンズ大学から訪日された日本人教授、富田庸の特別講演でした。

富田庸は現在英国クィーンズ大学音楽学部教授。
バッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻(ヘンレ社)の校訂者として世界の注目を集めている気鋭の研究者です。
バッハ関係の書籍、楽譜、論文、雑誌などのデータを集めたウェブサイト「Bach Bibliography」の編集者としても有名です。

講演会には礒山雅、江端伸昭、加藤一郎、渡邊順生の他に、お名前とお顔が一致しないけれども多分専門の研究者と思しき方や音楽学生たちが多数参加していらっしゃいました。

講演中、富田庸は学生たちに向かって「食べ物をスプーンで口に入れてもらうのですか」と問いかけられ、自発的な発言や質問を促されましたが、学生たちは余りに偉い先生を前にして発言する勇気が出ない様子でした。
日本の学生気質かもしれませんね。
学生に代わって、専門の研究者たちのから活発な質問が飛び交い、高度な議論が戦わされました。


当日の講演内容から自筆譜に学ぶバッハの意図について2点だけご紹介しましょう。
富田庸のパソコンから会場のスクリーンにバッハの自筆譜が映し出され、参加者はそれを見ながらお話の内容を実際に確認することができました。

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1)平均律第2巻 g:Moll プレリュード、 第3小節、バスの最後の音[Es]のリズム的位置について

バッハの自筆譜をよく見ると、ソプラノの32分音譜とバスの16分音譜を縦に揃えて書いてあり、バスの音[Es]を複付点のリズムでソプラノと揃えて弾くことを示唆している。
当時は複付点という書き方が無かったので、このリズムをフィナーレやシベリウスで入力すると、バスの音が間に入ってしまう。
新バッハ全集もバスの音が間に入っており、間違って弾いてしまう楽譜になっている。


2)平均律第1巻 h:Moll フーガ 第17小節後半から始まる美しいエピソードの連桁について

バッハの自筆譜では、エピソード部分の8分音符が2連桁になっている。これは2連桁ごとに和音が変化することを示唆している。
新バッハ全集もヘンレ版も(第1巻の校訂者は富田庸ではない)エピソード部分を4連桁で書いているがバッハは2連桁で書いている。

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講演中、富田庸は連桁のことを、「ビーム(Beam)」と言われました。Beamを日本語に翻訳しようとなさるのですが、外国生活が長くなられたせいか、「連桁」という日本語を思い出せないご様子に、会場から「連桁」と助け船が出る場面もありました。「ビーム」という言葉は講演会後の食事会の時でも、ちょっとした流行語になっていました。

筆者は今回、講演会と食事会の他に、富田庸と個人的に長時間にわたってお話させていただきました。
筆者がこの度出版した 「イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集」カワイ出版 に興味を持ってくださったことからお話させていただく機会を得たものです。
氏は、英国で時々資料と照らし合わせながら《イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集》をワクワクしながら全曲お弾きになったそうです。《イコール式 バッハ平均律クラヴィーア曲集》は全48曲を1音たりとも省略せずにハ長調とイ短調に移調したものです。この発想が富田庸のご著書『Fugal Composition, A Guide to the Study of Bach's '48'』 に 近いとおっしゃいました。
そして、氏から「出版譜として世界で初めての貢献」とお褒めの言葉をいただきました。
大変貴重なことを沢山学ばせていただきましたことに心より感謝申し上げます。